おやつの時間に気づかない 3

文字数 3,225文字

 そんな歪んだ構造による一部の大人のドロドロした思惑など、さすがにまだ成人もしておらず毎日学校に通う無邪気なお嬢さんに理解するのは難しいだろう。この辺は案内の賢者が尋ねる必要も教える必要もないので、カトレアはあくまで今の少女が知っていること覚えていることだけ、を聞き出していく。
 少しずつ核心へ近づくように。
「じゃあ、なんかいい雰囲気になった相手、とかはいないんだ?」
「えへへ。それがですねぇ、アタシってば結構モテる感じでぇ」
 頬を染めて少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうに少女が言う内容に、まぁそうだろうなと彼女が思うのは、単に少女が可愛らしいからだけではなかったのだが。
 可愛らしい少女なのだ。見た目はもちろんあるだろう。だがきっとそれ以上にノーティの家の名前が大きかった可能性がある。賢者である自分に群がってきた者たちのように。気づかないのは、まだ幼いから、だろう。或いは気づかないふりをしているか。
「でも、別に後ろめたいことはしてないっす! アタシ身持ちは硬いんで!」
 自慢げに言う少女。
 もちろんカトレアもそれを疑う気はなかった。
 少女の行動の浅慮さは行き過ぎることなく普通に年頃相応のものだし、今までの会話から知れるその辺の感覚においては、決して軽い付き合いや安易な触れ合いを良しとする性格ではなさそうだというのはわかる。個人的に気になった相手には誰彼となく自ら交流を求めていそうだが、あくまでそれは会話までのもので、一定以上の距離に相手を入らせようとはしないのだろう。
 言動こそ非常に子どもっぽくはあるが、それでも今と将来の己の立場をこの少女はわかっている。
 物語にあるような恋に憧れているが、現実で安易にそれを求めていない。色々と遊びたい盛りだが、火遊びをする気はない。さすが商人の娘というべきか、絶妙なバランス感覚で対人関係を築いている様子だ。危ない橋を見物はしても、渡らない慎重さは持ち合わせている。
 だからこそ、今の霊としての少女の姿が気になる。
 不慮の犯罪に巻き込まれた可能性もあるが……。
「じゃあ、性的なことをするような相手はいなかったのね?」
「ちょ、賢者様いきなり何言って……! …………あー、そっか、こんな姿じゃ、うん」
 こちらの無遠慮で直接的な問いかけに、少女が異なる意味でさっと頬を赤らめて文句を言おうと語気を荒くしたものの、今の姿を思い出したらしく、しゅんと元気が無くなる。今までの話とこの状態では、その質問が的外れと苦言を言えない、説得力がないのは理解出来るのだろう。
 妙なところで無垢な少女だが、こちらが何を言いたいのかが伝わる程度には理解があって良かった。
 悲しげに顔を歪め、それでもノーティは必死に訴える。
「信じてもらえないかもしれないけど、そーいう経験はまだないよ」
「うん」
「ハジメテは、その、やっぱ結婚する人とっていうか……」
 こういうのは違う、と、言葉に出来ないままで少女は言う。若さによる理想論を除いても、結婚する相手でなければ嫌だ、という感覚はむしろ珍しい方だと思われた。
「もし好きでも、体をあげるのは、別?」
「アタシとしては……うん。子どもだって言われるかもだけど」
 おずおずと語っているが、それは決して悪い事ではない。自分自身の何を大事にするかはそれぞれで、この少女にとっての大事なことがそこだというだけの話。例えそれが幼稚だろうが現実的でなかろうが、笑い飛ばしていい事ではないし、価値観としては責めるところもない。
 これほど自信なさそうに語るのは、友人にでもその考え方をからかわれた経験があるのかもしれなかった。貞操観念としては珍しく、お堅い部類に入るとは思う。これはもしかすると過保護な家族による教育の成果かもしれない。
 とはいえ、自分の身体の扱いに対してそこまでのこだわりがないカトレアですら、初めては嫌な相手とはしたくないな程度には思うのだから、そこまで自信なさげにする必要はないと思うけれど。
「信じるし、悪いなんて思わないけど?」
「そっかな。学校の友達とかからはさ、時々だけど、固いとか、深く考えすぎとか、もっと楽しめとか言われるんだけどね」
 予想通り、友人との意見の相違があるらしい。学校における友人関係からの影響力は、若いからこそ大きいことがあるが、それでも曲げる気がないのだから少女の意思はかなり固いと思われた。
「そんなものそれぞれでしょ。貴方の人生なんだから、貴方が誇れるものを堂々選択すればいいのよ」
「うん……そだね」
 この件に関して自信なさそうな少女に意見を伝えれば、否定されなかったことに安堵したのか少し嬉しそうに笑って、けれどすぐその顔は曇った。ちらり、と自分の胸元を見下ろして、小さな呟きが漏れる。
「でも、もしかして、手遅れっぽい?」
 声が震えて今にも泣き出しそうな顔をしていた。大きな目は潤んで、それでも人前ということもあって堪えているのだろう、唇も震えて顔色が悪い。仕方ないだろう。周りに流されない程にそういう信念のある少女が、全く記憶はないがこんな姿をしていたら、己の身に何かあったかもしれない、と嫌な予想を立てるには十分な理由になる。実際そこで「何もなかったと思う」なんて根拠のない適当な慰めをいうのは賢者の役目ではない。
 じっとその全身を見て、彼女は問う。
「下の方の下着はつけてるの?」
「! も、もぅっ! 賢者様もうちょっと言い方とか遠慮してよぉ」
 文句を言いつつ、本人も気になったのだろう。
 感覚がないので即答も出来ず、もぞもぞと恥ずかしそうにスカート越しから腰のあたりをなんども確かめるように触って、でもやはり感覚がないのですぐに分からなかったのだろう、最後は「あーやだ恥ずかしい見ないでねっ?」と叫ぶように周りに言って、己で上半身を屈めるとスカートをめくって中を覗き込んだ。
 頭に隠れてこちらからは全部は見えないが、めくられたスカートの中の一部は彼女の視界にも入った。
 成長途中の少女らしい、健康的な足が見える。
 見た限り傷などはないし汚れてもいない。
「よかったー、履いてる」
「いつもの下着?」
「うんいつも履いてるやつだよ」
「汚れてたりとか破れてたりとか」
「……賢者様、そろそろ怒ってもいいかな」
「いつも通りなのね?」
「う、うんまぁ」
 そう言いながら顔を上げてスカートを元通りに下ろした少女は、問いかけに対して微妙な顔で頷いた。恐らく、何故ここまで答えなければならないのだろう、と思っているのだろう。
 確かに端的に見れば変態的な質問であるが、ことここにおいては非常に重要な事だ。
 そう、少なくとも少女には、上半身にしか何かされた形跡がない、という事実。
 日常で突然の性的被害に遭った時、あまりの衝撃で生き霊になってしまうというのは前例のある話。過去の記録上は例が複数残っている。生き霊になる絶対の理由ははっきりしていないし、誰もがなるわけでもないが、内容を問わず何か大きな衝撃によって身体から離れることが多い、という記録は過去から積み重なっている。少女の場合も、非常にあり得る可能性の一つだろう。
 例えそれが上半身への行為だけだったとしても、受ける衝撃の度合いはそこで決まるのではないから、胸だけと言えど「その程度で」などという言葉は使ってはならない。しかも少女はそういうことにしっかりとした信念を持っているから余計に。
 今回、本人が全く意識せずに今の状態でここまで来たあたりも含めると、ノーティは生き霊として霊になった可能性は高い。この服装を引きずっているのも生き霊故だろう。この子の場合、仮に死霊であったなら、こんな姿を引き摺らず、もっと穏やかな状態で現れそうだ。
 仮定としては、何か乱暴をされ生き霊になった、というのが最も可能性が高そうではある……が。
 この手の事例において最も困難なのは、「今現在が生き霊であるかどうか」を見極めることなのだ。
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