寝る前にその日を振り返りたい 3

文字数 2,970文字

 今日の分の二枚目も書き終えて、一枚目と同じ籠の中へと放り込む。
 そしてカトレアは三枚目の紙を取り出して、握りつぶした。
 それを見ながらハーミットが呆れた顔をする。
「貴方、毎日それやってますけど、紙がもったいなくないですか?」
「うーん、まぁ、今じゃ癖よね」
 もったいないのは自分でもわかっているけれど、やめられない。
 手の中でくしゃくしゃになった紙の礫は、少しだけ弄んだ後に部屋の隅にある屑籠の方へと放り投げる。綺麗な放物線を描いたそれは乾いた音を立てて籠の中へと収まった。
 投げる練習などしたことはないが、この数年間、毎日のように同じ場所から投げていれば命中率は結構なものだ。
 目を閉じていてすら入りそうな気がする。
 それを見送った青年が、ふと、思いついたように言った。
「今日もどうにかなりましたけど……もし、なんですけど」
「うん?」
「どうしても、本人の話でも生きているかどうしてもすぐにはっきりできない霊が現れたら、どうやって案内するんです?」
「気になる?」
「貴方に限っては無いと思うんですが、霊は長時間いられないんですよね? 例えば時間切れで案内が間に合わないとかあるのかなって。今日見てる時にちょっと気になって」
 それは今日の途中で、見てて不安になる場面があったということだろうか。心当たりは……なくも無い。
 代々の賢者においても、カトレアのように家から全く出られないということは記録上無いものの、何らかの事情で案内が間に合わなそうだという事は稀に発生している。そのどれにおいても案内の賢者たちは「最終的には」時間切れを起こすことなく案内を終了させてきた。
 今の所、記録に残っている限りで時間切れでの案内失敗という結果は発生していない。
「今日みたいに生き霊だった場合に、案内が遅れると、身体は生きてるけど霊は消えるんでしたっけ」
「そうね。その場合は生きてる身体の方も遅からず死ぬわね」
「霊がないと生きていけないからですか?」
「…………正しく言えば、霊との繋がりがないと、だけどね」
 身体と霊があって初めて人は人として生きるもの。
 どちらか片方が消えれば、もう片方も長くは保たない。生きている身体から飛び出している生き霊でも身体とは縁が残っているし、生き霊が残っている間は、正しい延命措置が続けられていれば身体は生き続ける。霊が消えれば例え処置がされていても身体は死んでしまう。
 そういうものだと、伝わっている。
「案内が遅れて、って、貴方以外の昔の賢者でも一回も起こってないんですか?」
「ないわね」
「それは凄いですね」
「死霊は証拠が揃いやすいからまず時間切れが起こりにくいしね。生き霊の方は、まぁ、緊急手段がないわけじゃないし」
 生死において、死んでいる場合には案外早く判明することが多い。死体は動かないから。
 問題は生きている場合の方で、むしろすぐ情報が揃いにくいのはこちらが多い、というのが昔の記録からも解る。
 そして代々の案内の賢者は、賢者だけあって好奇心には勝てないのか、大抵の事は試している。その中で判明したその方法は、彼らの中では普通の紙の記録にすら残されていない特殊なものだ。案内の賢者だけが解ける系統の暗号によって伝えられている。
「緊急手段?」
 首を傾げた青年に、ベッドの上に寝転がりながら、教えた。
「禁忌の手段とも言うけど。自分の命を繋いで、生き霊の消滅までの時間を稼ぐことがね。出来なくもないの」
 本当は死霊にも使える。その場合、繋いだ賢者の命のせいで死霊が消滅できなくなり、輪廻の渦に送るには繋がった方も死ぬ必要があるが。
 単一の相手のみに使用可能な、消滅までの時間を延ばす緊急措置だ。
 ただし禁忌とされるだけあって問題もある。
「そ、それって大丈夫なんですか!? その……」
「本来一人で使う生命を貸すんだから、寿命は縮むわね。あと、案内する時に賢者が身体に触らないと戻れないから、生き霊を身体まで連れて行かないといけなくなるのよね」
「…………貴方、絶対にしないでくださいよ」
 いつもより低く剣呑な声は、何かを察したのか。
 本当にこういう時だけは無駄に察しがいい。
「止める?」
「当たり前でしょう!! 絶対に止めますよ!」
 彼の方は見ずにからかうように問いかければ、怒ったような答えが返る。いや、実際に怒っているのだろう。別に己の命をどう使おうかは自由だと思うのだけど、それを言ったら更に怒りを買いそうなので、ベッドの上を転がって男の方を見ながら彼女は代わりの言葉を贈る。
「あら残念。じゃあ今後貴方の前ではしないようにするわね」
「だから貴方から目が離せないんですよ」
 こちらの方は見ないままで、ものすごく腹立たしそうにこぼした言葉は、常について回ってくる彼の本音なのだろう。そう言いながら今目を合わせないのは、そうしてしまうと余計に腹立たしい気分になる可能性を考慮してなのかもしれない。真面目な話をしているんだと、怒ってしまう可能性すら見えているのかもしれない。
 その配慮は正しい。
 青年を見ているカトレアは、ただ諦めたように笑っている。
 だって彼がそれを見る日は絶対に来ないから。
「今日の子も、戻った時には忘れているんでしょうか」
 話題を変えたいのだろう、男が視線は合わせないままで話を振ってくる。
「そうね」
 生き霊は特定の記憶しか持ってきていない。
 そして同時に、霊であった時の記憶は持って帰らない。
 代々の案内の賢者がどれだけの人数案内しても、いつまでも噂の中から出ないのは、その実在を報告するものが全くいないからだ。殆ど問題なく生きた身体に返している生き霊達ですら誰も、賢者との邂逅を戻った後に言えないから。
 臨死体験とはよく聞くが、実際に生き霊になっていた者でその時のことを覚えていることはまず無く、時に覚えていると言って話す内容は、実際に賢者と霊として遭遇した際の内容ではなく、目覚める直前に見た夢であると思われる内容が多いようだ。
 時折賢者らしき者との遭遇を話す者もいるが、どういう者と出会ったか言えた者はいない。全てが夢よりも朧な証言しかなく、それは、今までカトレアが案内した生き霊も例外ではない。
 彼女が明らかに賢者として目立つ容姿をしているのに、全く容姿の噂が広まらないのはそのお陰だ。
 ノーティも、きっと覚えていない。
「ちょっと残念ですよね。貴方は毎回あんなに頑張っているのに」
「別に褒められるためにやってるんじゃないもの」
「僕が褒めますよ」
「それはどうも。何も出ないわよ」
 これはカトレアの予想でしかないが、人はその記憶を主に身体に保有しているのだろう。
 保存できる身体から離れている間に見聞きしたことは、身体の中に残らないから、身体に戻って目覚めた時に殆ど覚えていない。霊になった際に何でも思い出せるわけでなく、持っている記憶だけしか思い出せないのも、持っていないそれを保存している身体にちゃんといないせいで中を探しに行けないからなのではないだろうか。
 つまり、霊である間に見聞きする全ては夢のようなもの。
 身体に帰れば、何も残らない。
 忘れる以前に、身体には残されていない記憶。でもそれで相手が何も知ることなく案内が終わって、生きていた場所に戻れるのなら悪くない、とカトレアは思っている。
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