夕食はゆっくりがいい 2

文字数 3,136文字

 台所でいつものように夕食を作る。
 疲れているのもあって昼のような要望を出される気分ではなかったから、ただ適当に作り始めれば、むしろそういう日の方が多いことを知っている男は特に何も言わなかった。客を帰した直後、しかも夕方の食事作りでは珍しくないからだろう。例えほとんど動いていなくても、頭を使っていればそれなりに疲れるものだ。
 昼食と同じように、家の中にある食材を使って適当に調理され作られる夕食の内容には、特定の料理名などつかない。
 これでも一応料理本は一通り読んだことがあるし本来の材料手順などの基本的な知識はあるものの、いざ己がそれを作るとなると大体において元の内容に対して己好みの変更を加えてしまうし、手順だって今の場所で最も楽な順序方法の方を選んでしまう。
 それが行き過ぎる結果として元の内容とはいささか異なる物質が誕生してしまうため、さすがにその物質を元と同じ名前で呼ぶには抵抗が生まれる。カトレアのような手抜き料理をする人間にとって珍しくないことではないだろう。
 それでも無理やりに名前を用意するのは可能だけど、個人的にはそれをしたくなかった。
(元の料理を考案した誰かに失礼だしね)
 というのは建前で、単に己が作ったそれっぽいものまで元となった料理と同じ名前で呼び始めると、「どこまでをそう呼んで良いのか」の境界線が己の中で曖昧になっていくだろうことがわかっているので、自分の料理に関して敢えて必要性がない限り名付けないだけである。
 店のようにお品書きが必要なわけではないのだし、名前を持っていようが無名なままだろうが、腹の中に収まった際の満腹感には何の支障もない。昼のような見栄えは食事後の気分に影響するが、後はだいたい寝るだけの夕食にそこまでの見栄えだって必要ないのだ。
 というわけで、昼よりも夕の方がしっかり量はあるが中身は適当になっていることが多い。
 それはもちろん今日だって例外ではない。
「これは何を作ったんですか?」
「肉と野菜が入った何かね」
 ひょいっと覗き込んできては問いかけてくる男に、単なる事実を返す。
 程よく彩りはあるし良い匂いもしているが、何かは何かだ。料理する知識の大元となったものにはたいそうな名前が付いていたような気がするが、材料も調理法も少々異なっているから完全一致からは程遠い。
 ついでに言えば見た目も結構異なっている。
「いつもの事ですが芸術性は無いですね」
「賢さと芸術性は比例しないのよ。常に食事に美しさを求めるならば他の人にどうぞ。貴方ならきっと喜んで腕をふるってくれる子が行列作って現れるわよ」
 絵が理解出来なかろうが音楽がまったくわからなかろうが字が汚かろうが、賢者になるのに関係はない。
 偶然に才能を持ち合わせていない限り、この辺はむしろ敢えて無視していることも多いのが賢者だ。結果として美しいと呼ばれる数式が生まれようとも、例えば元から美しく描こうとする画家とは根本的に違う。
 あらゆる無駄を省き、整えればだいたいのものは美しく「見える」体裁を持つに至るが、狙ってそれを目指す芸術家と、結果としてそこに至る賢者では芸術への意識は相当異なるのではないだろうか。
 まぁ、これはカトレアの個人的な考えであって、全賢者がそう思っているとは限らないが。
「僕は貴方の料理なら何でも食べたいです」
「まるで料理下手に言う台詞ありがとう」
「自分が食べるものだけは絶対失敗しないというのは食い意地の問題ですか?」
「違うわ本能よ」
 己が毎日食べるもので、不味いものを食べ続けたいなどというのは既に被虐思考の域だろう。
 もちろんそんなものを彼女は持ち合わせていないし、食べるからには嗜好に最大限合うものを食べたいからこそ、最低限の料理は覚えたのだ。野生の獣だって草食肉食を問わず、食の好みはあるという。食べられるもの全部を並べていても、端から全部食べていくのではなく好きなものを食べていくらしい。
 だからきっと美味しいものを食べたいというのは生物の本能に近いのだと思う。
 そもそも料理下手の一部は、料理途中で味の状態を見ないから、結果として妙な味付けのものを作ってしまうのだ。
 使用する素材の味と使う調味料の内容や量を極端に間違えなければ、そうそう簡単に食べられない料理など出来はしない。誰が食べてもとても美味しい料理、となるとさすがに作る上で知識や経験が必要になってくるが、それだって途中で都度味の状態を確認していれば、運が良ければどうにか作れる可能性がある。
 火力や調理方法から怪しい場合はどうしようもないが、それですら経験でどうにかなるし、火を使わない料理や二、三の過程だけで済む簡単な料理だってある訳で。
 長年自分の食事を作っているカトレアが、自分にわざわざマズい料理を作る理由などないのだから、いつも適当創作料理ばかり作っているとしても、出来るだけ美味しく食べられるものを作っているのは当然の帰結だった。
 まぁもしも料理不要でそれなりに美味しく頂ける簡易食などが存在するならば、食事の大部分がそういうものに流れそうな程度には食にこだわりはないのだが、この世にそんな便利なものは存在していないので毎度の料理にはそれなりに手をかけるしかない。
 外にいた頃は外食も少なからずだったが、ここではそれも出来ないから。
「こっちは明日の朝食ですか」
 背後から見ていて夕食とは別に作成している分に気づいたらしい。
 夕食の入った皿から数歩移動した場所に置いてあるのは、明日の朝食。今日のようにすぐ食べられるよう、前日の夕食時に翌日の朝食も作るのはいつものことで、朝に弱い人間にとっては大事な作業だ。夕食後に作ると洗い物が二回に分かれる可能性があるし、都度調理するのは面倒なので多くの場合一緒に作ってしまう。
 故に、朝食はちょっと時間を置いても味の劣化が少なく腐りにくいものが多い。
「パンと肉とチーズと野菜を挟んだものね。食べる直前にちょっと表面を焼いてソースをかけて食べる予定」
 明日の朝の分を蓋のある深皿に入れつつ答える。
 これもやはり軽めの量。明日も朝から客が来るかは別にして、朝あまり食べられない体質は簡単に変わらない。食べないと思考に差し障るので、必ず食べるのだけど。
 中を覗き込んでいた皿からその宝石のような青の目を離した青年は、不思議そうに言う。
「確かそれっぽい名前の料理がありますよね?」
「難しいところね。私の知る限りそれは焼かれないから」
「焼かれても美味しいでしょう」
「美味しいわよ」
 焼くことで適度に溶けたチーズが中で肉と野菜に絡み、さらに直前にかける冷たく濃い味のソースがそれらの味を引き締める一品だ。最初はそのまま食べていたが、気まぐれに焼いてみたら美味しかったのでそれ以降は食べる直前にいつも焼いている。面倒な一手間だがそれだけで美味しいのなら無駄のない一手間と思っている。
 具材を挟むだけのものを料理と言うか、という問題は置いておいて。
「前から思ってたんですが、よく毎日違う料理を作れますよね」
「それも本能ね。毎日同じ料理を食べてたら気が狂うわ」
 個人差はあるだろうけれど、少なくとも変化のないこの家で毎日同じものというのは中々拷問ではないだろうか。
「成る程。貴方、自分で思っている以上に食べ物にこだわりがありますよ」
「人が生きる上での三要素の一つなのだから、この程度は当然じゃないかしらね?」
 人は食事のみで生きる訳ではない、と言ったのはいつの賢者だったか。
「衣食住ですか」
「違うわよ。食欲・睡眠欲・性欲」
 そう言った途端に顔を赤くした青年を放って、夕食の乗った皿を持ち上げると、食事をするために居間の方へと向かった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み