夕食後には読書したい 1

文字数 3,229文字

 一応賢者である。
 賢者になるには、幾つもの試験や面接を越えなければならない。仮に死者と交流ができるとしても、賢者全てに求められるそれを越えなければ案内の賢者にはなれない。名乗るまでには相応に保証できるだけの何かを求められる。そこにおいて不正が発生した記録はない。仮にその時に不正をしても、賢者になった後で不適格と思われればすぐ資格剥奪されてしまうので意味がないが。
 賢者たちは、己が地位がどういうものであるか知っているからこそ、そういう不正は決して認めない。金に目が眩んで認める程度の頭の悪さでは賢者になれない。
 そして、知能の高さを維持する上では、元となる知識をいつでも収集する癖や趣味というものが自然と備わっているもので、興味の有る無しに関係なく賢者の多くは知らない事を知る行為そのものに快楽を得ている事が多いと聞く。この辺は親の教育などあまり関係なさそうである、らしい。
 教育熱心な元で育てられた、ただ課題をこなすだけの秀才程度では賢者までは至らないという現実。
 それは賢者としてはあまり一般的な年齢でないカトレアであっても同じことで、軟禁されている今の状態でも一番最初に要求したのは「常に新しく発行された書籍・論文・新聞をこの家に用意すること」だった。内容を問わないその要求はある程度認められ、国の発行物全部網羅して貰えているわけではないものの、食材の支給時には必ず本が数冊と数日分の新聞が一緒にやってくる。
 だから毎日読むものには困らない。むしろ読まなければどんどん溜まっていく。
 昼間でも客のいない時間や、夕食後の夜は、ほぼこの溜まっていく本を消化する毎日だ。
 読むものにこだわりはない。特に現状においてはこだわる余裕がない、というべきか。外であれば巷の井戸端会議から聞こえてきた話題ですら、自ら進んで読みに行かないと見逃してしまうのだから。
 故に、新聞は現在の世情を知る唯一のものでもある。
 これを毎日のように隅々まで読む。
「何か面白い記事はありますか?」
 いつもの椅子に座って新聞を広げていると、大きな紙面の向こう側から声がする。
 とりあえず目についた記事を読み上げた。
「舞台女優ジェリス、第四王子と熱愛! 現代の夢物語成るか!?」
「……面白いですか? それ……」
 どこか呆れたような声になったのは、自ら新聞を読まない彼ですら、この家で何度か似たような記事を見てきたからなのだろう。この記事自体が面白いかと問われれば否だ。
「定期的に王族のこういう記事は見るんだけど、成就したことが一度もないのが面白いわね。やはりそう簡単じゃないってことなんでしょうね」
「はぁ。よくわからないですが」
「むしろこっちの方が早いんでしょうね。恋多きマリス子爵、新婚3ヶ月で早くも朝帰り! 今度の相手は美人画家」
 恋愛話が多い芸能面のその他の記事を読み上げてから新聞の向こうを見れば、呆れた顔をした男。
 なおこの子爵も常連だ。どういう人物かはわからないが、毎月のようにその名前を見ている気がする。きっと彼もそれを覚えているのだろう。呆れた顔をしたままで言ってくる。
「よく相手が見つかりますよね、その方も。相手の女性は、そういう気の多い男のどこがいいんでしょうね?」
「顔じゃない? 多分貴方も結婚した後だって相手はいくらでも出てくるわよ。そんなの気にしないから一晩だけでいいの抱いてください! っていう子が」
 カトレア自身には理解できないけれど、聞こえてきた恋愛の修羅場話でよくあった話を出してみれば、ものすごく嫌そうな顔をしてハーミットが両手を振る。
「お断りですよ!」
「どうでしょ? そういう子は往々にして極めて魅力的な要素を兼ね備えているし、それを自覚してもいるからそう言えるのよねぇ。すごく好みの身体で好みの顔で好みの服で艶かしく可愛らしく切なく擦り寄られたら、抵抗は難しいんじゃない?」
「僕は貴方以外がどういう風にやってきても相手にできない自信があります」
「男は皆そう言うわね」
 そして実はそこで最後まで抵抗できたらしい話の方が少ないらしいのも知っている。
 更に言えば最後まで抵抗して相手にしなかった場合でも、その女の性格によってはあらぬ噂をたてたりして、存在しなかった事実すら捏造する場合があるので要注意ということも。無実だろうが伴侶や恋人から疑われれば、破綻の可能性は生まれる。
 賢者が主に関わる王宮や貴族周りでは、こういったドロドロした話に事欠かないようだ。
 彼女には本当に理解できないけれど。
「そもそも結婚した相手を裏切ったりなんてしませんよ」
「貴方まず記憶ないから今が既婚か未婚かすらわかってないし、ここにいる間の言動で、今覚えてない誰かを裏切ってない証明ができないわよ?」
「ぐっ……」
 にこやかに指摘すれば、完全に言葉を失う青年。
 この国の結婚する年齢は十六歳からなので、彼が絶対に結婚していないという可能性は無い。
 むしろこの無駄すぎる見た目の良さを考えれば、もっと若い頃から周囲の女性の多くには目をつけられていたと考えるのが妥当な線では無いかと思われる。仮に貧乏な暮らしをしていても、これだけの美形ならむしろ自分が囲って養おうという貴族や裕福層がいくらでも現れそうだ。
 経済力など無視されてもおかしくないほどの美形。
 そしてもしも彼が結婚していた場合、カトレアにそういう発言をしている行為そのものが裏切りになるのだと言えば、ゆっくりと青ざめる。
 動揺を隠しきれずに目線を泳がせ反論する何かを考えているようだが、けれど思いつかないらしく言葉が続かない。
 この点において彼女はその事情を踏まえているし、別段普段の行為を責めたい訳ではないのだが。
「まぁ、貴方が結婚している可能性は低そうだけど」
 言葉を失った男があまりに悲しそうな目をして見てくるので、少しだけ助け舟を出した。
 それに対して覇気のない声で男が訊いてくる。
「何故そう思うんです」
「結婚してるにしては色々反応が良すぎるし、結婚してる証も身につけてないしね」
 彼の事情から考えると、既に結婚しているにしては、からかった時の彼の反応はあまりにウブで大きすぎる。あれは恋もまだで、まともな恋人すら出来たことがない少年のようだ。今の見た目年齢相当かはともかく、記憶をなくす前から恋人すらいたかどうか怪しい。
 そしてこの国において結婚している男の大部分がつけている指輪を、彼は一切つけていない。
 あのノーグですら、最後まで本人も気づいてなかったものの、つけていたのに。
 これで結婚していたなら、おそらくその相手とは会ったこともないか、普通の結婚形態はとってないと思われた。無くしたという可能性はない。
「で、ですよね」
「ただ、あくまで結婚はってだけで、婚約者や恋人がいるかどうかは全くわからないわね」
「うっ……」
 これは本当にどうしようもない。
 この国ではノーティのような身近に婚約者がいる方が例外で、貴族などは結婚するまで相手とほとんど会わない婚約の方がむしろ多い。婚約や恋人に関しては、その存在を証明するような習慣もないので、賢者でもそこまで推定は不可能だ。せいぜい「仮にいるとしてもほとんど接触がないだろう」と思われるだけで。
 なんにせよ、彼自身に何も記憶がないために、全てが憶測の枠を出ない。
 これだけの見た目の男を周囲の女性が放っておくとも思えないのだが。
 結局助け舟でも大した助けにならないまま、また悩み出してしまった男をカトレアはぼんやりと眺める。見た目は極上の青年。その佇まいといい言葉遣いといい、普通の一般市民のような生活をしていたとは想像しにくい。
「覚えてないことを考えたって無駄よ。思い出した時に考えればいいわ」
「まぁ……そうかもしれません」
 複雑そうな顔をして、それでも頷いた男に心の中だけで付け加える。
 貴方が「過去」を思い出す時には、「今」を全部忘れているから大丈夫よ。
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