朝は静かに過ごしたい

文字数 2,461文字

 ゆっくりと浮上する意識は、微睡みからの目覚めを積極的には求めていない。
 むしろ、もう一度戻るべきだと全力で主張している。
 朝気持ちよく起きられる人というのもこの世には存在するらしいが、少なくともカトレアはその部類には入っていない。多分この辺は性格だの体質だのが関わる繊細な問題だろうから、努力云々や気持ち云々で解決してはいけないものなのだ、と常日頃彼女は思っている。
 つまりどういう立場のどういう人間だろうが、人によっては寝起きの辛さは大きく変わるんだから、辛い場合にはあまり無理をすべきではない。どんな人間だって無理をし続ければいつか限界がくる。それが毎日のことならば余計無理はよろしくない。
 もちろん、起きた先に仕事や学校があるのならば時間は守るべきだ。それは周りに迷惑をかける問題なのだから、個人論を持ち出すにも限界があるだろう。規律は守った方がいい。
 では彼女自身はどうか。
 昨日も今日も明日も、そんな予定は一切ない。
 この家にいる限りは永遠に予定が出来る予定がない。
 日記でも書くなら毎日が「今日も家で過ごしました」となる日々だ。学校の課題だったら恐らく怒られる。
 これがただの庶民なら、これだけ毎日家でただ過ごすだけの自分は、無職の暇人の穀潰しなのだろうが、この国において彼女はそんな自分の行為を全部正当化するに十分なだけの社会的地位を有していた。
 賢者。
 それは国から認められ与えられる絶対の地位だ。
 魔法だの竜だの幻想的なもののないつまらない世界ではあるが、昔から度を超えてひどく賢しい者に与えられている。理由は簡単で、いつの時代も頭脳は力だ。優れた頭脳は、下手な兵器や武力よりも確実に国を栄えさせ、それと同時に滅ぼすことができる強力な力を生み出す。歴史の中で国は単純にそれを一つの脅威と認識し、好き勝手できないよう管理するために賢者という社会的にもわかりやすい地位を用意して彼らを囲い込むと同時に利用している。
 一面では称号、一面では公的に拘束するための鎖である地位。
 しかし同時に賢者達だって、ほとんど全員が己が望みのために国を利用しているのだからお互い様だが。
 つまり、カトレアは賢者だ。
 もう何年もこの家から出ない賢者。
 自分の意志であり、同時に出ることを国から許されていない。
 国がお前はそうしろというのだから、そしてそれ以外を全く求めていないのだから、この家の中でどう過ごすかなんて彼女の自由である。つまりこのいつまでたっても消えない眠気に再度身を委ねて、ふかふかの布団の中に潜りこむのだって自由だ。
 というわけで目を開けないまま、もう一度眠気の波に飲まれようと身を委ね。
「何が自由ですか起きてください」
 うるさい。
 朝から無駄に爽やか声で覚醒を求めるなんて、本当に毎日空気の読めない男。だからいつまでたっても自分の名前すら思い出せないポンコツなのよ。
「誰がポンコツですか。さっきから考えてること口に出てるんですよ。貴方それもう完全に起きてるでしょう」
 毎朝のことながら見逃してくれる気はないらしい。
 まるで小姑のように口うるさいこの相手は、朝目覚めかけた状態の生ぬるい布団の中で得られる最高の至福なふわふわ時間など、きっと体感したことなどないに違いない。いかにも朝はすぐに目を覚ましそうな性格をしている。それで人生のどれだけを損しているか知らないのだろう。ああ勿体無い。
 賢者な自分にはそんな勿体無い行為はできないので、この時間はゆっくり堪能する。
 この時間の布団の中は、至高だ。
 賢き者とは決して無駄な行為をしない者だ、とは誰が言った言葉だっただろうか。
「ほら目は覚めてるでしょう。賢者なら賢者らしく、皆が見習う生活をすべきです。布団から出なさい」
 声の主はそれでも諦めずに口うるさい。毎日こんな感じで、よく飽きないものだと思う。
 目を開けずともベッドの前のいつもの場所で不機嫌に立っているだろう事は想像に容易い。
 賢者らしく、とはよく言ったものだ。
(人が賢者に求めてるのはその頭脳だけなのにね)
 しかし放っておくとこのままずっと喚き続けらるだけ。そんな騒音を聞きながらの二度寝は楽しくないし、再度起きた時の反応を考えれば正しくない選択なのだろう。倍に伸びるだろう小言の時間はまさに無駄。
 そこまで考えて彼女はやっと目を開けると、せめて意趣返ししようと(相手が望む通りに)己の体の上を満遍なく覆っていた布団を一気に剥いだ。ばさっという音と一緒に、布団の中にずっとあった寝乱れた己の姿が全て露わになる。
 色気があるかは別にして、視覚的な何らかの効果が見込めるのは、一応カトレアも女だからだ。
 上半身に羽織るだけの裾の長い紺色の寝間着はかなり上までめくれ上がっていて、そこから出ているのは運動しない故に細くて白い足。寝間着の布は体の上に一応あるものの、全身を見るとかなりギリギリの部分しか隠せていない。腰の部分で結んでいるのでその辺りは隠れているが、その上の胸元の谷間は大きく開いてそのまま見えているし、本当に局所を隠せているだけで、これでは着ていないのも変わらないのではないかという程。
 まぁ、男ならば、そういう興味が一切ないのでない限り黙ってはいないだろう。
「わぁあああっ!」
 思った通り、すぐに上がった相手の大きな悲鳴に、うっすら微笑んでカトレアは起き上がった。
 せっかくの幸せなまどろみを邪魔されたのだ。これ位は許されるべきだと思う。
 悲鳴をあげるのみでなくベッドの側から逃げ出した声の主は、部屋の隅で背中を向けている。その金の髪の隙間から見える耳が真っ赤だ。
 見た目からして彼も成人していると思われるのに、本当にウブなものだ。お陰でからかうのが楽しい。そして毎日毎日似たような感じでからからかわれているにもかかわらず、いつまでたっても慣れない様が余計に楽しいと思う自分も大概性格が悪いが。
 今日もそんな感じで、いつも通りの目覚めだ。
 彼女はぐっと伸びながら、一つだけ欠伸を落とした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み