夕食後には読書したい 2

文字数 3,115文字

 新聞に関してあれこれ言っていたのは最初だけ。それも恐らく新聞だからこそ毎回彼は声をかけてきている。世情に興味がないという顔をしつつも、目の前にあればやはり多少は気になるものらしい。
 本の方を読み始めれば、いつも通りに静かになる部屋。
 こういう時は本当に腹が立つ程、彼はカトレアを邪魔しない。興味のあるなし以前に、本を読むという行為が賢者にとってどういうものかをもう知っているからだろう。人によって多少差異はあるだろうが、本を読む行為は本と対話する行為だ。深く対話する中で周りからの声は不要でしかない。
 その代わり視線が時折刺さっているような気もするが、それも集中してしまえば全く気にならなくなってしまう。
 カトレアにとっての読書とはおよそそういうものだ。
 楽しい友人との会話に夢中になって時間を忘れる状態とよく似ている。周りからの目など気にしていては、会話を心底楽しめない。
 結局今日の読書中に客が来ることもなく、予定通りに新聞二つと二冊の本を問題なく読み終えて、片方の本を本棚の空いた場所へと並べる。案内に使えそうな本の行き先はほぼこの本棚の中。
 もう片方の本と新聞は居間の横にある空き部屋行きだ。
 全く不要と言う程でもないがすぐに使う日はないだろうと思われる本を放り込み続けている窓のない空き部屋は、そろそろ部屋中が本の山と谷になっていて室内を自由に移動するのが難しい程度になっている。それでもこの数年で送られてきた本全部を入れている訳ではない。この家で明らかに不要と思う本に関しては、次に物資を貰う際に回収して行って貰っている。
 問題は絶対不要と言い切れる本の方が少ないということか。
 ここに来る前であれば、どれだけ不要だと思っても本を捨てるなど考えもしなかったのだけど、この家の中にある空間は限られているので、ここに住み続ける限り不要な本は捨てていくしかない。少ないながらも、不要だと思えば断腸の思いで本を捨てる。
 こんな家だが、何かを捨てるための機能もあるのだ。
 家の玄関の扉には、小さな荷物だけが通せる程度の小窓が開いている。虜囚を入れる施設における監視窓より一回り大きい程度のものだ。
 その小窓の奥、扉を挟んだ向こう側は深いポストの底のようになっている。こちらの方からも物を置ける仕組みで、不要なものをそこに置いておけば回収して行って貰えるのだ。本だけでなく、その他に日常のゴミなども同じようにそこに置いている。
 回収人が来た時にはそれらが消えて、代わりに次の食料などが入った包みが置かれるのだ。もしこちらから向こうに手紙がある時には、さすがにそういったものと一緒にすると気づかれない可能性があるので手紙だけを置いている。
 荷物を手に入れる構造としてはおよそそんな感じなので、ものを持ってきてくれる誰かと顔を合わせるどころか会話も無理だ。まず向こう側に誰かいるかどうかすらわからない。
 自分に誰かと会話させる気がないということがよく伝わってくる構造をしていた。
 同時に、どんな理由であれ家から出す気がないということもよく分かる。ゴミすら回収してくれるほどの高待遇には、カトレアを捕らえている誰かの徹底的な意図が感じられて気が滅入りそうだ。
 そんな思考は移動しながら切り替える。
 居間から出てすぐ隣。
 空き部屋の扉を開けば、紙特有の匂いがふわりと伝わってくる。図書館や資料室などに入った際に感じるそれは嫌いではない。
 部屋の中の適当な場所に持っていた本を積み、入り口の側の隅に纏めて重ねられている新聞の上に今回読み終えた新聞を乗せた。今の状況的に大きな棚などは好きに増やせないので、増えていく本はこうして全部積んでいく以外に出来ることはない。
 居間にある本棚は元からあったもの。新しく大きな家具が増えるなんて、この先もまずないだろう。
「ノーグがいても材料がないから棚は作れなかったでしょうね」
 あの窓では木材の出し入れは不可能だ。
 部屋の惨状を見て、そして今日来た青年を思い出して、思わず溢れる独り言。
「ここに来る前は全部片付けていたんですか?」
「……あまり変わらなかったわね」
 やっぱり後ろからついてきている青年の言葉に、ここに来る前の私室を思い出す。
 普段使う場所や人が来る場所は一応綺麗にしても、普段使わない場所には出来るだけ労力を割かないので、そういえば行き場のない本を入れる部屋はこの部屋と似たようなものだった。なお本自体が無くなるということは殆どなかった辺り、やはり賢者の性質なのだろう。
 知識を追い求め常に思考することを生業とするもの。
 本はその知識を得るための一つの手段でしかないが、使える手段はどれだけでも酷使する。
 辛うじて使う場所は綺麗に、とは表現したけれど、それだってきれいに飾って整理しているというよりも、部屋に置くものをかなり限定しているため物が少なく、一見綺麗に見えるだけだ。
「まぁその方が貴方らしいです」
 何か知っているかのようにそんなことを言う男は、やっと立ち直ったらしい。
 全く覚えていない過去を己の中でどういうことにするようにしたのかは不明だが、それをからかうのは心ない行為というものだろう。あくまで相手が不快にならない範囲でからかい反応を見ることに楽しみを見出しているわけで、一方的に虐げたい訳ではない。
 本気で嫌がる相手を見て楽しみを見出すのは、そういう性的嗜好を持っているか、何かが未熟なものだけだ。
 本来共感能力を持つ人間は、それが避けられない使命でもない限り、本気で嫌がる相手に無体を強いれるものではない。
 繰り返されている戦争や虐殺の残酷な歴史は知っているが、一応そう思っている。
「この部屋を見る度に貴方は賢者なんだなーって思えますよ。これ全部読んでるんですから」
 この部屋に殆ど何もない状態から今に至るまでを見守ってきた青年から、部屋の奥に行くほど高くなっている本の山しかない部屋を見ながら言われた言葉に、まぁ仕方ないと彼女は内心苦笑する。普段の言動からそれっぽくない、のは元々の性格なので。時間の限られる日々の客の前でならそれっぽく振る舞うのに苦はなくとも、毎日顔を合わせる相手にまで繕っていたらきっと疲れてしまう。
 無理は良くない。
 この男に対して素で接しているのはそれが理由だ。それ以外にはない。絶対に。
「いつも私の賢者らしい言動を見てるのに、貴方の目は節穴なのかしら?」
「僕が毎日見てるのは、毎日のように僕をからかっては楽しんでる、ちょっとだらし無くて寝汚くて料理が上手くて本音を隠すのが上手い、いちいち言うことが可愛い人なんですけど」
「なんてこと! 私以外にもこの家に住人がいたの!?」
「まぁ案内をしてる時も、賢者らしいなって思ってますよ」
 昔に比べて混ぜっ返しても特定の話題以外では動じなくなった所は本当に可愛げがない。
 もう少し昔はこの程度でも何らかしかの反応を返してくれたものだが、今では澄ました顔で会話を続けてしまうのだから。カトレアの目よりも濃い色をした碧眼は、少し暗い部屋の中、廊下からの逆光で影になって見えにくい綺麗な顔で唯一存在を主張するように光っている。
 どれだけ近くに居ても決して詰めない距離は、心の距離と比例してはくれない。
 お互いに向けていた視線から目を逸らしたのはカトレアの方だった。
「まぁ賢者だしね」
 本を入れるためだけにわざわざ灯りなど用意してこないので薄暗い部屋の中に言葉が落ちる。
 いつまでもこの部屋にいる用事もない。
 踵を返して部屋を出ると、やっぱりついてくる男も後ろから一緒に出てきたのを確認して、彼女は扉を閉めた。
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