朝食は軽く済ませたい 2

文字数 3,639文字

 居間にあるのは、部屋の中央の小さなテーブルと低い三人がけソファーが一つ、それらの足元には丸い形で文様が入った毛足の長い絨毯。良くある四角の室内の光が当たらない方の壁一面の本棚に、そのすぐ前にある大きすぎる一人がけの椅子と、火をつける照明。入り口の扉の反対の壁側に窓が一つと、本棚と反対の壁に絵が一つ。室内の壁は全て白の壁紙で統一されていて、窓には開いたままの緑のカーテン。窓ガラスは曇っていて空の色以外で外の景色はよく見えないが、ガラスの向こうにある細工模様の入った細かい鉄格子の存在だけはうっすら見える。
 一見良くある風な居間風景だ。
 鉄格子を除けば。
 飾り格子にしては腕一本通るかどうかも怪しいその鉄格子は、この家のすべての窓に嵌っている。
 しかしこの家を訪れる客は、まだ誰もその違和感を指摘したことはない。おそらく窓自体を見ていないと思われた。ここに来るような客は必ず全員それどころではない事情を抱えているから、全く気づかないのも致し方ないだろう。もし仮に窓のそれに説明を求められても、伝えて良い回答がないのでちょっと困るが。
 部屋には客である、見知らぬ青年が一人。
 ソファーの前で、座りもせずに居心地悪そうに佇む姿を見つけて彼女は微笑んだ。居間に数歩入った場所で立ち止まり、いつも通りの言葉を客へとかける。後ろでは、扉の辺りでさっきまで話していた男が黙って立っている筈だ。彼まで一緒に来る必要はないのだが。
「いらっしゃい」
「あ……貴方が、賢者様……?」
 それが目的で訪問して来たのだろうに、相手が彼女を見つけるとすぐ、不安そうに立場を確認してくる様子は、実は珍しくない。
 ここにやって来るほぼ全員は賢者との面会を目的に来ているものの「実際にどういう見た目の賢者がいるか」は何も知らずにやってくるし、自分が対面した時に予想と全く異なる外見の賢者が現れれば当然戸惑いもするだろう。
 多くの人々の中で想像される系統の賢者がどういう姿なのか、世俗に疎い彼女だって知っている。性別はともかく、まず大体は高齢だ。顔に皺を刻み、年齢からくる貫禄を漂わせた落ち着きのある老人を賢者と呼べば、誰だって何も思わずそうなのかと納得するのだろう。実際にこの国の賢者は高齢の者が多いので、その想像が間違っている訳でもない。
 しかも国が「何の不安もなく表に出せる」賢者は、やはり全員高齢なのだ。国民が主に行事で見られる実際の賢者たちは例外なく全員が高齢のそれなので、結果、印象は固定されるだろう。
 しかし彼女は、まだ若い。
 今の年齢を聞かれても即答出来ない程に普段から気にしてないが(それを背後の男がよく嘆いている)、賢者になったのは二十歳より前のことで、まだそれから十年は経っていない。
 その上、生まれつき体も小柄で童顔となると、全く化粧をしていなくとも(これも背後の男がたまに嘆いている)実際の年齢よりも若く見られる事の方が多いほどだ。今回の客にも、やはり実年齢よりは若めに見られている可能性は高い。
 外見というものは時に言葉よりも大事なもの。
 この部屋には鏡は一つもないが、もし姿見があって覗き込んだなら、そこには長い銀の髪をした青い目の女が映るだろう。
 もう何年も全くこの家から出ないので必要最低限の日光しか浴びないが故に白い肌と、日常的な運動不足による細い手足と、一般女性より少しだけ低い身長を持った、実年齢の割に童顔の女。美醜などは知ったことではないし、化粧は一切しないので華やかさはない。
 一応まだ誰からも醜いと言われたことがない程度には目鼻の位置と大きさが整っている顔、自慢にも自虐にもならない普通程度に胸が膨らんでいるし、単に切るのが億劫なために伸ばしているだけの長い髪もあるから、外見からでもどうにか女とわかるだろう。
 この家の中では、化粧してはどうかと後ろの男にたまに言われるが、他に誰も見ない顔をわざわざ塗りたくってどうする、と思う。それに化粧というのはその効果があるからこそ行うものではないだろうか。家から出ない彼女には特に効果など見込めないので、消費される化粧品の分だけ無駄な行為にしか思えない。性別を間違われない程度の見た目があれば十分である。
 まぁ御託を並べても結論は面倒だからの一言に尽きてしまうが。
 己の美醜はともかく、どう見ても若いこの姿形で賢者と言われれば、高齢の賢者しか知らない一般市民の皆様が不安を感じる気持ちは彼女もわかるので、その反応を不快に思うことはない。
 そしてこんな時に言える言葉もある。
「そう。貴方が”見えて”いる賢者よ」
 少し微笑みながらしっかりと相手に視線を合わせてそう言えば、ここに来るどんな客も、それを納得せざるをえないのだ。
 彼らは例外なく、自分が「普通の人間には見えない存在になっている」ことを理解した上でここに来るのだから。
 そんな己が見えて会話もできる彼女を、見た目のみで賢者でないと否定し続けられる者は少ない。
 今回やってきた目の前の青年もそんな数いる内の一人だったようだ。
「ああ、良かった、じゃあここで合っているんですね」
「そうね。貴方が自分を知りたいと思ってきたのなら、合ってるわ」
「探したんです……噂では知ってたけど、本当にあったんですね」
 彼女の名乗りに対して大げさなほどに安堵を見せる青年は、自分の短くツンツン跳ねた黒髪を照れたように片手でガシガシと掻きながら笑って言う。
 緊張が解けてきたのか出す声がはっきり大きくなってきたその彼は、服から出ている場所すべてが均等に日に焼けた肌に健康的かつ理想的な筋肉を持ち、常に肉体労働をしていそうな頑丈さと健全さを感じる外見をしている。切れ長で細めの目は黒く、太めの眉に彫りの深い締まった顔で、その見た目と言動から合わせて感じられるのは誰からも好かれる好青年といった様子だ。街で安価で買える良くある感じの動きやすそうな衣服で、この国のどこの街角にでもいそうな雰囲気をしている。
 背後にいる、彼女について部屋に入ってきた男とは色々と真逆である。
 こちらの男は程よく伸びたまっすぐな癖のない金髪をサラサラさせて、神の悪戯を疑う程に無駄に整った綺麗な顔に、どれだけ凝視してもシミひとつないキメの細かい肌をして、細めだが細すぎないしなやかな体躯を、一見普通の良くある形だが生地の良さだけは十分伝わってくる白のシャツと濃い紺色のズボンに黒のブーツで包んでいる。身長は客である青年と殆ど同じくらいだろう。誰がどう見ても美青年としか言えない嫌味な外見である。
 見た目だけなら、包みも含めて一級品な背後の金髪の男が貴族の食べる高級お菓子なら、目の前の青年は庶民の誰もに好かれる素朴な駄菓子という感じだろうか。
 別に異性を外見で値踏みする気は毛頭ないが、なんとなくそんなことを考えた。なお好みという部分で言えば、お菓子ならどっちも好きだし、異性はどうでもいい方だ。
 菓子で思い出したが、そういえばまだ朝食を食べてない。
 素朴な方のその青年は期待に目を輝かせて訊いてくる。
「じゃあ、助けてもらえるんでしょうか」
「勿論。貴方が望まなくとも」
 それに答えれば、今度は不思議そうにその青年は目を瞬かせた。言葉以上に外見で思考が表現される、本当に見た目通りの捻くれていない素直な性格の青年のようだ。嘘はつけなさそうだと思われる。ここに来てまで嘘をつく者はまずいないが。
 恐らく想定外のことを聞いたからなのだろう。これも珍しくない反応だ。
「望まなくとも?」
「そうよ」
「もし、俺がこの後、嫌だって言っても?」
「そうね」
 嫌がる相手は見た事ないが、もしも何かの事情で後から嫌がったとしても、ここに来た限り彼女は最後まで見捨てないつもりだ。それに関しては本人の意思すら無視する気構えである。
 それはここに来る全員に強いているものであり、今までも今後も、彼女が絶対に譲らない一点だった。やってきたからには、例え途中で本人が嫌がったとしても、どんな事情があったとしても、彼女はこの先の行為を止めたりしない。最後まで、行う。
 その結果がどうなるとしても。
 それだけは譲らない。
 彼女のきっぱりとした態度に何かを感じたのか不安そうに眉をひそめる青年に、その場で腕を組み、相手も知っているだろう事実を改めてカトレアは告げる。
「だって私は案内の賢者だもの」
 彼らがどこに行き着こうとも、最後まで案内をするだけだ。
 正義の使徒でも悪魔の使いでもない。彼らは彼女の案内を欲しくてこの家にやってくるのだし、彼女は彼らを案内し続ける。
 だが今はそれよりも先に大事な問題を片付けなければならない。
 いつもは部屋に入ればすぐに座るのだが、無自覚なまま入り口から動いていなかった彼女は、その理由を解決すべく客に対して希望を伝える。
「でもその前にちょっといいかしら?」
「はい」
「朝ごはんを食べないと上手く頭が動かないの。お時間下さる?」
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