昼前に休憩したい 1

文字数 3,944文字

 客に行き先を案内をする上で、カトレアは特別な力を何も使わない。
 と言うより、そういう系統の特別な力など全く持っていない。そもそも魔法や奇跡といった不思議な力を賢者は誰も持っていない。まずこの世界には魔法というものが存在しているかすら怪しく、それはもっぱら物語の中だけで語られるものだ。例外として、何がしかの神を頂く宗教では時折奇跡と呼ぶ何かが起こっているらしいと聞くが、賢者の大部分は無信教であるし、自分も例外でなく宗教を持たない。国も、賢者に特定の宗教にのめり込まれるのをあまり良い顔はしなかったりする。
 ではどうするか。
 案内に使っているのは賢者としての本質、彼女の頭脳そのものである。
 知識と思考、自分の持てる頭脳全部を使って行き先の解を出しているだけなのだ。
 そしてこの家から出られないので他の頭脳に頼ることもできず証拠を足で集めることもできず、本当に答えを己の思考で見つけ出さなければならないのだが、今まで殆ど困った事はない。例外を除いて、大抵の事態は意外にそれでどうにかなるものだ、というのがこの数年の結論だ。
 己を特別賢いなどと自惚れたことは思わないが、賢者を拝命してから困ったことも殆どない。
 ふかふかとした座り心地の一人がけの椅子で、失礼なほどにくつろいだ伸びを一つ。カトレアは椅子に座ったけれど、相手に椅子を勧めることはない。座るのも立っているのも自由に任せている。それでも、この部屋の椅子は、いつもこの椅子以外には使われない。
「最後の記憶はなぁに?」
 毎回客へ最初に尋ねる事は一部の例外を除いて同じだ。
 こればかりは導入として、余程の事がなければ変えられない。知るべきことは大体同じなのだから。
 その質問に対する反応は人それぞれで、今回の客の場合は問われて素直に考え込んで、少しの間の後に困った顔をして首を傾げた。そして申し訳なさそうに言う。
「それが、思い出せなくて」
「ふぅん? 何も?」
「何も」
 答えつつ困った顔のまま苦笑いするノーグは、おそらく質問自体を勘違いしていると思われるので、彼女は丁寧にその間違いを正す。
「今聞いているのは、あなたが今思い出せる『最後』のことよ? あなたがその姿になる前の『最期』じゃないわ」
「え?」
「そもそも私を知っててここに来たのだから、全く何も思い出せてない訳じゃない筈よ。貴方、さっき自分で私のことを噂で知ってるって言ったじゃない。そういう思い出せる何かの中で、貴方が一番最後に覚えていることを聞いてるの」
 彼らの大部分が自分が何か、というのは理解しているのに、それが当然に「いつもの状態ではない」という認識が薄い。本人的にも見た目変わったと「思っていない」からなのだろう。実際に私の目にも彼らは普通に見えているし、見た目だけなら普通の人と同じように映る。
 それでもやはり違うのだ。
 指摘されてから、あ、と呟いたノーグは再度ゆっくりと考えて、今度は求める答えを導き出した。
「えっと、朝起きた時に、隣の家の鶏が鳴いてた事ですかね。毎日そりゃもう変な鳴き声をあげるんですよ。普通とは違う鳴き方で、あいつを生まれた時から知ってなければ絶対鶏だとは思わないだろうなって思いながら起きるんです。それが、思い出せる最後、かなぁ」
 言いながら何か思い出しているのか楽しそうにあははは、と笑いながら語る内容は、本当にありふれた牧歌的な様子の日常で、それだけ聞けば何故こんな場所に来ているのだろうと不思議な程に何も変わったことがない。ここに来る客の大半はそういう平和な最後の記憶を持って訪れる。
 けれど客となった時点で、彼らは全員共通した状態なのだ。
 生身を持たないもの。
 霊。
 今は来客中ずっと壁に背中を預けたままで殆ど何も言わずに視線すらあまり寄越さない金髪の青年が、最初の頃こそ客が来る度に彼らを見ては痛ましげな顔をし、最近では何があっても極力感情を表に出さないようにしているのは、ここに来る客が全員何らかの事情によって自らの行き先がわからなくなった霊であるから。
 これはハーミットとは関係のないことなので前々から案内に同席しなくても構わないとは言ってあるけれど、それでも彼は毎回最後まで見守っている。
 案内の賢者は、霊に己の行き先を教える存在。
 歴代の案内の賢者が唯一持つ不思議は、霊と交流ができること。その姿を見て、会話が可能であるというそれだけ。はるか昔より存在している賢者でありながら、いつの時代もお伽話の噂から出ないのは、この普通の人とは分け合えないこの特殊性故。
 魔法などない世界で、霊と交流できる存在が普通である筈もない。
「俺、死んじゃったのかなぁ……?」
 困ったように呟く青年の姿は、幻と疑えないほどに全身はっきりとこの目に映る。
 多くの物語などでは殆どがはっきりしない形状だったり透けていたりするが、何かの偶然か神の悪戯で霊を目にしてしまった普通の人の視界にとってはそう映るものなのかもしれない。カトレア自身は己の視界しか持たないのでわからないが。
「それはまだわからないわ。それを知るために、貴方から話を聞くんだもの」
 霊と一括りにしても、実際にいるのは二種類。
 戻る身体のある生き霊か、身体が死亡した死霊か。
 案内の賢者はそのどちらかによって行き先を示すのだ。
 多くの人は霊になった瞬間、自分がどこに行くべきかわかっているという。そして死霊か生き霊かどちらかによって行くべき先は全く異なる。死霊ならば輪廻の渦へ、生き霊ならば元の体へ。その行き先を間違えれば、どちらにせよ彼らには消滅が待っている。戻る体のない死霊は死んだ己の体や別の生者に入ろうとすれば形を失い消滅、死の世界に行った生き霊は輪廻の渦に入れず弾かれ消滅する。これは絶対に間違ってはならない選択肢だが、一度選んでしまえば戻れない。
 普通は、わかっているところに向かうだけだ。だが時々、その大事な部分を忘れ、或いはわからないまま霊になっている者がいる。どちらかに行こうにも、どちらが正解か自分でもわからない状態で霊になってしまう者が。
 その場合でもなんとなくで行き先を決めたりしない。体験せずとも知っているのだ、間違えば消滅しかないことを。
 だから彼らは迷う。
 そして、噂を思い出す。
 噂の中にだけいる、行き場のわからない魂を案内する賢者の存在を。
 これを一縷の希望とばかり、彼らが訪れるのがカトレアの家だ。よく場所がわかるものだと思うが、霊は行きたい場所にはなんとなくいけるもの、らしい。そこで不思議と己の身体の確認に行かないのは、身体に向かうこと自体が最終的な行き先の選択になってしまうから本能的に避けている、のだとか。
「でも、こんな記憶しかないのにわかるんですか? 賢者様には何かそういう力があるとか」
 彼らにとっては、自分の行き先を確定するための大事な理由を貰う相手なので、相手が賢者だと理解しても尚、言動が慎重になる者が多い。今の客であるノーグもそうで、話をしている間にだんだんまた不安になってきたのか、声が小さくなってくる。
 仕方ないことだ。
 けれど、彼女は霊に対して嘘はつかない。
 よく聞かれるそれに、カトレアは天井を見上げながら答える。
「ないわね。貴方の話を聞いて、考えるだけよ」
「それって間違ったり……」
 余計に不安になったのだろう、恐る恐ると言った様子で、それでもノーグが言う。
 内心で彼女は自嘲して、椅子に深く背中を預けた。
 一人がけの椅子は背もたれ全体がふかふかしている上、かなり倒れている形なので、完全に後ろに体を預ければ自然、天井しか見えなくなるし、客には表情が見えにくくなる。けれど家に来る客は霊ばかりであるし、彼らの置かれた状況を思えば当然だが己のことでいっぱいいっぱいで、会話において目が合うことを重視しないことが多い。場合によっては目が合わない方がいいという者もいる。
 この無作法で無礼な姿勢も、此処においては意味があった。
 それに、思考を巡らすのなら、一番効率良い楽な体勢でいるのがいい。
「今の所、全員ちゃんと最後まで案内してるわよ? 行き先を間違えたことはないわね」
「何で間違えてないって分かるんですか?」
 彼は……彼ら霊は、こちらを責めたいのでも疑いたいわけでもない。
 ただ、安心したいだけだ。
 だからこそ嘘は言わない。例え今だけの邂逅だとしても。
「行き先を決めて、そこに向かった時の消え方が違うのよ。間違っていれば一瞬で弾けて消える。合っていればゆっくりと薄くなっていって消えるの。代々の案内の賢者全員、それで判断してるらしいわね。行き先があっていれば実際に消える本人が、ゆっくり消える間にそう教えてくれることが多いから、そういう判断になってるんだと思うけど」
「成る程」
 歴代の案内の賢者が積み重ねた案内の記録は膨大だ。
 それでも実際、本当に完全正解しているかどうかは消えた本人しかわからないし、一瞬で消える場合には正解してるかどうかの確認もしようがないのだが、その辺は賢者であってもどうしようもない。それこそ自分が死霊か生き霊になって間違ってみない限り最終的な証明は出来ないが、その際に間違って一瞬で消えれば結局誰にも正解を教える余裕はない。
 辛うじて、数少ない誤って案内したと判明した際の記録が、この説を裏付けるだけ。それだって事例が少なすぎて絶対の条件である立証とは成りえない。
 この部分は、生きている賢者に立証はほぼ不可能だった。
 結局彼女も、代々の賢者も、これが合っているという仮定でずっと実践しているのだ。絶対でないのは少し歯がゆいが。
 そんな説明でもノーグは納得したらしく、その表情に明るさが戻った。
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