夕方は気怠い 1

文字数 3,217文字

 その姿になるまでに、誰に何をされたのか。
 ……それは全く重要ではない。
 そんな捜査は警察や軍や探偵の仕事で、案内の賢者には関係ない。犯人探しをしても案内はできない。
 欲しい情報は常にただ一つ、今目の前にいる霊が、「今現在」生き霊なのか死霊なのか、ということのみだ。
 午前中に来たノーグは典型的な死霊だった。死んで身体から離れ迷ってはいたものの、己の心で思うままの姿をしていた。諸々の発言から合わせると明らかに老人である彼に生き霊である可能性はなく、行く先はすぐにわかった。
 だがノーティの場合は簡単ではない。
 やってきてから色々としてきた会話の内容からして、少女は姿と記憶に時代のズレはない。覚えている年中行事や国の政、大きな天候の変化、市井の話題、首都の状態に家の商いの状態などから考えても、今現在を生きていたのはほぼ間違いなさそうだ。そして本気で拒絶したい程の身体の記憶を、望まないままずっと引きずっていることから見ても、生き霊である可能性が高い。
 今も身体が生きていれば、だが。
 この手の、おそらくであるが互いの了解のない性的な行為、可能性として単なる性犯罪に巻き込まれた場合に、最悪なのが「誰かに襲われた時に生き霊になり、その後身体が殺されている」事だった。ノーティの場合は家が裕福なため、身代金目的の過程で何かされたという可能性もあるが、それならばまだ生存の可能性は高い。どちらかというとそれ以外の犯罪や行為の方が問題で、目的の行為が終わった時に口封じや、あるいは性的嗜好や娯楽の延長で被害者の命が奪われる、というのは起こりうる話で。
 だがそうなると「どう見ても生き霊の特徴をしているのに実際には既に死霊になっている」という状態が発生してしまう、のだ。
 霊が抜けた後の身体を殺されれば、元は生き霊だろうが今は死霊である。
 これは病気や事故などで生死をさまよっている時に生き霊になった場合にも起こりうる事だが、この系統においても案内先を間違える事は出来ない。霊になった当時でなく、今現在の身体を前提に彼らの行き先を案内しなければならない。故に、記録に残っている歴代の案内の賢者はこのような場合、元の体の状態を確認した上で行き先を決めている。
 この系統では客全員、少なくとも同じ時代に身体がある誰か、なのである程度情報さえあれば現時点の身体に関して調査は難しくないから。
 しかしカトレアにはその手が使えない。
 こんな時ばかりは今の状況が恨めしくなる。
 行き先だけなら、この家を出て少女の家にでも向かえば簡単にわかる答えだ。しかしこの家を出たら最後、彼女の命は遠くない未来で確実に奪われる。その命令を出しているのはこの国の王。家という檻から抜け出すという明確な反逆行為にかけられる追っ手から逃げ回れば、捕まり処刑されるまで多少の時間稼ぎは可能だろうが、もし本気で逃走しようとしても国から出る前には捕まり殺されるだろう。それまでに己の潔白を示す機会など与えられる位なら、まずこの状況にはなっていない筈だ。
 頭脳があっても肉体派ではないから出来ることは限られるし、頭脳ですらそこまで過信していない。協力者がいるわけでも無いから、できる行為は限られているし、逃亡するにはあまりに国境が遠すぎる。
 それはいい。
 殺される前に目的を成せば、施政者の身勝手で死ぬこと自体をどうこうと思うことはない。
 よくあることだ。不運を嘆く気すら起きないほどに。
 ここにきて問題は、この家を出るときまでに「ある謎」を絶対に解いておかなければならないことだった。それを解き「あるもの」を見つけ出し、追っ手に捕まる前、それこそ死ぬ直前で構わないからその元へ自らが着かなければ、処刑の実行で奪われる命が増える現実だった。自分だけなら好きにできる命の用途も、他の命が関わればそうも言えない。
 回避するためには、謎を解き、あるものを見つけ出し、更に最低限そこにたどり着くまでの計画が出来てからでないと。いたずらにこの家を出て得られるのは最悪の結果しかない。仮にどうにかしてノーティの命が確実に救えても、同時に自分以外で確実に失われるものがあっては意味がない。
 だからカトレアは家を出ない。
 まだ、その謎は解けておらず、もちろんあるものの場所だってわかっていないのだから。
 故に、彼女は全てのことを、この家で解き明かすしかない。
 何年もこの家で案内を続けているのはその為で、だがそんな危うい状況でも案内を止めないのは己の身勝手だとわかっている。
 己で選んでいる現在を嘆く気は全くないが、いつかこの身勝手な選択のツケを訪れる客の誰かが支払うことになったら、と思うと緊張が消えない。本来そうやって案内の賢者が命の優劣を決めるべきではないし、その部分で責められれば何時だってこの地位を返還する。だが、こうやって虜囚として命が長らえているのも、賢者という地位のお陰で。
 時折、投げ出したいと思う。
 早く全てが終わればいいのに、と。
「そうですねー、賢者様も早く終わらせたいっすよね」
「……えぇ。貴方が行くべき所で早く落ち着けるようにね」
 悪い癖で、考えの一部が口から出ていたらしい。
 少女の表情からして恐らく最後しか聞いておらず、しかもそれを良い方向に誤解しているらしいので、訂正はしないまま便乗しておく。便乗とはいえ嘘でもなく、これも本音だから構わない。
 こんな身勝手な己の本音を晒して信頼を失くす利点はないだろう。
「アタシは別に、まだそこまで急いでないっすよ?」
「いいえ。あまり長く時間をかけると貴方消えるわよ。今消えたら、もし死んでたら次がなくなるし、もし生きてたら身体も死ぬから最悪でしょ」
 指摘すれば、驚いたのか少女が目を丸くする。
「あー、そっか。まだ生きてる可能性あるんだ」
「そうよ」
 あまり期待を持たせることもできないのでさらりと流した。
 霊の案内に長時間はかけられない。
 彼らは霊でいる時間が限られている。死霊だろうが生き霊だろうが、どんな霊でも数日保てばいい方で、それ以上はいつ完全に消えるかもわからない。ノーティがこの家に訪れるまでにかけてる時間を考えれば、1日どころか数時間で行き先を案内をする位が丁度いいのだ。
 もし少女が生き霊であったとして。
 戻る霊を失った身体は遠からず死ぬ。
 生き霊が消えれば、例え身体がその時は生きていても、近いうちに心臓が止まってしまう。どんなに医学的な対処をしてもそれは変わらない。霊がいない身体は、本来中にあるべき霊を戻す以外に、目覚めさせる術も生き延びさせる術もない。
「そだね。できるなら、まだ生きてたい、なぁ」
 思わずだったのだろう。ぽつん、と少女がこぼした本音。
 死ぬにはあまりに早すぎるし、死にたい理由のある生活はしていなかった。当然の希求だろう。
「もし……身体が、貴方の思う状態じゃなくなってたとしても?」
「………………うん」
 そこで暗に胸元の衣服のような、そういう可能性を指して問えば、ちょっとだけ間があったけれどもノーティははっきり肯定した。ぎゅっと握りしめた小さな拳が震え、けれども茶色の目が負けじと強い視線を向けてくる。
 一度だけ唇を引き締めた後、心の中を全てさらけ出すように話し出した。
「そりゃアタシだって理想はあるけどさ、でも何だって不慮のナントカって、あるじゃん? 覚えてないけど自分で望んだんなら仕方ないし、もしもっ、望んでなくてされたんなら、それだってアタシが悪いんじゃないでしょ。そのせいでアタシが死にたいと思うのは違うし、もしそーいうアタシを汚いっていう奴はこっちから願い下げだもん」
 一気に話した後に、自分で自分の言葉に納得したいのだろう、うんうんと頷いている。
「それは貴方の信念?」
「信念っつーか、うーん、本音?」
 あんまり難しく考えてはないんだけど、と少女は少し照れ臭そうに微笑んだ。
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