寝る前にその日を振り返りたい 1

文字数 3,890文字

 見ないようにしながらも、ついてこないという選択肢もないらしい。
 もちろん部屋の外で待つという選択肢もない。
 本当にこの世にはおかしな男もいたものだ、と彼と知り合ってから何度も思う感想を今日もカトレアは思いつつ、二階の寝室まで辿り着くとすぐに明かりをつけた。同じく一緒に部屋に入ってきた彼は、壁際に寄って近づいてはこない。
 明かりをつけた後はすぐ体を覆っていた布をばさっと落として寝間着に着替えるのを、さすがに今度は予想できていた男はこちらに背中を向けて待っている。
 他の部屋同様、この部屋もカーテンなどを閉めていないのだが、どんなに大胆に脱ごうとも立つ位置さえ気をつければ外から見られることはないので生活する上で特に問題ない。監視役の性癖によってはそんなこと関係なくお楽しみがあるのだろうが、不確定な細かいことまで悩んでいては何一つできなくなってしまう。
 この世には想像を絶する性癖があるのだ。個人の脳内で楽しむ限りは気にしない方がいい。
 数日に一回洗濯するが毎日は服を変えないので、朝着ていたものと同じ寝間着を身につけた所で、音で判断したらしいハーミットが振り返る。毎回そこで間違えず遅れず振り返ることができるなんて、着替え中の音にどれだけ耳をすませていたのかとからかいたいのをぐっとこらえる。
 この後は大事な作業があるから。
 遊ぶよりも落ち着いて集中したい。
 カトレアだって、時に真面目になるのだ。
「もう寝るんですか?」
「今日の記録をつけ終わってからだけどね」
 壁際から近づいてくる男。
「あ、そうでした。今日は二枚ですね」
「そうね」
 客が来た時は、常にその日中に、案内した内容を記録に残す。代々の案内の賢者がしてきたそれを、もちろん彼女も受け継いで続けていた。その行為に、後世のためなどという大それた意識はなくて、単にそれは己の記憶力を完全に信じているからではない証だった。恐らく過去の賢者もそうだろう。
 人の記憶は、どんなに賢いとされる者でも完璧ではない。主観によっては歪むこともあるし、長く使わない時間が続けば思い出せなくなることもある。
 己自身ですら絶対の信用をすべきではないのだ。
 毎回案内する客の事情や行き先は個々で変わるし特定の傾向などほぼない為、それを残すこと自体にはあまり意味はないが、霊という存在がどういう風に存在しているかという点などの「性質」ならば、過去から培った資料こそ役に立つ。生身の人間とは異なる反応や、できない行為のある霊の性質を知っておくことは、案内において重要だ。
 何も知らずにいるよりは。
 自戒も含め、カトレアも来客の記録をある程度、詳細に残す。
 作業場所がベッドの上でも、行為は真面目だ。
 ベッドの脇にある膝上ほどの高さの棚から、記録に使用している紙の一枚を取り出した。
 本来なら記録ならきちんと綴じられたものを使用するべきなのだろうが、案内の賢者は代々一枚の紙に一人の内容を記す。例えそれが一行だろうが裏表に渡ろうが変わらない。書いた後も綴じたりはしない。書き切れなければ紙を糊でつなげてでも一枚にする。
 その理由ははっきりしていないが、恐らく案内相手によっては「決して残してはいけない記録」が存在する辺りが原因なのだろう。最初から綴じられたものに記すと、そういう記録が発生した際、後から破いて除かなくてはならない。それをしてしまうと不自然な頁が残ってしまう可能性が生まれるのを恐れたのかもしれない。えてしてそういう不味いもの程、不自然な状態を残すべきではない。
 綴じられたものを綺麗に取り除くという方法もあるのだろうが、綴られた中で特定の一枚或いは数枚が抜けるというのは、どんなに綺麗に外したとしてもそれだけで不自然さは残るものだ。手間に対しての効率は良くないだろう。しかも綴じたものでは書く内容が多くなった時の管理が面倒になる可能性もある。
 可能性は低いが数十にわたる内容だった場合、それだけを抜いたら本当に違和感しか残らないだろう。
 最初から記録の全てが一枚紙なら、その一枚だけを燃やすなりして無くしてしまえば不自然さは残りにくい。一枚紙の中の何かが消えても、乱雑に積み上げられただけの紙の束の一枚では、それがどれだけ折りたたまれた分厚いものであったとしても、除いた後もやっぱり乱雑な紙の束でしかないのだ。
 賢者が、想定しない相手に関してそもそも最初から記録を残さない、という選択肢はないが故の一枚紙。
 そこで何故と思うのは野暮というものだ。
 己で記録を管理している限りは「何か」のために最大限全部を残し続けるのが賢者である。もし危険な何かを始末するとしたら、それを己が管理できなくなるときだけだろう。
 知識は時に力になることを賢者は誰より知っているからこそ、得た知識を簡単に捨てない。そういうものだ。
 カトレアの場合、捕まる際に何の予告もなく捕らえられそのままこの家に放り込まれた故に、この家に来る前の記録は持ってこれなかった。歴代の賢者のものも含めその時までの記録は全て前に住んでいた家に残っているが、見つからないよう厳重に隠してある。貴重品に間違われることもないよう、金庫の中に入れたりもしていないので、仮に泥棒が入ったとしても唯の意味不明な紙の束として見逃すことだろう。
 この家を出るときに今ここにある記録の方を持っていけるかどうかはわからないが、もし持って出られないならば家を出る際に全部燃やし捨てるだけだ。
 記録は守られるべきものだが、同時に管理されるべきもので、時には容赦なく破棄すべきもの。
 それが出来ないのなら、最初から知るべきではないだろう。知らねば良かったという知識を己で破棄するのも賢さというものだ。知らない頃には戻れなくても、知らないふりは出来る。
 ベッドの上に座り、いつも使っている台紙を膝の上に乗せて紙を置き、羽筆に墨をつけると今日の一枚目を書き始めた。
 今日の一人目、ノーグ。
”ノーグ、死霊。本人の記憶と書籍による実際の記録により判定”
 つらつらと、思い出しながら書いていく。
 慣れてしまった作業は、考える前に文字を紙に散らしてくれる。
”外見上は二十代程度の青年男子。推定で五十代以降の年齢。
近年では獲れなくなった野菜を栽培。約三十年前の流行りのコートの話題。この数十年降っていない春先の雪と、近年で未発生である一週間続いた大雨。現在は既にない大商店で買い物。三十二年前の日蝕。三十五年前の流星。これらの本人の記憶と実際の記録はほぼ一致。本人の中で流星は最近の出来事であった。外見と記憶の時期と、今現在の齟齬より、死霊と判定。案内に問題なし”
 ここで書くのは、客の外見、案内をした際に会話の中で手掛かりとなった部分と、案内の結果。
 この記録を書くにあたっては、特にこうするという決まりごとはない。
 賢者によっては案内の結果だけだったりする。
 全体としては、案内に関わったいろいろな情報を説明の中に詰め込んで、それなりに毎回長文になっている賢者の方が多い。
 カトレアも、未来の自分が読み返した時にある程度詳細を思い出せるように気をつけて書いている。次世代の案内の賢者のことまでは考えていないが。
 この記録を書く間、いつも金髪の青年は目の前に立って、おとなしく覗き込んでいる。その目はじっと紙の上を滑る筆を追いかけ、そして時々独り言のように言葉を漏らす。
「貴方、よくこれだけ色々覚えてますよね。こんな昔の流行りのコートとか潰れた商店とか」
「記憶なんて関連づけていけば意外にどうにでもなるわよ。別に歴史全て暗記するわけじゃないしね」
「え? 歴史は暗記しないんですか?」
 彼は意外そうに言うが、全く意外ではない。
「来る客が死霊にしろ生き霊にしろ、彼らは長々と世界に残ったりしない。数日で消えるのよ。だから結局、今のこの時点の人しか来ないのよ? 人の寿命は未だ百を超えない。そんな相手の行き先を案内するのに百年前の話とか役に立つわけないじゃない。だから歴史なんて有名な部分を常識程度に知ってればいいし、必要ならその時調べるだけだわ」
「なるほど」
 行き先がどっちであれ訪れるのは、今身体から離れた霊しかいないのが現実。
 これが物語であれば、恨みだか何かで長く何かに縛られ続ける霊がよく出てくるが、実際にはそんなものはいない。
 過去の亡霊なんていたら今頃案内の賢者は政府にもっと珍重されていることだろう。歴史上いかにもそういう亡霊が多く発生しそうな場所はだいたい政絡みだ。その彼らが案内の賢者を全く重視してないあたり、被害などない証拠だろう。生き霊や死霊絡みで知ってはならない情報を得る可能性は稀にあるものの、それを安易に漏らす者は賢者になっていない。
 歴代の賢者が、どこかで案内にて得た情報を使っている可能性はあるが、足がつくような使い方は誰もしてきていないから、案内自体は脅威に思われていないのだ。ここに閉じ込められても私の案内自体を禁止してこないのがその証拠だろう。
 禁止する方法が思いつかなかっただけかもしれないけれど。
 なんにせよどんな霊も放っておけば一週間残っているのが限度なのだ。それだって場合によっては三日も保たない場合があるという。世界にいつまで残れるかどうかは、霊自身も賢者も全くわからないが、記録上、短いことはあっても長く残ることはない。
 案内の賢者はそれを知っているから、自分の前に訪れた客を決して無闇に待たせないのだ。
 今日の朝の食事のように、そんな決め事や事象にだって例外はあるが。
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