アタる話

文字数 5,274文字


くじ運、というものについて、自分はわりといい方なんじゃないかと思っている。

そう思い込むための理由として最も古い記憶は、小学生の頃に母の実家近くにある銭湯へ行った時のことだ。風呂上がりに銭湯の玄関に設置された自販機で、缶ジュースを買った。どれにしようか散々悩んだ末にクリームソーダを選んだ私がボタンを押すと、缶が転がり落ちる音に続きピロピロと派手な音をたてて「あたり」ランプが点滅した。近頃はあまり見かけなくなったが、当時の自販機は「当たりが出るともう一本おまけ」というアソビ機能がついたものが多かった。まさにその「あたり」が出たのだが、田舎者の私には咄嗟に何が起きているのか理解できなかった。自販機の発する音と光に打たれるまま、人生初の事態に呆然としていると、もう一本もらえるんだってと一緒にいた従姉妹が教えてくれて、それじゃあと律儀にもう一回、クリームソーダのボタンを押した。

どんだけクリームソーダ好きだったんだ、というツッコミは置いといて、果たして転がり出た缶を取り出してみると、飲み口のところが見慣れない形をしている。不思議に思ってよく見ると何故だか五十円玉が一枚、プルタブに挟まっていた。どうやらお店の人が商品補充の際に遊び心で入れてくれた「おまけ缶」を、幸運にも無料で手にいれてしまったらしい。人生初の大当たりの記憶はこのようにささやかで、ぺたぺたと甘く毒々しい緑色をしている。


その次の「記憶に残る大当たり」は、それから約十年後に訪れた。
商店街の歳末福引セールというアレである。お歳暮を用意するためお使いに出され、商店街にある海苔問屋で買い物をすると、抽選補助券というものがお釣りと一緒に渡された。ガラポンを一回しする権利を得るためには十枚の補助券が必要であり、まあまあレートは辛かったがどうにか五回のガラポン権を獲得した、そのうちの一回で特賞を当てたのである。トレーにぽろりとこぼれ落ちた白い玉を見るや、派手な法被を着たおじさんが鐘を振り回し、特賞が出たことを高らかに宣言した。

三等の有田みかん一箱、これは柑橘好きには嬉しいが、自宅まで一人で持ち帰るには重い。二等の青森りんごジュースギフトは1リットル瓶が3本入っている。当時はガラス瓶だからこちらもそれなりに重い。一等魚沼産コシヒカリ30キロはもう自力では持ち帰れない。どうしよう、家に電話して誰かに迎えに来てもらおうかと焦る私に、おじさんはハイっと封筒を手渡した。特賞「五木ひろしショー・ペアご招待券」である。

……良かった。軽い。しかしながら当時世はバンドブームの真っ盛り、ヤプーズと筋肉少女帯を愛する17歳の私の心は重かった。みかんか、せめてりんごジュースなら自分も楽しめたのにというのが本音だ。だが補助券は母の買い物による副産物であり、私は所詮「代打ち」に過ぎない。報償は「よくやった」という家族の賞賛のみで手を打つことにして、ご招待券は祖母と叔母の手に渡った。新橋演舞場から戻った祖母が「よかったわよぉ、坂本冬美ちゃん(特別出演)キレイだったわぁ〜」と、ご機嫌で帰宅してくれたことがせめてもの救いで、あれが私が唯一してあげられた祖母孝行だと言える。


それ以降、記憶に残るような大当たりが私に訪れることはなかった。
きっとどこか別の場所で運を使い果たしているのだろう。そう思っていた十年前のこと、久しぶりに自分のくじ運を試されるときがやってきた。ふと東京地方裁判所から「裁判員名簿にあなたの名前が載りましたので覚えておいてね」というお知らせが届いたのだ。

裁判員裁判は、あらかじめ翌年に行われる裁判に召喚する裁判員の候補者を、その前の年にくじで選んで名簿を作成する。名簿に載ったから必ず召喚される、とは限らない。事件ごとにまたその名簿から、くじで候補者を選び、裁判員を選ぶための集まりに来てください、というお知らせが郵送されるのである。その名簿に載ったからヨロピクね、というお知らせであった。
その事実を忘れていた翌年の秋、ふとまた裁判所から召喚を知らせる封書がとどいたのである。どうやら事件が発生し、その審理のために裁判員が必要だということらしい。

これは正当な理由なく断ることはできず、病気や介護その他で出頭できない人はこの段階で除外される。最高裁のホームページによれば、この手紙が約70名に送られるらしいが、東京地裁と他の裁判所では諸般の事情が違うのか、私の時は90名が対象になったと聞かされた記憶がある。そして指定日に地方裁判所の一室に集められ、そこに集まった人たちに最終確認を済ませたのち、その中から「コンピューターによる無作為」のくじ引きをして6名の裁判員、および2名の補充裁判員(長期に渡る審議の途中で、裁判員が継続できない事情が発生した時に、すぐに欠員を補充できるようにするための補欠的役割)計8名を選び出すのである。部屋の前の方に大きな液晶モニターが据え付けられており、各人割り当てられた二桁の数字が6個表示されるのだが、それが「コンピューターが無作為に選んだ6人」ということになる。

なぜか私にはこの時「自分が当たる」という確信に近いものがあった。まあ少なく見積もっても50人以上は集まっているだろうと思われる人いきれの中で、何の根拠もなく、である。だから自分の割り当てられた番号がモニターに表示された時、マクドナルドの商品受け取り口で、レシート記載の番号が点灯したというくらいの感覚しかなかった。


都合3回のくじ引きに当たって関わることになった裁判は、予想を超えた盛りだくさんの内容だった。
別れ話のもつれから、被告人Aが交際相手を複数回包丁で刺し、被害者はスキを見て逃走。被告人Aはマンションから飛び降り自殺を計るも未遂となり、救急搬送されたのち逮捕起訴された、という傷害事件の裁判である。情報がこれだけなら、昭和のもっと前からありそうな刃傷沙汰である。だがこのカップルは同性で、片方に結婚願望が芽生えたことにより、異性の相手を求めて別れ話になった、というあたりは極めて現代的な「事件発生の経緯」と言えるであろう。

ここで別れてしまったら再び相手を見つけることは、異性間よりもはるかに難しいという絶望感が被告人の中で暴発してしまったのだろうか。キッチンにあった包丁を発作的に持ち出して……ということかと思いきや、当時二人が暮らす部屋のキッチンに包丁はなかった。別れ話を切り出した被害者が、被告人の精神状態があまりよろしくないことを察知しており、最悪の事態を回避すべく、自宅にあった凶器になりうる刃物類を事前に隠していたというからスゴい話である。ある意味この被害者も、ロクのように寸分先を予見することができていたわけだ。しかしその策むなしく、被告人は別れを切り出された後、近所にある某大型量販店で刃渡り18センチのヘンケルスを購入して凶行に及んだ。

裁判は専ら適応する罪状について、検察と弁護側が争うことになった。
被告人および弁護人の主張によれば、殺意はなく「ちょっと痛い目みせてやるくらいのつもり」であり、要するに傷害罪の適応を求めているのだが、実際起きた事象と証拠を見る限り「イヤイヤ、殺す気たっぷりで殺人未遂に該当するでしょ」というのが検察の主張である。
裁判は荒れた。何が荒れたって、被告人が審理中に「自分には複数の人格が存在し、他の人格のしたことに責任は持てない」という大技をくり出してきたからである。ついに東京地裁にもビリー・ミリガンの降臨か? 不謹慎にもひとりワクワクする私の目の前で、他の人格を呼び出すという被告人の様子を固唾を飲んで皆が見守った。するとどうだろう、声や仕草があきらかに変わった! ……などということはもちろん起こらず、ただただ被告人は「自分は◯◯◯で、それは△△△のしたことだ」と主張するばかりだった。


そうして裁判は精神鑑定医が証人として出廷する事態に発展した。
被告人の主張によれば都合8名の人格が存在するらしいが、医師はそれらが相互に意思疎通することは可能な状態にあり、完全に独立した人格が存在するとは言えず、被告人に軽度の精神遅滞と情緒不安定性パーソナリティ障害があることは認められるが、それによって「自我機能が弱く、自己の内面をうまく調整することができずに複数の人格がいると思い込んでいるだけ」と結論づけた。
だが被告人は相変わらず自身のことを◯◯◯や△△△であるとして、Aという本名が出てこない審理が続き、そのことにモヤモヤとした私は公判の最終日、被告人に尋ねてみることにした。Aさん本人の存在が曖昧なまま何かを決定することに私は不安を感じていたが、それを払拭するチャンスは今しかないし、被告人にとっても弁明したいことがあるのなら、これが最後の機会になるはずだ。

私が「あなたは誰ですか」と尋ねると、被告人は「◯◯◯です」と答えた(この◯◯◯や△△△には某アニメキャラと同じカタカナ名前が入る)。「Aさんはどこにいるのですか」と質問すると、被告人は「『バイバイ』って、どこか行っちゃった!」と答えたのである。

「いねぇのかよ! あんたのために毎朝地裁まで通って、夕方から出社してメール確認して残業して、家に帰って家事やって、こっちがどんだけ労力費やしてると思ってんだよ!」という恨み節が喉まで出かかったが、さすがにそれはただの愚痴というものだ。
8人もいるという人格の誰もが、そうやってA本人を無視しているのかと思ったら何故かこっちが泣きたくなってきた。私は「◯◯◯さん、あなたはAさんのことをどう思いますか」と聞こうとした。だがその時隣に座っていた裁判長の、焦りまくった視線が私を押し留めた。これはもはや審理すべき事件の本筋からは逸脱している。ここから先は心理カウンセラーと被告人が個室内ですることで、法廷でおこなうべきものではない。

つまり私たちは「そこに存在しないAさん」のために日々を東京地方裁判所の一室で過ごし、議論を重ね、証拠を照らし合わせていたのである。
猛烈な脱力感に見舞われたのち、我々は判決文を考えることになった。
結果検察の主張する、殺人未遂罪の適応により求刑懲役十年をほぼ呑む形で、そこから被告人の軽度の精神遅滞と情緒不安定性パーソナリティ障害を差し引き、情状証人として出廷した被告人の家族の様子を鑑みて、求刑から二割引された懲役八年、凶器となった包丁の没収という判決が出された。後日連絡によれば、この判決に対しての控訴はなく確定したとのことで、Aさんも満期であれ仮であれ、今となってはもうとっくに出所しているだろう。


さて。
人は誰しも心の中で、ひとりツッコミひとりボケくらいはするだろう。だがそうするうちに本当に人格が別れ、一つの体に別の思考と意思が宿ることはあるのだろうか。そんなふぁんたじいは昔から多数存在するが、それを書いてみたいと思ったことはなかった。なかったはずなのにコレである。さすがにいきなり8人はやりすぎだ。まずは謹んで最小催行人数の二人から始めようじゃないか。そう思って姉の身体に弟を同居させ、一人の男を共有するというキメラが生まれた。

「楽天地」は前作である「ビター・スウィート・サンバ」に出てきたアニキについて、その前日譚でも書いてやろうかという、非常にゆるい動機で始まった。いつものことなのだが、主人公を凌駕するインパクトのあるキャラが出てしまうと、こいつ一体どこから湧いて出てきた? と不思議になり、それをテーマにもう一作書くハメになる。今回もそういういつものパターンで、保科と、保科に将棋を教えた師匠のことを書こうとしたのである。だが、描き出したら保科はそっちのけで、年寄りの静かなる復讐劇になってしまった。まったく、我ながら驚くほど自制の効かない筆である。

老人が貝毒を利用して、人を殺してどこかへ去ることにしよう、ということだけを決まり事にして書き始めたが、たとえフィクションであろうとも、人間ひとり殺すには殺すなりの理由が必要だ。「だれでもいいから殺したかった」では当世ありがちな通り魔殺人になってしまう。そこに注力していると話が妙な方向へ転がり始めた。気がついた時にはもはや保科の物語ではなくなっていたが、この際構うものか。それはまた別の機会にでも組み立ててやろう。そう思い切って保科には「ロクじい」という人物の存在を証明する役に徹してもらうことにした。
その結果「牡蠣にあたって口を封じられた政治家が引退する話」になったので、当初の決め事すら守られていないことになる。実に嘆かわしいばかりだが、古来『つける薬がない』といわれた、オソロしい不治の病に侵された筆者のすることとご海容願いたい。

いつもながら最後までおつきあいくださった読者の皆様に、心からの感謝と、私の放った文字(毒矢)に当てられていないことを祈念して筆を置くことにする。それでは皆さま、またいつかどこかで。

2023年 流矢アタル

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