ミホとアキ

文字数 4,689文字


すっごい当たるんだって。だからミホも一緒に行こうよ。
そう誘われてもあまり気乗りしないのは、これが初めてではないからだ。まだ見たことがない、まだしたことがないというだけで、未知の何かに興味が湧く年頃ではあるが、ついこの間も同じような口上で誘われて、占い師のサロンにつきあったばかりではないか。

同じ高校に通うクラスメイトのアキはいつでも恋を抱えていて、その相手との行く末を先読みしたがる。雑誌の西洋占星術コーナーを毎号欠かさず読み、相手の生年月日を手に入れれば、それを使って相性や開運のための情報をかき集めることに余念がない。
お願いだからつきあってと拝み倒され一緒に訪れたマンションの部屋で、黒い天鵞絨を敷いたテーブルと、その向こうにいる占い師を目の前にして椅子に座る。アキが心ゆくまで掻き回したタロットカードが占い師の手でまとめられて、意味ありげな形に並べられた。伏せられたカードをはらりはらりとめくりながら、占い師はカードに描かれた中世絵画風の絵解きをしつつアキの表情を見極めている。それを横で見ているだけのミホもまた、占い師の言葉に一喜一憂するアキを見つめ、それから傍に掲げられた料金表をチラリと眺める。
恋愛、進路、健康、仕事。細目ごとに分類され、いずれ来るかもしれない未来を知るために、その対価が掲げられている。この料金が安いのか高いのか、いつもつきあわされるばかりで、隣に座ってアキの様子を見ているだけのミホには、他の行為と比較することでしか知りようもない。この金額で何が買えるか。どんなサービスを受けられるか。たとえばこの金額で食事をしたなら、未来を覗き見ることは食事を終えたあとの満足感に勝るのだろうか。

管理栄養士をしている母はいつも、ミホに食べるものの大切さを語って聞かせる。
あなたが食べたものであなたの体はできている。思考はその体に宿るものであって、精神の土台になるもの。曰く「健全な精神は健全な身体に宿る」というのがいつでも母の主張するところだ。今ではすっかり誤訳だということが知れ渡ったはずのローマ人の言葉だが、情報を更新するよりも職務を全うすることに日々精魂を込める母には通用しない。そんなわけだからアキも母の主張を受け入れ、概ねその通りだと思うことにしている。要するにミホは当たるか当たらないかわからないお告げに幾らか払うより、そのお金でもっと確かなものが手に入るのならそちらを選ぶタイプだ。


ヨシイくんとのことは、この間カードで占ってもらったばかりじゃない。あれじゃまだ足りないのとミホが言うと、アキはカバンからあれこれ挟み込んでパンパンに膨れた手帳を取り出し、その中からスナップ写真を取り出した。どこの学校だろうか、ジャージ姿の男子が数名ひとかたまりになって写っている。

「右から二番目のひと、タイチくんっていうんだけどさ。この間の地区大会の相手チームにいたの」

アキは男子テニス部のマネジャーをしていて、そのついでとばかりに男の子たちを物色してくる。この間のタロットカードで占っていたのは同級生の吉井くんとの相性だったはずなのに「もうそっちはいいの。やっぱり私とはあまり相性よくないみたいだし」の一言で片付けたところをみれば、きっとデートでアキの気に入らないことでも起きたんだろう。深追いすれば愚痴につきあわされるから、ミホはさりげなくヨシイくんの話題から遠ざかる。

それで今度はどこまで行くつもりなのとミホが尋ねると、アキは繁華街近くに架かる大きな橋の名前を口にした。常盤橋は大きな石造りの欄干を備えた歩行者専用橋で、幅広い橋の上にはいつも屋台のラーメン屋が出店している。繁華街で飲み歩きシメの一杯をここで済ませる、あるいは客商売の合間に夜食を摂りに来る、そういう人が夜通し行き交う橋の袂は、どう考えても若い女の子が出入りするような場所ではない。
そんなところに行きたがるアキを、一人で行かせるのもどこか心配になったミホは、親には互いの家に遊びに行くと言いくるめて、二人揃って夕暮れの街へと足を向けた。

その橋がかけられたのは昭和の初め頃らしいことは、欄干に刻まれた日付から窺えた。歩道と車道が分離されてはいるものの、耐震補強に難があるという理由で今は歩行者専用橋になっている。だから車道まで広く使えて、その上でラーメン屋の屋台が店開きをする余裕があるのだ。数少ない席が一杯になれば、客は石造りの欄干をテーブルがわりにして立ったまま、あるいは歩道の縁石に腰を下ろしてラーメンを啜る。その橋の袂に小さな卓を広げ、和服を着た初老の女が一人座っていた。
小さなテーブルには何が載っているわけでもなく、ましてや看板があるわけでもなかった。ただろうそくを入れた小さな灯篭に書かれた「占」という文字が揺れているだけで、あとは何の情報もない。臆することもなくアキがその年配の女性に声をかければ、少し嗄れた声の返事が戻ってきた。ミホの母よりは年嵩で、祖母よりは若く見える占い師は、アキとミホを見ると側に置かれた折りたたみイスを開いて、二人分の席を作ってくれた。


小さな木札に鏝で焼印をつけたものを卓に乗せて、それを切り混ぜては積み上げ、また積み替える動作のあとで数枚を選び出し、女性はアキに占いの結果を話して聞かせている。ミホは聞くともなくそれを聴きながら、ふと動かした足が何かを踏んだ。
話に夢中になっているアキの邪魔をしないようにそっと地面を見ると、木札が数枚地面に落ちている。占いに使っているものと同じだ。本当ならさっき札を切り混ぜた時に一緒に卓の上になければいけないものではないのだろうか。占い師に伝えるべきだと思いはするものの、二人が会話に没頭していて、その腰を折るのも気が引ける。もし本当に必要なものが欠けていた状態で出た占いの結果だとするなら、さぞや気まずいことになるだろう。占い師は恥をかくことになるし、アキは興醒めして機嫌を損ねるのが目に見える。

それにしてもこの占い師とアキはよほど気が合うのか、タロットカードで占うサロンに行った時よりも会話ははずみ、アキの表情は明るくカラカラとよく笑う。誰かと楽しく話ができるなら、それも占いという商品のうちに含まれるかもしれない。彼とデートするならどこに行きたいかと尋ねた占い師に、アキはまず駅前に新しくできた喫茶店に行きたいと言う。ちらりとミホの方を見た占い師は、それはこちらの彼女と一緒に行った方が良さそうよと言ったからか、ようやくミホは占い師の用意してくれた座面の硬い折りたたみ椅子から解放された。

喫茶店のボックス席でアキは終始満足そうな顔をして、アイスクリームに添えられたウエハースをサクサクと小刻みに齧りとっている。
なんだかさぁサクサク、面白い人だったよねぇサクサクサク。
ミホはどうしても足元に落ちていた木札のことが気になっていたけれど、アキの上機嫌を台無しにするのも怖くて、それとなく占いは当たりそうかと尋ねる程度にとどめた。アキは角の丸くなった四角いようなアイスクリームスプーンを咥えながら、うん、まあ、当たるかどうかは別としてもまた会いに行きたいなって思うよと言うから、ミホはそれ以上占いの話はせずに、来週一緒に観に行こうと約束していた映画の話をして店を後にした。


それから数日の間、ミホの心の中で繰り返し再生されるのは橋の袂でアキが楽しそうにしている表情と、小さな唇にスプーンを挟んで「また会いに行きたいなって思うよ」という声で、その度に思いを固めるようにして、ある放課後の夕暮れにミホはひとりで常盤橋へと向かう。

まだ夕焼け空が明るいうちにラーメンの屋台には灯りがつき、そして橋の袂には、この間の占い師が一人の客を相手にしていた。少し離れたところから見ていると、客の女性が占いの結果に満足がいかない様子で、もう一度やり直してくれと言って詰め寄っている。やんわりと「何度やっても同じことですよ」と言った占い師は、ふとミホが来たことに気づいた様子で、申し訳ありませんが、次の方がお待ちですからと言って座ったままで客に頭を下げた。客は渋々立ち上がり去ってゆく。客の後ろ姿を見送ると、占い師は小さく手招きしてミホを呼び寄せ、よかった、あなた来てくれて助かったわと言って笑った。

「たまにいるのよ。自分が満足いく答えが欲しくて、何度も何度も占って欲しがる人って。そんなの、意味がないのにね」

そう言って占い師は卓の上にある木札をひとまとめに掻き集め、箱にしまいながら「これもそう。なんの意味もないものよ」と嘯いてみせる。それから、あなたに助けられたの二回目だったわね。この間、札が落ちてたのお友達に黙っててくれたでしょうと言った。どうやら占い師自身も札が足りないことに気づいていたらしい。
お礼にご馳走するけど、一緒にラーメン食べない? と言って占い師はミホを誘った。ちょうどいい。ミホもこの人に話があってここに来たのだ。占い師は立ち上がってもやっぱり小柄な身を屈めて、椅子と小さな卓を折りたたみ、ミホもそれを手伝う。三枚の平たい板のようになった椅子と卓を束ね、カーキ色のごわごわとした布を広げて被せると、黒い紐状のもので常盤橋の欄干に括り付けた。よく見るとカーキ色の布は古くなったトラックの幌で、黒い紐は自転車のチューブを細く割いて結び合わせたものだ。そうして占い師の小さな屋台がひとつ片付くとその分だけ夕闇が濃くなってきた気がして、橋の上にあるラーメン屋の灯りが、ミホには一層明るく見えはじめた。



二人連れの先客とちょうど入れ替わりに、占い師とミホは屋台に据えられたドーナッツ型の座面のついた椅子に腰を下ろした。今日はネギ入れてもいいのとラーメン屋の親父が声をかけてくるところを見れば、占い師はどうやら常連客らしい。慣れた手つきで傍に積んであるコップを並べ、セルフサービスの冷水をヤカンから注ぎミホに差し出してくれた。
あなたのお友達、上手くいってるかしら。出し抜けにそう聞かれて、今度の日曜日にタイチくんとデートすることになったと律儀に報告してきたアキのことを話す。占い師は微笑んで、それは良かったと言った後、でもあなたは苦しい立場だわねと言われて、ミホは手にしたコップを落としそうになった。

寸手のところでコップを受け止めたが、水面は揺らいで屋台に造り付けられた狭いカウンターに小さな水たまりができる。占い師は置いてあった台拭きを柔らかく被せて水を吸わせながら、小さな声であの子のことが好きなんでしょう、と囁いた。図星を突かれたミホに、はぐらかし受け流すだけの器量はない。
奪い取るように占い師の手元にあったふきんを持ちあげて、重くなったそれを足元の側溝の上で絞る。自分のどこにその気持ちが現れているのか、ミホには自分自身のことがまるでわからない。しょんぼりと丸めた背中に占い師の小さな声が降ってきた。

「彼女はあの調子だし、あなた苦しいばかりでしょう。でも、あの子の邪魔をしちゃいけないってことをちゃんと分かってるのよね」
「……どうして」
「うんまあ、それが仕事だし」
「でも私は占ってもらったわけじゃないのに」
「だから、あれに意味はないのよ。見えたものを話すだけだと、占いらしくないでしょ。あの札はそれらしく見せるための、ただの小道具なの」

あんな木の札を混ぜたり重ねたりして何がわかるもんですか。そう言って目尻の皺を深くする初老の女にミホは向き直る。いつの間にか卓の上には小ぶりのどんぶりが二つ並んで湯気を吐いていた。
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