いつかきっと

文字数 2,276文字

いつかきっと、なんて言い訳とは、今すぐ縁を切るがいい。そう妥協した時点で「その時」が来ることは無いに等しい。それはまるで後悔の予言。
勘違いしないで欲しいのは、俺が迷いとは無縁な人間だと主張したい訳じゃない。逆に、その言い訳に、何度も泣かされてきた側だ。反面教師として聞いてもらえたらいい。


***


「もうすぐ七夕だね」
「ああ」
「何か願い事したりする?」
「この歳になって?」
「まだ二十代じゃん」
「もう二十代だよ。充分立派な大人だろ」
「うん。大人だからこそ、こういう機会がない限り、自分の願いを明瞭化しづらいというか。なんとなくの方向性は決めていても、じゃあいつ踏み出すんだって聞かれたら、曖昧が災いして期限切れないというか」
「たしかに、仕事じゃないしな」
「でしょう?」
「うーん。考え過ぎじゃないか?」
「そうかもしれない。ごめん、笑って忘れてくれたらいいから」

史人は淡く微笑んで、窓の外の月を見上げた。社会人二年目の、初々しい初夏の夜。そのまま宅飲みは続き、何度となく史人の願いを聞き出そうとしたけれど上手くかわされた。
だけど俺はその願いを知っていた。叶えばいいのにと、願っていた。だからその夜、酔った勢いで零して欲しかった。

その唇から、君の言葉で、君の願いを。


***


史人は会社の同期で、同じ部署内で切磋琢磨し合うよきライバルであり、よき味方だった。所属が同じだからか、躓くタイミングややり甲斐を感じるポイント、更には苦手と感じる上司も共通し、意気投合するのに時間は掛からなかった。時に背中を預け、喜んで背中を押し、へこたれそうな時には互いに肩を貸すことだってあった。

分かち合えることが多すぎて、勘違いしそうになった。
もっと分かち合いたい欲望に歯止め効かなくなりそうだった。

だから、自分を律した。
彼は同僚だ。

だけど理性は万能じゃない。
「彼は同僚だ」。その言葉の先に「今のところは」と勝手に付け加えた。


***


「翼。ちょっといい?」

それは二人きりになる合図。職場では苗字で呼ぶことが常だが、史人曰く「衝突を厭わず遠慮や忖度なしで向き合いたい時」は下の名前で呼ばせて欲しいとのことだった。もちろん二つ返事で了承し、久しぶりに、仕事終わりに食事へ行くことに。

手際のいい史人はシェアしやすいメニューを二、三選び、飲み放題を付け加えた。珍しく長期戦になる予感がした。
早速運ばれてきたコブサラダに箸を伸ばせば、彼の真剣な声音に寸止めされる。
「翼は、仕事とプライベート、どちらを優先する?」
「両方。どっちも大切だから」
彼の好きなアボカドを残しているのに反応はなく言葉が続いた。食い下がる気満々らしい。
「敢えて一方を取るなら、どっち?」
「仕事。稼がないと生きていけないから」
「それだけ?」
「それだけって?」
「稼ぎたいだけ? 成長したいとか、役付になりたいとか、こう、他にないの?」
こう、に含まれ透明になった言葉。俺にはそれがはっきり見えた。いつかの過去、酔ったふりして俺が告白しかけた時の言葉を覚えているのだろう。

『もちろん何があっても踏ん張る気概があるし辞めたりなんかしない。稼いで、自信を付けて、いつもそばに居てくれる大切な誰かさんを、いつかきっと迎えに行きたい』

だから答えた。

「頼って欲しいから頼れる人になりたい。経済的にも、精神的にも」
「じゃあ、もし史人を頼りたいって人が、同じ考えの持ち主で、お互いのために仕事優先したら、許してあげられる?」
「え? 許す?」
「そう。いつだって僕の意志を大切にしてくれるその人に憧れて、仕事に邁進したとしたら。許してあげられるかな」
「許すも何も、自分自身で考えて決めたことなら、俺が止める権利はない」
「突き放すの?」

そんな寂しそうな顔しないで。今すぐその手を握りたくなる。
咄嗟に理性を呼び戻し、答えた。それは本音というより、強がり。たとえ君が何を優先しても、君を恋しがる権利など、俺にはない。そうだろう?

「そういう意味じゃない。悩み抜いた先で仕事(そっち)を選択したのなら、それがその人にとって、幸せへの近道と判断したのだろうと思う。だから、外野の俺が意見していい訳が……」

良い訳がない。理性はそう言った。意見して

幸せになって欲しい。心がそう願った。
だが、願いは願いのままであれ。叶えて君の意志を曲げ、失意に落とす呪いにはなるな。「何故あの時」なんて後悔、君にしてほしくない。

「史人は優しいね」


***


一週間後。始業時間五分前なのに、史人のデスクはもぬけの殻。綺麗に片付けられていて、嫌な予感がした。

「先輩、吉沢から何か連絡来てます?」
「え? 聞いてない? 今日から海外赴任だけど」

居ても立っても居られず廊下へ飛び出す。今更追いつける筈ないのに、足が勝手に全速力。スマホを取り出し呼び出せば、二回目のベルですぐ応答した。背後から聞こえるアナウンスに、突きつけられる事実。

『アメシスト航空ベルリン行き七八九便はただいま六六番ゲートよりご搭乗を……』

どこでもない場所で足が止まった。
「史人っ!」
『おはよう、翼』
「何呑気なこと言ってんだよ!」
『……ごめん。強がった』
それはこっちのセリフ。
「史人、ごめん……俺、見送り、できない」
『謝らないで。今日だって言ってなかったから』
「馬鹿野郎。応援ぐらいさせろよな」
『してくれるの?』
「当たり前だろ! だって」

その先は、次会えた時、直接言わせて。

「いつ戻るんだよ?」
『来年。一年後の今日、七夕』
「そうか」
『そう。ねえ』
「うん?」
『もし、翼の願い事が、来年も色褪せずにそこにあるなら、今度こそ必ず、迎えに来てね』



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