1 零時二十分

文字数 865文字

「はあーあ」

溜息に音が付いたら、それは溜息だろうか。個人的には愚痴になる気がする。

「はあ」

真夜中の畦道。鈴虫のコンサート会場と化した畑中。立ち止まり、しゃがんで彼岸花を手折る。一つ、そしてまた一つ。こんなふうに簡単に、壊せたらいいのに。つまらないルールなんか、崩れたらいいのに。

今日、俺は留年が決まった。単位を一つ落として、進級基準を満たせず、また来年も大学一年生。

必修科目、基礎教養A。試験問題の最後は自由記述論文。俺は真剣に書いた。
『人生は予測不能である。それが私の学んだルールです。予測したところで思い通りに帰結せず、転倒予防にはなり得ても、躓き防止の効き目はないのです』。返却された回答用紙に一言。「意見と我儘は異なります」。

留年、つまり仕送りの中断。それが叔母夫婦との約束だった。けれど大学生のアルバイト代なんて、たかが知れている。教科書が買えない。学費が払えない。大学生でいられない。

先生、俺は正しかったと思う。どんなに必死に頑張っても、転ぶときは転ぶ。人生は、予測不能なんだ。

「こら」

突如背後から響く声。咄嗟に謝りながら振り返る。そこには、ランニングウェア姿の見知らぬ男性が腰に手を当て立っていた。怒られるかと思いきや、その口元には微笑み。
「花を折るのはそのくらいにしておこうか」
「あ、はい。すみません」
「駅はあっちだよ」
「え?」
「早く帰りなさいってこと」

俺に、帰る場所なんて。

「ああ、そうか」
そう独りごちてスマートウォッチを確認する男性。こちらの沈黙を「終電を逃し困惑中」と勘違いしてくれたらしい。
「君、家は?歩いて帰れる距離?」
「一駅隣です」
「なるほど、微妙だな。うちの部屋一つ空いてるけど来る?タクシー代払いたいなら無理にとは言わないけど」
そう言って走り出す彼。体が勝手に動き、追いかける俺。出費を抑えたからじゃない。夜道が怖いからでもない。なんとなく、そうしたかっただけだ。
追随する足音に気付き振り向いた彼は、俺の手元を見るなり笑って言った。

「それ、要る?」

どうしてだろう。紅い彼岸花を一本、握りしめていた。
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