1 夢の中で

文字数 1,234文字

『夢の中で落ち合おう』

藤色の羽がそう言った。


***


硬い地面に身を預け、ただただ乾いた風の音を聞いていた。頭上に揺れる秋桜は華奢で風に流されるまま。どうしようもなく心許ない。今すぐ誰かを呼びたい。そばにいて欲しい。けれど、声が出ない。

ああ、神様。「最期は花の下で」と願った事実は否定しません。しかしそれは桜の木の下であり、秋の桜ではありません。


秋風にモノクロのコスモスが揺れた。突如遠のく風の音。視覚も聴覚も微弱、心音もそのうちに。

最後に聞こえた言葉は「邪魔だ退け」。確か、悲鳴が聞こえて立ち止まり、誰かに押されて倒れたような。ああ、どうせ聞くならもう少し上品な言葉であって欲しかった。果たしてこれは贅沢な望みかしら。

贅沢が叶うなら、貴方の声で、幸せに幕を閉じたかった。

「さて、お嬢さん」

重厚で滑らかな声が降ってきた。視線を移せず声の主を確認できずにいると、向こうから視界に入ってきた。視界の左半分を埋め尽くす、藤色の大きな双翼。

「このまま昇るか、繋ぎの夢を見るか。どちらがいい?」

彼は何を言っているのだろう。質問しようにも、唇が動かない。それに何故彼だけが鮮明なのだろう。

「……乖離が早い。人間(きみ)たちの強さを過小評価してしまう癖、治す努力はしているのだが」

すまない、と囁く彼。羽を震わせ綺麗に伸ばし、提案を続けた。

「ではこうしよう。昇るなら右目、夢に入るなら左目を閉じる。それならできるか?」

どちらもできませんとも言えず、羽を見つめ続けた。するとその口元に広がる微笑み。

「了解だ」

瞬きをしたつもりはない。
けれど彼は言った。

『夢の中で落ち合おう』

藤色の羽がそう言った。


***


いつも通りに目覚ましが鳴る。胸に残ったこの違和感は、悪夢を見た証拠に違いない。溜息混じりに上半身を起こし、アラームを止める。
カーテン越しに伝わる陽光。目覚めはイマイチでも、晴天なのがせめてもの救いだった。

急いで身支度をしてアパートを出る。早朝ミーティングに備え、いつもより一本早い電車に乗らなくては。運動は苦手な私だけれど、朝から主任に会えると思うだけではやる気持ちが足に伝わり駆け足に。議事を思い出すより先に彼の笑顔が浮かんだ。

あっという間に駅ビル街へと近づいていく。ショーウィンドウには四季折々のディスプレイがなされ、毎日見ても不思議と飽きが来ない。いつも通り視線を移す瞬前、黒スーツに遮られた。

「おはよう」

何処か聞き覚えのある声に、自然と足が止まる。恐る恐る視線を上げると、泰然と佇む男性と目が合った。片手を腰に当て、開襟シャツと穏やかな微笑みが印象的な彼は、一体誰だろう。

「おはよう……ございます……。失礼ですが、以前どこかでお会いしましたか?」

「いや。通りすがりのお節介お兄さんだ」

「ふふふ。あ、ごめんなさい」

「いや、構わない。ちなみに次の電車は五分後に来る。乗るなら急ぐといい」

「えっ?!あっ、はい!」

我に戻って急発進。慌てて走り出したから、去り際の言葉が聞き取れなかった。




『良い夢を』


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