6 二十二時半

文字数 1,162文字

変な時間に寝てしまったからだろうか。目が冴え、ベッドの上が酷く退屈に。体を動かせば眠くなるかもしれない。そう期待して散歩に出る。昨日と同じ道を通ったはずなのに、気づけば帰り道がわからなくなっていた。

咄嗟にスマホを取り出す。彼の番号はまだ知らない。瞬時に絶望して終わった。

「どうしよう」

何も知らない人のこと、頼ってどうするの。


***


「蒼伊くん、入るよ?」
風呂が沸いたことを知らせに来たら、中はもぬけの殻だった。ベッド脇に残された鞄には、しっかり財布が入っている。これはもしや。

「また、迷子になったかな」


***


膝を抱えてうずくまるには、絶好のタイミングだと思う。よもやこの歳になって家路が分からなくなるとは、夢にも思わなかった。

「あ、ダメだ。家路って、言えないよな」

「言いたければ言えば」

優しい声が答えてくれた。啓大さんだった。

「帰るぞ」

また同じだ。歩き始める背中を追い、体が勝手に動き出す。

「待って!あの、どうしてここに?」

彼は歩みを止めず、背中越しに応えた。

「君こそ、どうしてあそこに?」

「……迷子に、なったから……」

前を行く足音が止まった。

「道に迷ったって意味で合ってる?」

正直、道にも人生にも迷ってます。
けれどやはり素直になれず、「はい」と一言答えて終わる。

「そう」

やはり彼は何も聞かない。そうやって、受け入れてくれる。
ただ前を向いて、進むべき方向を指し示しながら。

「待ってよ!」

駆け寄り距離を詰め、彼の腕を引き留めた。

「ねえ何で?何で何も知らない俺のこと探したの?どうして?」

「独りでいたかったのか」

「そうじゃないよ。何で何も聞かないままなの?俺、学生なのに学校行かないんだよ?危ないやつかもしれないじゃん」

「非行に走れそうには見えないけど」

「はあ?!何それ、わけわかんない。お人好しも過ぎるとただの阿呆だね」

言い終えて、異様なまでの罪悪感に苛まれる。俺はこの瞬間、彼の厚意を踏み躙ったんだ。

「急にどうした」

胸に響く、冷静さを欠かぬ声音。

「確かに、そうかもしれないな。よく言われるよ、お人好しも適度になって」

まともに顔を見れなくなり、代わりに俯き地面を直視した。

「もし何か不快な思いをさせたなら謝るよ。このまま出て行ってもらっても構わない。あの家に帰るか否かは、任せる。ただ、あの部屋は、いつでも空いてるから。だから」

そこで区切られ沈黙が流れる。続きが気になり視線を上げれば、待ってましたとばかりに微笑む瞳。多分俺は、策略にはまったんだと思う。ようやく動き出すその唇。

「大丈夫だよ。蒼伊くん」

また、同じだ。期待が勝手に背中を押す。

「……ごめんなさい」

彼は穏やかに微笑んで言った。

「ほら。帰るぞ」


***


二人して、同じ道を帰る。君はまだ知らない。この先に、何が在るかを。どの道を、進みたいのかも。

あのときと、変わらないね。
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