8  定休日

文字数 3,547文字


「それで?何で学校に行かないのかな、不良少年」

「うるさいなあ。ちゃんとした理由があるんですよお」

「ハハハッ。はいはい。それはどのような?」

のんびり朝食を取った後、話し合いはいつものカウンター席で始まりを告げた。定休日と言いながら、彼はキッチンに入りアップルパイを仕込んでいる。

小気味いい包丁さばきと、立ち昇る爽やかなリンゴの香り。スパイシーなシナモン。様々な要因に気を取られながらも事情説明は続き、彼はじっくり聞いてくれた。

「なるほど。なかなかにいい線いってると思うけど。さながら社会の厳しさを教えられたってところかもね」

「どういう意味?」

「絶対的な正答がない中では、平均的な解答をしておくのが無難ってこと。君はいい感じに「出る杭」の素質があると思う」

「それ打たれて終わるじゃん」

「打たれないよういなす方法を学ぶのがこれからだ。ああ、杭の話は兎も角、成績の話もいいとして、見切りをつけるには早いと思うよ。このまま学生生活を楽しむといい。友達も、思い出も、もちろん教養も、増やしていけるはずだからね」

「でも……学費が……」

「出してあげる」

予想だにしない解決法に理解が追いつかず、繰り返すことしかできなくなった。

「だしてあげる?」

「ああ。幸いあそこは公立だし、何とかなる。君が望むなら、私から叔母さんたちを説得するから」

さらに思考速度が鈍くなる。両親ではなく、叔母夫婦の家にお世話になっていることは、まだ話していない。

「どうしてそれを……」

「ママは、遠いところに、お仕事に行った」

いよいよ手を止め、俯き、静かに息をする彼。しばらくして、ようやく交差する視線。彼にしては珍しくぎこちない微笑みが添えられていた。

「それが、君についた最初の嘘」

「…………?」

「佐式啓大、それが二つ目の嘘」

「じゃあ…………誰なの…………?」

「蒼伊啓大。君の家族だ」


***


私を育ててくれたのは母方、佐式家の祖父母。母は私の誕生と共に天へ帰り、父は十歳の時に事故に遭い母の元へと旅立った。
父亡き後、彼が営んでいた洋食屋「蒼」を手伝っていた祖父母が引き継ぐことになり、二人とも忙しくしていた。突如降りかかってきた責任に文句の一つも言わず、微笑みを絶やさず、元気を振りまく姿はまるで太陽。

「大丈夫よ、啓ちゃん。お店のお手伝いはいいから、お友達と遊んでおいで。たくさん笑っておいでね」

私はきっと、恵まれていたんだ。


あれは私が十五歳のとき。店番をしていると、子連れの女性が店を訪ねてきて、父を探していると言った。私の困惑に気づいた祖母が代わりに対応することに。その内容を盗み聞きするつもりは全くなかったけれど、不安そうな女性の言葉が耳に飛び込んできた。

「この子の父親を探しているんです」

祖父が私を呼ぶ。

「啓大。おいで」


彼女は祖母の話を受け入れず、父が戻るまで店を出ないと言い張った。優しい祖父母は、その夜、彼女と小さな男の子を家に泊めた。翌朝、彼女の姿は冷たい秋風の中に消えていた。

慌てふためく祖父母の横で、のんびり私の手を引く君。

「お兄ちゃん。ママは?」
「うん……たぶん、すぐ戻ってくるよ」
「お兄ちゃん、トイレ」
「はいはい」

お店は急遽臨時休業となり、祖父母は警察に届け出をしに外出。私は子守りを任され、君とお絵描きをすることに。君はカウンター席を選び、早速クレヨンを手に取る。私は隣で様子を見守った。

「お名前は?」
「あるとだよ」
「そっか。あるとくんは何歳?」
「五歳」

勢いに乗った赤いクレヨンが画用紙をはみ出しテーブルを彩る。優しく注意すると、君は笑って謝った。

「お兄ちゃんは、赤色好き?」
「そうだね」
「あると、黄色が好き」
「そ、そうなの?」
「うん。赤は、ママの色。ママ、いつもお口真っ赤。ママがほっぺにちゅうすると、あるとのほっぺ、赤くてかわいいになる」

恐らく口紅の色を言っているのだと思った。話している間に、画用紙に赤い花が咲いた。

「お兄ちゃん、喉乾いた。りんごジュースある?」
「うん。ちょっと待っててね」

キッチンへ入り、ジュースを用意している間に、君も秋風にさらわれ姿を消した。

「あるとくん!?」

店を飛び出し君を追う。庭や、店裏の畑に姿はない。近所の公園や商店街もくまなく探したけれど、やはり姿はなかった。

「どうしよう……」

祖父母にも捜索を手伝ってもらおう、そう思って引き返し、近道をすべく畑の畦道を通れば、そこに君はいた。こちらの姿を捉えるなり溢れ出る大粒の涙。

「お兄ちゃあーんっ」

互いに駆け寄り抱きしめる。

「遅くなってごめんね」
「うううっ。お兄ちゃあーん」

その右手には、彼岸花が一本、握りしめられていた。

「あると、これが欲しかったの。欲しかったけど、お家わからなくなった」
「そっか。このお花、どうするの?」
「ママにあげるの。ママ、お花好きだから」
「…………」
「これがあれば、ママが迎えに来てくれると思う」
「…………君は、優しいね」


君が来て一週間が経過、母親からも警察からも音沙汰はない。

「啓兄ちゃん。ママ、遅いね」

あっという間に一ヶ月が経ち、誤魔化しきれなくなった。

「ママは、遠いところにお仕事に行ったんだって。一緒に待ってようね」

君は泣いた。

「大丈夫だよ。有斗」


私はそこで、「家族」の意味を見失った。

どうして一緒にいられないのだろう。
どうして一緒にいるのだろう。

私はここで、「家族」の意味を学んだ。

名字が同じだからではない。同じ血を受け継ぐからではない。義務感でもない。
大事だと想うから、そばにいるのだ。
いつでもその手を握り締められるように。


そばにいたかった。
けれど、ある日学校から帰ると、君はもう、いなかった。噂を聞きつけた叔母夫婦が君を迎えに来たと、祖母は言った。
秘密にしていたクリスマスプレゼントを、君に渡すことができなかった。


***


「大きくなったね、有斗。私のことは、覚えてないと思うけれど」

「嘘だ……だって叔母さんは、俺に家族はいないって……」

「ある意味で正しいかもな。状況を見てそう判断しただけで、私の思い違いである可能性は否定しない。だけど、叔母さんたちは家族じゃないのかい?」

「親戚だって……言ってた……」

「そう」

彼はキッチンを軽く片付けその場を離れ、ゆっくりと、俺の隣に座った。互いに視線を逸らしたまま、沈黙をやり過ごす。次の言葉が、何も浮かばない。しばらくして、沈黙を破ったのは彼の方だった。

「君が私をどう思おうと構わない。店長でも、他人でも、好きなように肩書きを付けたらいい」

もう、他人じゃない。喉元まで出かけた言葉は、勇気不足により、音にならずどこかに消えた。

「あの部屋を使いたいなら使えばいい。見ての通り、この家には独りだけ。いつでも空いてる。元居た場所に戻りたいなら、それも君の自由だ」

自由。いつかの俺が憧れたもの。けれど、今の俺にはあまり響かないもの。

「昨日の君の質問に答える。大学には行きなさい。それも学びだ。ここに居るかどうかは、自分で決めなさい。君がどちらを選んでも、私は喜んで頷くから」

「……ねえ、何で……」

「うん?」

「何でここに居ろって言ってくれないの?何で帰れって言わないの?やっぱり俺のことなんかどうでもいいんじゃないの?」

子どもじみたことを言ってるのは百も承知だ。だけど、はっきり言って欲しかった。そうやって、手を引いて欲しかった。たとえそれが、別れの合図になったとしても。

「どうでもいいって思ってたら、帰れって言ってるはずだよ」

「それはつまり?」

「うん。君がこのまま隣にいてくれたら、もちろん嬉しい。逆に、離れて過ごすことになっても、それはこれまで通りに戻るだけだ。これまで通り、祖父母の残してくれた居場所(いえ)を守りながら、ここで、君の幸せを願うから」

「だからあ……なん、で……なんでそんな……。わかった、だったら教えてよ。邪魔でしかない俺を、どうして否定しないの?」

「有斗」

「同情とかいらないから!勝手にお荷物にしないでよ!!」

「有斗」

「………………」

「いいかい。私の大事な人を、それ以上責めないであげてほしい。それとね。君がどこにいようと、この想いは変わらない。だから自由にするといい。家に帰りたくなったら、いつでも戻っておいで」

「……っ……」

「大丈夫だよ、有斗」

そして涙が止まらなくなった。家族の意味が、家の在処が、やっとわかった。
俺は家に帰りたいんじゃない。その人の隣に、帰りたいんだ。



***


その日は四時限目まで講義があり、家に着いたのは五時過ぎだった。
裏から入りエプロンを巻いて、ディナータイムを迎えた店内へ。暖簾をくぐると、料理をサーブし終えた彼がキッチンに戻って来た。

「おかえり、有斗」
「うんっ。ただいま、啓にい」


『おかえり』って最高だ。『ただいま』って幸せだ。

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