3 藤色

文字数 1,471文字

「あれ?ごめんなさい。私の勘違いみたいです」

「そう?」

「本当にごめんなさい。忙しいところ引き止めちゃって」

「全然いいよ。むしろこの後頑張れる」

「え?」

「ううん、気にしないで。ひとり言だから」

そして会議室に入る姿を見届けた。

廊下に一人残され、不意に疑問が胸に浮かぶ。

私、どうしてここにいるんだっけ。誰に言われて、ここに来たんだっけ。


***


あっという間に迎えた金曜日。ランチタイムに入り、食堂へと向かう。春香といつもの席に座り、お揃いのオムライスを堪能することに。自然と、明日に控えたショッピングの話になった。

「それで璃子、明日のお目当ては?」

「綺麗めのアンサンブル。フルールあたりなら藤色も出してそうなんだよね」

「フルールってこの前新しく駅ビルに入ったお店よね。私も気になってた。というか藤色って何よ。ラベンダーじゃなくて?」

「藤色がいいの」

「ははーん。さては彼のワードチョイスね」

「違うよ」

「はいはい」

「信じてないなー?」

「あのねえ。璃子は自分の素直さ認めたほうがいいよ」

悔しいから否定しておいた。でも本当は、藤色は彼の色。



いつかの帰り際。廊下の向こう側から歩いてくる彼を見つけた。いつものように「お先に失礼します」に満面の笑みを添えて帰るつもりだった。

「うん、お疲れ様。そういえば今日のリボン、新しいよね?」

「え?」

気づいてもらえるなんて思ってもいなくて、更にはそう声を掛けてもらえるとも予期しておらず、喜びのパニックで言葉が続かなかった。

「あ、ごめん。もしや前から使ってたかな」

「あっ、いえっ、その、今日初めてなんですけど、えっと、気づいてもらえると思ってなくて嬉しくて、あ、ちがっ、そのっ……」

どもる自分が恥ずかしすぎて、余計に言葉が詰まり「お先に」の挨拶も言えなくなる。しどろもどろとはまさにこのことだと思った。穴があったら進んで入るのに。

「はははっ。可愛い」

あの、今なんて? それすら表現できず無意識のうちに見つめていたらしい。それに気づいた彼もややぎこちなく視線を逸らして話題も逸らす。

「爽やかで似合う色だと思って。なんて言うんだっけ。その」

「藤色?」
「ラベンダーですか?」

綺麗に重なる声。そして弾ける二人の微笑み。
照れ隠しを諦め私は言った。

「はい、藤色です。大好きなんです、この色」



ランチを終えデスクへと戻る途中、春香はコンビニに寄ると言って二手に分かれた。一人でのんびり廊下を進むと、誰かに呼び止められた。

「晴海さん」

「はい? あっ!ショーウィンドウの人!その節はお世話に」
「お礼はいい。それより呼んでるぞ。急ぎだそうだ」

「あの、呼んでるのはどなたでしょう?」

「一色主任、会議室2-A」

「すぐ行きます!」

走り出し、お礼を忘れていたことに気づき慌てて振り向いたけれど、既に彼の姿はなかった。

「不思議な人……」

そしてまた会議室へと足を向ける。全速力で駆けつけたおかげで、会議室に入る直前で主任を呼び止めることができた。彼はこちらに歩み寄り、優しく首を傾げる。

「どうしたの?急用?」

「主任がお呼びだとお聞きしたのですが」

「なるほど。急いで来てくれたのにごめん、伝達ミスかも」

「あれ?ごめんなさい。私の勘違いみたいです」

「そう?」

「本当にごめんなさい。お忙しいところを引き止めちゃって」

「全然いいよ。むしろこの後頑張れる」

「はい?」

「ううん、気にしないで。ひとり言だから」

そして会議室に入る姿を見届けた。

廊下に一人残され、不意に疑問が胸に浮かぶ。

私、どうしてここにいるんだっけ。誰に言われて、ここに来たんだっけ。




『より良い記憶(ゆめ)を』


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