融合
文字数 3,757文字
手足が動かない。声すら出せない。動力甲冑も機能を失い、地面に向かって落ちて行きつつ敗北を悟るアクター。ルインティもまたアリスに敗れ、無残な姿で意識を失っているのが見えた。
ああ、やっぱり無理だったかと胸中でひとりごちる。本当はこうなる予感があった。弱体化したとは言っても、やはりあれは自分達天士を生み出した女神。格が違い過ぎる。
それでも、これしか無かった。仲間を裏切り、仕えるべき神に挑む以外にはどうしようも。
でも、本当にそうだったのかなと考える。これもやはり最初からあった疑念。目を逸らして見ないようにしていた現実。
自分達には幸せになれる結末など、ありえなかったのだろう。
◇
彼がルインティと出会ったのは、所属していたノウブル班が彼女を捕捉した日より、さらに数日前のことだ。
ここと良く似た森の中だった。逃走中の『六人目』を見つけ出すべく彼等は散開して手がかりを探していた。そして彼は、偶然にも疲れ果てて眠っている少女を見つけた。それがルインティの複製である。
最初は幸運に恵まれたと思った。それから彼女を起こさないよう静かにその場から離れ、仲間達を呼びに行こうと考えた。
クラリオを襲撃した『一人目』のアイリス、シエナ。その事件の報告で彼女達の中には天士を遥かに凌駕する強力な個体もいると知っていた。寝首をかく絶好のチャンスではあったが、仮に仕留めそこなえば手痛い反撃を喰らうかもしれない。そうなると自分一人では返り討ちに遭うか逃がしてしまう可能性が高くなる。
だから報告に戻るつもりだった――なのに彼は、どうしても目を離すことが出来ずその場に留まる。もっと見ていたい。いっそ触れ合いたいという衝動に駆られて胸が高鳴った。
彼自身は知らないが、人間だった頃、彼には想い人がいたのだ。同じ劇団に所属する女優。少女の顔は、そんな彼女と良く似ている。
自分を抑え切れなくなり、決死の覚悟で彼女を揺り起こした。そして目覚め、警戒感と敵意を露にする彼女に対し願い出たのだ。
「頼む、僕と一緒に来てくれ。君を殺したくない。誰にも渡したくない。僕が君を守るから」
彼は記憶を奪われ、純粋な少年になっていたのだろう。だから躊躇無く恋を選んだ。彼女のことをもっと知りたい。ずっと一緒にいたい。
そのためなら、全て捨ててもいいと思った。
◇
計画は成功した。アクターとルインティの複製は協力してノウブル達を欺き、死を装って行方を眩ませたのである。
――それからしばらくは、ただ人目を避けて逃げ続ける日々。ノウブル達を騙すことには成功したものの、長くは続かないだろうとも思っていた。直後にアイズが合流する予定だったからだ。彼女ならおそらく真実を見抜く。
生存が判明した場合、必ず追手を差し向けられるだろう。人間ならともかく、天遣騎士団が討伐に来たら自分とルインティだけでは勝ち目など無い。そして当然、味方を得られるような立場でもない。
彼女から様々な話を聞いて『七体目』のアイリス、すなわちアリスが桁違いに強大な力を持つ魔獣であることは知っていた。アクターは彼女に助けを求められないかと提案したが、ルインティは無理だと断言した。
「あの方は、殺されることを望んでいるの」
全てに絶望したアリスと彼女の中の少女達は、もはやアイズに殺してもらうことしか考えていない。そしてルインティは、そんな彼女達のため時間を稼ぐ囮。そのためだけに生み出された複製。
話を聞いているうちにアクターは怒りを覚えた。目の前にいるルインティは偽者などではない。彼の想いに応えてくれた彼女は彼にとってかけがえのない存在になった。そのルインティをぞんざいに扱うような輩に好意を抱けるはずもない。
最初は皇女殿下のためと言い張っていた彼女も、そんな彼と共にいるうちに次第に意識が変わっていった。どうして自分が犠牲にならなければいけないのかと疑問を抱いたのだ。
複製だとしても、彼女はすでに独立した一個の生命。オリジナルがアイリスにされた時の苦痛と恐怖だって、アクターさえいれば和らげられる。彼は逃亡の旅の最中でも能力を使い、様々な幻を見せて彼女を楽しませてくれた。おかげでルインティは笑顔を取り戻した。
彼さえ一緒にいてくれればいい。彼女が到ったその結論は奇しくもアリスがクラリオで辿り着いた答えと同じ。
そしてアクターが出した答えもアイズと同じだった。傍らを歩むこの少女を幸せにしてやりたい。息をひそめて隠れている必要の無い世界で、彼女が心の底から幸せそうに笑う姿を見たい。
そう願った時、まるでそれを待っていたかのように一人の男が接触して来た。彼は三柱教の関係者だという。しかもかなり位の高い高僧。
最初は警戒したものの、計画を聞くうちに強く惹かれた。
「世界を変革し、人類もまた次の段階へと進ませるのです」
彼にはそれが可能らしい。新しい世界では誰もルインティを恐れたりしない。何故なら全人類が彼女と同じ進化した存在になれる。そうなれば天士と人間の垣根も曖昧になるだろう。
逃げず隠れず、普通の人間のように社会の一員となって生活できる。そこでなら彼と彼女は当たり前の幸せを掴めるのだ。
「ただし」
男は言葉を続けた。先にまず最大の障害を排除せねばならない。古き神々に支配された旧体制の象徴であり、神が地上に差し向けた武力集団。アクターの古巣。
つまりは天遣騎士団。
「確実な変革のため彼等は排除しなければなりません。あなたは、それを成す英雄となるのですアクター。これは裏切りでなく革命だと思いなさい。彼女を不幸にした悪しき世界を滅ぼし、新世界を作り出すための必要最低限の犠牲を払うのだと」
彼が引き連れている戦力もやはり、異世界からの侵略者を崇拝し、破壊の後で新たな世界を創造しようと考える者達。
だから信じることにした。もちろん彼をではない。あの男はどこか胡散臭い。しかし、だとしても新世界は誕生する。命令に従っていれば、おそらく本当にこの世界は作り変えられる。そう思えるだけの力も見せつけられた。
――でも、結局そう思いたかっただけだ。疑っていても縋る以外に選択肢が無かった。彼には他に最愛の人を幸せにしてやれる術が思いつかない。
だから彼は、その選択肢に全てを賭けた。
◇
地面に激突して、うつ伏せで倒れたまま虫の息で呼吸し、確信する。自分達の夢は破れた。
だからもう、壊してしまおう。
(みんな道連れになればいい)
あの胡散臭い高僧にも異教徒達にも教えていなかった保険がある。もし計画が失敗に終わったなら、騙されていたなら、幸せになれなかったら、その時に使おうと二人で話し合って決めていた結末を覆す切り札。
まだアイズ達はすぐ近くにいる。逃がしたところでいつかは必ず見つけ出し、飲み込んでやろう。
咳き込む。笑おうとした途端、気管に血が入って噎せた。もういい、声など出す必要は無い。自分にはこの力がある。
地面に倒れたまま幻像を生み出すアクター。ただしアイズ達を狙ってのものではない。
その幻像は徐々に再生しつつあったルインティの複製の前に現れた。普段の姿の彼を再現して。
幻像は少女に手を伸ばし、笑いかける。
音は無い。なのに彼女には、確かに彼の声が聞こえた。
『さあ、行こう』
「……うん」
アリスの攻撃で血まみれになった顔が、それでも笑みを形作る。当然ながら警戒していたアリスは何もさせまいとルインティの心臓めがけて攻撃を放った。鋭く槍のように尖った髪の束が少女の胸を貫く。
(殺しはしない。魔素結晶に干渉して制御下に――えっ?)
手応えがおかしい。
「アリス!」
咎めるように叫ぶアイズ。でも、それどころじゃない。いち早く何が起きるかを悟った少女は倒れている襲撃者達にも髪を伸ばした。
だが、ルインティの方が一手早い。
「残念でしたね陛下、これでおしまい」
胸を貫かれた方のルインティが消え、ほんの少しずれた位置に本物の彼女が姿を現す。アリスが貫いたのは彼女の右肩。
そう、アクターは少しずつ彼女の実体がいる位置からずらした幻像を重ねてアリス達に誤認させていたのだ。そのせいで心臓を狙った一撃が外れた。
そのミスによって生じた一瞬の猶予の間に、ルインティの複製は襲撃者全員の動力甲冑に髪を差し込む。そして自分の目の前に現れたアクターの幻に手を伸ばして触れた。
「ずっと一緒よ、アクター」
『ああ、共に永遠に生きよう、ルインティ』
彼女の髪は動力甲冑に内蔵されている魔素結晶を掴んだ。そして、そこからさらに大量の触手を伸ばし襲撃者達の肉体を侵食する。彼等もまた彼女の血肉の一部と化した。
(いつから!?)
舌打ちするアリス。いったいどのタイミングから準備を進めていた? 恋人が敗北した瞬間からか? それともさらに前?
なんにせよ、あれだけ痛めつけても心は挫けていなかった。あるいは挫けたからこその自暴自棄か。
アリスは叫ぶ。ウルジンの尻を叩き、反対方向へと走らせながら。
「逃げて! 距離を取るのよ!」
次の瞬間、ルインティの髪は周囲の木々にまで突き刺さる。そして一体化し、さらに膨張した。瞬く間に膨れ上がった異形は、さらに拡大を続ける。
森の一部が巨大な肉塊と化した。
ああ、やっぱり無理だったかと胸中でひとりごちる。本当はこうなる予感があった。弱体化したとは言っても、やはりあれは自分達天士を生み出した女神。格が違い過ぎる。
それでも、これしか無かった。仲間を裏切り、仕えるべき神に挑む以外にはどうしようも。
でも、本当にそうだったのかなと考える。これもやはり最初からあった疑念。目を逸らして見ないようにしていた現実。
自分達には幸せになれる結末など、ありえなかったのだろう。
◇
彼がルインティと出会ったのは、所属していたノウブル班が彼女を捕捉した日より、さらに数日前のことだ。
ここと良く似た森の中だった。逃走中の『六人目』を見つけ出すべく彼等は散開して手がかりを探していた。そして彼は、偶然にも疲れ果てて眠っている少女を見つけた。それがルインティの複製である。
最初は幸運に恵まれたと思った。それから彼女を起こさないよう静かにその場から離れ、仲間達を呼びに行こうと考えた。
クラリオを襲撃した『一人目』のアイリス、シエナ。その事件の報告で彼女達の中には天士を遥かに凌駕する強力な個体もいると知っていた。寝首をかく絶好のチャンスではあったが、仮に仕留めそこなえば手痛い反撃を喰らうかもしれない。そうなると自分一人では返り討ちに遭うか逃がしてしまう可能性が高くなる。
だから報告に戻るつもりだった――なのに彼は、どうしても目を離すことが出来ずその場に留まる。もっと見ていたい。いっそ触れ合いたいという衝動に駆られて胸が高鳴った。
彼自身は知らないが、人間だった頃、彼には想い人がいたのだ。同じ劇団に所属する女優。少女の顔は、そんな彼女と良く似ている。
自分を抑え切れなくなり、決死の覚悟で彼女を揺り起こした。そして目覚め、警戒感と敵意を露にする彼女に対し願い出たのだ。
「頼む、僕と一緒に来てくれ。君を殺したくない。誰にも渡したくない。僕が君を守るから」
彼は記憶を奪われ、純粋な少年になっていたのだろう。だから躊躇無く恋を選んだ。彼女のことをもっと知りたい。ずっと一緒にいたい。
そのためなら、全て捨ててもいいと思った。
◇
計画は成功した。アクターとルインティの複製は協力してノウブル達を欺き、死を装って行方を眩ませたのである。
――それからしばらくは、ただ人目を避けて逃げ続ける日々。ノウブル達を騙すことには成功したものの、長くは続かないだろうとも思っていた。直後にアイズが合流する予定だったからだ。彼女ならおそらく真実を見抜く。
生存が判明した場合、必ず追手を差し向けられるだろう。人間ならともかく、天遣騎士団が討伐に来たら自分とルインティだけでは勝ち目など無い。そして当然、味方を得られるような立場でもない。
彼女から様々な話を聞いて『七体目』のアイリス、すなわちアリスが桁違いに強大な力を持つ魔獣であることは知っていた。アクターは彼女に助けを求められないかと提案したが、ルインティは無理だと断言した。
「あの方は、殺されることを望んでいるの」
全てに絶望したアリスと彼女の中の少女達は、もはやアイズに殺してもらうことしか考えていない。そしてルインティは、そんな彼女達のため時間を稼ぐ囮。そのためだけに生み出された複製。
話を聞いているうちにアクターは怒りを覚えた。目の前にいるルインティは偽者などではない。彼の想いに応えてくれた彼女は彼にとってかけがえのない存在になった。そのルインティをぞんざいに扱うような輩に好意を抱けるはずもない。
最初は皇女殿下のためと言い張っていた彼女も、そんな彼と共にいるうちに次第に意識が変わっていった。どうして自分が犠牲にならなければいけないのかと疑問を抱いたのだ。
複製だとしても、彼女はすでに独立した一個の生命。オリジナルがアイリスにされた時の苦痛と恐怖だって、アクターさえいれば和らげられる。彼は逃亡の旅の最中でも能力を使い、様々な幻を見せて彼女を楽しませてくれた。おかげでルインティは笑顔を取り戻した。
彼さえ一緒にいてくれればいい。彼女が到ったその結論は奇しくもアリスがクラリオで辿り着いた答えと同じ。
そしてアクターが出した答えもアイズと同じだった。傍らを歩むこの少女を幸せにしてやりたい。息をひそめて隠れている必要の無い世界で、彼女が心の底から幸せそうに笑う姿を見たい。
そう願った時、まるでそれを待っていたかのように一人の男が接触して来た。彼は三柱教の関係者だという。しかもかなり位の高い高僧。
最初は警戒したものの、計画を聞くうちに強く惹かれた。
「世界を変革し、人類もまた次の段階へと進ませるのです」
彼にはそれが可能らしい。新しい世界では誰もルインティを恐れたりしない。何故なら全人類が彼女と同じ進化した存在になれる。そうなれば天士と人間の垣根も曖昧になるだろう。
逃げず隠れず、普通の人間のように社会の一員となって生活できる。そこでなら彼と彼女は当たり前の幸せを掴めるのだ。
「ただし」
男は言葉を続けた。先にまず最大の障害を排除せねばならない。古き神々に支配された旧体制の象徴であり、神が地上に差し向けた武力集団。アクターの古巣。
つまりは天遣騎士団。
「確実な変革のため彼等は排除しなければなりません。あなたは、それを成す英雄となるのですアクター。これは裏切りでなく革命だと思いなさい。彼女を不幸にした悪しき世界を滅ぼし、新世界を作り出すための必要最低限の犠牲を払うのだと」
彼が引き連れている戦力もやはり、異世界からの侵略者を崇拝し、破壊の後で新たな世界を創造しようと考える者達。
だから信じることにした。もちろん彼をではない。あの男はどこか胡散臭い。しかし、だとしても新世界は誕生する。命令に従っていれば、おそらく本当にこの世界は作り変えられる。そう思えるだけの力も見せつけられた。
――でも、結局そう思いたかっただけだ。疑っていても縋る以外に選択肢が無かった。彼には他に最愛の人を幸せにしてやれる術が思いつかない。
だから彼は、その選択肢に全てを賭けた。
◇
地面に激突して、うつ伏せで倒れたまま虫の息で呼吸し、確信する。自分達の夢は破れた。
だからもう、壊してしまおう。
(みんな道連れになればいい)
あの胡散臭い高僧にも異教徒達にも教えていなかった保険がある。もし計画が失敗に終わったなら、騙されていたなら、幸せになれなかったら、その時に使おうと二人で話し合って決めていた結末を覆す切り札。
まだアイズ達はすぐ近くにいる。逃がしたところでいつかは必ず見つけ出し、飲み込んでやろう。
咳き込む。笑おうとした途端、気管に血が入って噎せた。もういい、声など出す必要は無い。自分にはこの力がある。
地面に倒れたまま幻像を生み出すアクター。ただしアイズ達を狙ってのものではない。
その幻像は徐々に再生しつつあったルインティの複製の前に現れた。普段の姿の彼を再現して。
幻像は少女に手を伸ばし、笑いかける。
音は無い。なのに彼女には、確かに彼の声が聞こえた。
『さあ、行こう』
「……うん」
アリスの攻撃で血まみれになった顔が、それでも笑みを形作る。当然ながら警戒していたアリスは何もさせまいとルインティの心臓めがけて攻撃を放った。鋭く槍のように尖った髪の束が少女の胸を貫く。
(殺しはしない。魔素結晶に干渉して制御下に――えっ?)
手応えがおかしい。
「アリス!」
咎めるように叫ぶアイズ。でも、それどころじゃない。いち早く何が起きるかを悟った少女は倒れている襲撃者達にも髪を伸ばした。
だが、ルインティの方が一手早い。
「残念でしたね陛下、これでおしまい」
胸を貫かれた方のルインティが消え、ほんの少しずれた位置に本物の彼女が姿を現す。アリスが貫いたのは彼女の右肩。
そう、アクターは少しずつ彼女の実体がいる位置からずらした幻像を重ねてアリス達に誤認させていたのだ。そのせいで心臓を狙った一撃が外れた。
そのミスによって生じた一瞬の猶予の間に、ルインティの複製は襲撃者全員の動力甲冑に髪を差し込む。そして自分の目の前に現れたアクターの幻に手を伸ばして触れた。
「ずっと一緒よ、アクター」
『ああ、共に永遠に生きよう、ルインティ』
彼女の髪は動力甲冑に内蔵されている魔素結晶を掴んだ。そして、そこからさらに大量の触手を伸ばし襲撃者達の肉体を侵食する。彼等もまた彼女の血肉の一部と化した。
(いつから!?)
舌打ちするアリス。いったいどのタイミングから準備を進めていた? 恋人が敗北した瞬間からか? それともさらに前?
なんにせよ、あれだけ痛めつけても心は挫けていなかった。あるいは挫けたからこその自暴自棄か。
アリスは叫ぶ。ウルジンの尻を叩き、反対方向へと走らせながら。
「逃げて! 距離を取るのよ!」
次の瞬間、ルインティの髪は周囲の木々にまで突き刺さる。そして一体化し、さらに膨張した。瞬く間に膨れ上がった異形は、さらに拡大を続ける。
森の一部が巨大な肉塊と化した。