人の形をした地獄(2)

文字数 3,836文字

 アリスは思い出す。彼女の中のシエナの記憶を振り返る。
「死んだのよ。貴女と戦ったあの時、シエナはもう死んでいたの」
 他の五人も同じ。全員が魔素結晶に適合しきれず死亡。けれど、記憶はそれによって形成された人格と共に結晶内へ保存された。
「イリアムはね、とうとう私を被験体にすると決めた時、泣きながら謝っていた。もう、こうするしかないと」
 被験体は全て貴族の娘。それは家系を遡れば必ずどこかで皇族と交わっていたから。帝国を統治する一族、その直系こそが魔素結晶を埋め込むのに最適な因子を有しており、血を引く彼女達にもやはり可能性があった。
 でも結局、全員失敗して残された候補は一人だけに。だからイリアムは最後の手段として皇女の胸に刃を突き立てたのだ。
「それとね、彼、失敗を繰り返すうちに気付いたの。麻酔をかけて眠らせてはいけないと。二人目のファルニスまでは眠らせて処置を行ったのよ。でも、そうするとすぐに死んでしまった。麻酔薬が原因かもしれないと思った彼は、三人目のルインティにはそれを使わなかった」
 薬か、それとも意識が無い状態そのものか、何が悪かったか正確なところは彼にも結局わからずじまい。ともかく意識を保たせたまま移植を行うと、その後の生存時間が飛躍的に延びた。適合率は先に試した少女ほど高かったにもかかわらず。
「当然、私もそうなった。恐ろしくて悲しくて、何度もやめてと頼んだのに、彼は生きたまま私の胸を開き、激痛で意識が飛ぶのを防ぐため何度も大声で呼びかけながら硬く冷たい結晶を体の中に押し込んだ。あの瞬間ようやく気付いたの、父だけでなく私の愛した男もいなくなっていたのだと。あれはイリアムでなく別の何かだったのよ」
 そう思いたいだけかもしれない。なんにせよ苦痛と悲しみに耐えるには、そんな風に考える以外無かった。けれど彼女の悪夢はさらに続く。
「貴女は眠っている間に変化した。だから、これに関してはわからないかもしれない。自分の体がどんどん別のものに変わっていくのがわかるの。血肉が全て小さな虫に変わり、私の意志とは関係無く動き回って別の形に組み変わるような、そんな感じ。やがて人間には無い感覚が目覚め、それまで知覚できなかった世界を認識できるようになった。あまりの情報量の多さに耐え切れず、繰り返し嘔吐しながら殺してと懇願したわ。でも、その膨大な情報を処理し切れるように脳まで別物に変化していった」
 そして気付く。絶え間なく流れ込んで来る情報の奔流に飲み込まれ隠されていたもの。同じ絶望を味わった仲間の存在に。怯え、泣き叫びながら死を願う少女達が自分の中にいると。
「彼女達は死んだ。でも、今もまだここにいる。私の中に存在する。魔獣を生み出す力で新しい体を生み出し、記憶を移植してあげれば分離できるかと思った。でも駄目、そんなことをしても彼女達が複製されるだけで、やっぱり死ぬことはできない。私の中の魔素結晶を破壊されない限り本当の救いは訪れない」
 こんな体で永遠に生きるだけでも恐ろしいのに、さらに悲惨なことがある。忘れられないことだ。
「魔素は記憶を保存する。だから忘れたくても忘れられない。私達七人分の恐怖と絶望が、いつもずっと頭の中にある。彼に裏切られた私の、私を完成させるため犠牲にされた彼女達の暗い記憶が繰り返し再生される」

 裸で寝台に固定され、男にその姿を見られる。逃げたくても身動き一つ取れず、そして訪れた死の瞬間の恐怖と悲しみ。突き立てられた刃の痛み。全てが鮮明な記憶で、いつまで経っても頭から離れない。金属製の手術器具で今でも胸を開かれているような気がする。結晶を強引に押し込まれ泡を吹いて気絶しかけた。なのに耳元でイリアムが叫ぶから意識を手放すことも許されない。
 これは永遠に続く拷問。恥辱と苦痛に塗れた最悪の記憶が今も彼女達を苛んでいる。それを実行した男はとうに死んで楽になっているというのに。

「さっき、リリティアの記憶を操作したことに怒っていたわね。でも、忘れられる方がずっと幸せなの。私だって出来るならそうしたい。残念なことに自分には記憶操作が効かなかった」
 絶え間なく続く苦しみは恐怖を怒りに変え、悲しみを憎悪にすり替える。そうすることで、ようやく少しだけ楽になれた。復讐は痛みを和らげてくれる甘い毒。だからやめられない。
「帝国はたしかに大罪を犯した。だからといって、ここまでされなければならなかった? 彼女達も私も籠の鳥。帝都から出たことさえほとんど無く、誰かを殺めたりもしていない。あの時まではそうだった。なのにどうして、こんな目に遭わなきゃならないの?」
 この肉体は人の形をした地獄。天士ですら破壊することのできない檻。そこに自分達七人は閉じ込められている。
 あまりに理不尽だ。だから、こちらも相応の暴力で反抗する。神々が実在して人の運命を定めているなら、地獄に囚われた代償に得たこの力で、彼等さえも屈服させてみせる。
「さあ、これでわかったでしょうノーラ。それともアイズ? アルトルと呼んだ方がいい? そろそろ動けるようになったはず。貴女の役割を果たして」
 投げ飛ばした時、剣が途中で落下した。髪で拾い上げ、目の前に差し出してやる。ノーラは地面に置かれたそれをじっと見つめた。張りつめた表情。明らかに葛藤している。それはつまりこちらの要求を理解した証。
「そう……貴女にならできる。天士には無理でも神様ならこの牢獄を壊せる。だから壊して。別に今すぐでなくていいの。いつか殺してくれるなら、そう約束してくれるのであれば、当面は待ってあげてもいい。満足するまでリリティアを愛でて幸せに生きなさい」
 彼女は少女達にとって最大の理解者。そして少女達もまた彼女を理解している。だからこそ酷似した境遇の彼女には幸せになって欲しい。そのためにならある程度は譲歩しよう。
 ただし選ぶのは今。選択は今この場で行われなければならない。

「選んで、神様。殺すか共に生きるか、どちらか一つを」




 ――初めて彼女を目にしたのは、燃える皇城での刹那の邂逅。
 イリアムは全ての魔獣に皇帝と自分、そして帝国軍人に対する忠誠心を植え付けていた。本能のようなもので、これに抗うことはできない。無論『アイリス』にも同様の処置が施された。彼女の場合、除外の対象はイリアムだけだったが。だからアリスは命令に忠実に従い、父を惨殺して彼の復讐を成功させたのだ。
 でも彼は、この体にアリス以外の六人分の人格が保存されていることまでは知らなかったようだ。人格同士の衝突が起こり、彼の植え付けた忠誠心に綻びが生じた。その一瞬の隙に七人分の殺意が噴出し目の前にいた仇敵を攻撃。それがイリアムを殺害した時の真相。唯一命令できる存在を抹消したことにより、彼女達は自由を取り戻した。
 想い人を自らの手で葬ったものの、悲しみは感じなかった。さっきノーラに向けて語ったように、あれをもうイリアムだとは思っていなかったから。
 代わりに目を留めたのはアイズ。祖国が滅亡し自分達が怪物となった、その一因たる天遣騎士団の主力。
 彼女のことも恨んだ。怒りと憎しみに身を任せ、あの場で戦いを挑みかけたほどに。当時の自分では、おそらく勝てなかっただろう。
 けれど、飛びかかる直前で何かを感じた。人も天士も魔獣と化した自分とは決定的に異なる生物。すでにそういう認識になっていたのにアイズだけは違った。異質な存在だらけの世界で彼女だけが奇妙に近しく思えた。

 挑んで敗れ、死を享受することができたなら、それはそれで幸せだっただろう。なのに知りたいという気持ちが勝ってしまった。だから一旦姿を隠した。

 どうして? 何故彼女だけが? 色が黒いのは何故? 他の天士達と違い、女性の姿をしている理由は?
 帝都から逃げた後も、時が経つにつれアイズへの興味が増していった。相手が自分を追って来ることにも運命じみたものを感じ、余計に彼女を知りたくなった。
 天士と戦うため彼等のことを調べる。そんな題目は建前でしかなかったのかもしれない。本心は、とにかくアイズのことを知りたかっただけ。
 イリアムへの想いを恋とするなら、彼女へのこの気持ちはなんなのだろう? 恋焦がれていた時よりずっと強く胸を焦がし、切なくさせる。会いたい、会って言葉を交わしたい。いいえ、会話が無くても構わない。ずっと傍にいたい。
 オルトランドで天遣騎士団とアイズの真実を知った時、その思いはさらに強くなった。あまりに激しく甘く心を揺さぶる衝動は、時折彼女に復讐心を忘れさせたほどだ。
 これは恋なのか否か、そんな疑問すら、もうどうでも良くなっている。
 一つだけ確かなことがある。それだけが大切な真実。
 彼女こそが運命の人で唯一無二の存在。

「私、は……」

 アイズが立ち上がる。ノーラではなくアイズだと、表情を見て直感的に悟った。どうやら決心がついたらしい。まだ答えはわからないけれど、どちらでもいい。
 アリスは微笑む。笑顔は挑発的な意味に取られることもあるし、実際そのために笑うことも良くある。けれどこれは違う。彼女と再会した瞬間から、本当に嬉しくてたまらないだけ。

(出会ってくれて、ありがとう。貴女がどちらを選択しても、私はそれを受け入れる)

 彼女と一緒にいられるなら永遠の苦痛にも耐えてみせよう。それがアリスの出した答え。
 恋ではないかもしれない。だとしても、これは愛だ。
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