代償(1)

文字数 2,941文字

 手足が動く。全身にまだ痛みが残っていて心もズタズタに引き裂かれた。それでもまだ戦うことはできる。いや、戦わなければならない。
 アイズは決意した。幸いにも折れずにいてくれた剣を鞘から抜き、構える。ノーラの記憶は戦いを拒絶していて、アイズとしての自分がその感情を否定する。
 そうだ、もう自分はノーラではない。アイズなのだ。自らの意志で人生を捨てた。そして多くの仲間から人生を奪った。つまり、これは当然の報い。

「私は、戦う」

 様々な感情が入り乱れ、吐き出したい言葉が次から次に頭に浮かぶ。けれど、あまりにも想いが複雑で言いたいことも多すぎて、結局はそれだけしか告げられなかった。
(皆……)
 アリスの周囲に浮かぶ二十の遺体。彼等を忘れでもしない限り絶対に無理だ。彼女の存在を許容することはできない。目の前の少女を殺し、魔獣の脅威を払拭して戦争を終わらせる。でなければ、彼等に支払わせた対価が無意味になる。
「そう……貴方がそう決めたなら、それでいい」
 アリスの気配も変わる。満足気に頷き、直後に臨戦態勢に入った。こちらを明確に『敵』と認識したらしい。もう、いつ仕掛けて来てもおかしくない。
「ただし手は抜かない。いくら貴女でも、本気でかかって来なければ、きっと私は殺せないから」
「ああ」
 アイズはまだ深度の概念を知らない。だがアイリスは教えなかった。必要ならそうするが、おそらくは不要。女神アルトルの器たる彼女は、最初から人や天士より遥かに深い領域にいる。彼女の刃ならこの心臓に届くはず。
 一対一の戦い。とはいえ、これはルールの定められた決闘ではない。互いに十万の軍勢を単騎で圧倒しうる超常の存在。そのぶつかり合いならば、戦争と位置付けるべきだろう。あるいは災害と呼ぶべきか。
 当然、開始の合図など無い。なのに両者が動き出したのは、ほぼ同時。アイズが踏み込んで前に出た瞬間、アリスも天士達の亡骸を投げつける。

「アリス!」
「アイズ!」

 仲間達を避けながら瞬時に肉薄するアイズ。その剣がアリスの髪の自動防御によって軌道を逸らされてしまう。
 だが次の瞬間、吹き飛んだのはアリス。鳩尾に強烈な衝撃を受けて水平に宙を舞う。
「んぐッ!?
 鉄壁に見える彼女の防御機能にも隙はある。しかし、絶えず流動的にその位置が変わるため他の者達ではそこを突けなかった。
 アイズは違う。彼女の『眼』には、あの程度の守りは穴だらけの盾でしかない。
 一撃で肋骨を折られた。アリスと共に歓喜する六人の少女達。
 やはりそう、アイズなら自分達を殺せる。



「ふ、うっ……避けられる!?
 激痛に顔を歪めたアリスが髪を伸ばして操り、四方八方から攻撃して来る。アイズにはブレイブの風のような防御手段もアクセルライブのような身体強化能力も、ハイドアウトと同じ転移の力も無い。あらゆる角度から追尾して来る数十万本の針を避け切ることは不可能。
 アイズ自身もそう判断した。けれど全てを躱す必要は無い。姿勢を低く屈め、そのまま前に走り、最も長時間攻撃に晒されずに済む空白地帯へ潜り込んだ。そして剣を一閃。
(斬れるの!?
 驚くアリス。この髪は一本一本が鋼鉄以上の強度を誇り、それでいて柔軟なので切断することは極めて難しい。先の戦闘中とてブレイブ以外には傷一つ付けられなかった。
 だが、やはりアイズは例外。
(あれだけ細いのに内部は複雑な構造。だから自在に動かせるのか。収縮して筋肉の役割を果たす繊維に本体からの命令を末端まで届ける神経。そして――)
 人や獣、そして昆虫の関節と同じようにベクトルの方向を柔軟に変化させる機構がある。そこへ急激な旋回によって負荷がかかり硬直した瞬間を狙えば刃は通りやすい。

 白刃が閃き、桜色の髪を切断した。その分だけ安全な空間が増える。素早く滑り込み、そこからさらに前進。同じことを繰り返して間合いを詰めて行く。

 無論、安全とは言っても一秒にも満たない一瞬の話。アリスの髪は無尽蔵に伸ばせて本数も多い。これだけの手数を同時に、かつ自在に操る彼女の脳の処理能力は、神の眼が拾い上げる膨大な情報を瞬時に処理できる自分のそれと同等以上の性能を備えている。たしかに自分達は似た者同士なのかもしれない。境遇だけでなく人外となったことで得た力まで含めて。

 魔獣を生み出す魔獣と、天士を生み出す女神の戦いは続く。

「素早いわね! なら今度は、こうするまで!」
 街を囲む防壁を髪で切り裂くアリス。巨大な壁が分割され複数の破片になった。破片と言っても一つ一つが民家より大きいそれらを髪で持ち上げ、高速で振り回す。掠めるだけで即死しかねない大質量を用いた攻撃。巻き起こされた乱流が塵を巻き上げ、渦を描く。ブレイブの能力であらゆるものが宙を舞ったナルガルでの戦いを想起させる光景。
 点で駄目なら面の発想。面積が広がった分、避けるには大きく動かなければならない。だが一歩の距離が、つまり一定方向への移動距離が長くなれば、その分だけ切り返しの回数が減り、小回りの利く髪の攻撃を避けられなくなる。
 アリスの狙いも正にそれ。巨大な壁を振り回してもアイズに当てることはできない。面積が広い分だけ空気抵抗も大きくなり速度は落ちているからだ。それでも彼女の逃げる方向を限定し、隙を作り出すことはできる。
(今!)
 アイズが大きく跳んだ。その瞬間を狙い、瓦礫の間を縫うように這わせ近付けた髪を殺到させる。掴んで身動きを封じ、そこに防壁の欠片を叩き付ければ無事では済まないだろう。
 殺してしまうかもしれない。それでいい、本気で殺そうとしている。己の死を願うなら、彼女を殺すつもりで戦う必要があるのだ。今この身に向けられている殺意をけっして鈍らせぬために。
 胸が高鳴る。期待と恐れで心臓は早鐘を打つ。
(もう少しで髪が届く! 捕まえてしまうわよ、どうするのアイズ!?
 次の瞬間アイズはベルトから鞘を外し、地面に突き立てた。そしてそれを足場に高々と跳躍する。
「なっ!?
 予想外なのはその後。舞い上がった彼女はアリスが驚いている間に彼女が振り回す防壁の欠片へ着地した。そこからまた勢いを利用して跳び、別の欠片を蹴り、それを繰り返してジグザグに少女の頭上を跳ね回る。
「嘘でしょ!?
 なんて曲芸、あまりの速度と複雑な軌道に目が追い付かない。完全に見失った瞬間、稲妻の如く頭上から急降下をかけるアイズ。剣を逆手に構えて心臓を狙う。
 瓦礫が弾け、また粉塵を噴き上げる。
 ところが、その中から二人のアリスが飛び出した。すんでのところでアイズの攻撃を回避したのである。そして反撃に転じた。
「どっちかわかる?」
 魔素を使った幻覚。一方は右へ、もう一方は左へ。追撃をかけようとしたアイズは一瞬だけ迷い、すぐさま両者の中間地点に走り出す。どちらも幻、実体は透明化している。
「やっぱりね!」
 無意味だと悟り、姿を現すアリス。幻も消し去り、過去を振り返って確信を抱く。
「幻覚なんか効かない! 気付いていたのよ貴女は、ずっと前から!」
「ッ!」
 図星を突かれ、アイズの表情が歪む。彼女自身、今しがたようやく己の欺瞞を知った。いや違う、知っていたのに目を逸らし続けただけだと、この瞬間に認めた。
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