二人の距離

文字数 3,554文字

 こんな辺境の地には滅多に外部の人間は来ない。だからすぐに街道へと出たのだが、街道などと言っても千年間ほとんど手入れもされていなかった荒れ道だ。必然ウルジンの背に乗っている二人に伝わる揺れも大きくなり、夜が明けた頃、リリティアが落馬しかけた。
「おい」
「あっ……ごめん」
 荷物に引っかかりなんとか馬上に留まった彼女を、地面に下りたアイズが持ち上げて押し戻してやる。
「しっかり掴まっていろと言っただろう」
「うん……」
 意識が曖昧で返答にも力が無い。眠いのか。
(そういえば、いつもなら夜には寝ていたな)
 人間は一日のうち半分しか活動できない、その事実を忘れていた。一晩中移動を続けたためリリティアは全く眠れてないのだろう。
 面倒な生き物だ、そう思いながら問いかける。
「ここで休むか?」
「ううん……」
 やはり半分夢の中で、問いかけを理解しているかも曖昧。このままでは次こそ落馬してしまう。
「休め」
 どのみちウルジンにも休息が必要。一晩移動してなお二人と一頭は広大な森の中。アイズは少女を持ち上げ、適当な木にもたれかからせてやる。一応、地面に横たえるのは問題があると考えた。
 そして座った姿勢のまま寝息を立て始めた彼女をじっくり観察し、気付く。
「虫がいるな」
 いくら極寒の地とはいえ今は夏。そこら中に虫がいて少女の体にも這い上がり始めた。ため息をつきながら手で払い、もう一度担ぎ上げる。どうしたものか。
(毒虫もいる、ここで寝させるのは危険だ)
 そう考えた彼女の脳裏に、旅支度を手伝ってくれた部下の言葉が蘇る。

『副長、野宿の際にはこちらをお使いください』

 そういえばそうだったとウルジンの背に括りつけた二つのカバンの一方を開く。中身は見慣れた天幕。そしてそれを張るための布と骨組み。戦時中やアイリス追跡任務に従事していた頃、いつも使っていたものだ。
(一人なら不要だと思っていたが……)
 天士(ギミック)は人間ほど頻繁な休息を必要としない。睡眠も数日に一回、それも一時間程度眠れば十分だ。地上の毒など通用しないので毒虫に刺されても平気だし、そもそも天士には寄って来ない。獣も虫も恐れて避ける。
 しかしリリティアは人間。睡眠も安全な寝床も必要不可欠。用意の良い補佐に感謝しつつ少女を再びウルジンに預け、骨組みを組み立てていく。いつも他の誰かがやっていた作業なので苦労した。目も記憶力も良いので手順は覚えていたが、実際に自分の手でやるとなると勝手が違う。
 しばらくしてなんとか天幕を張れた。すると、その段階になって思いつく。
「私が一緒に寝たらいいだけじゃないのか?」
 そうしたらリリティアにも虫がつかない。
 思いつくのが遅く無駄な苦労をしてしまった。とはいえ、せっかく張ったのだしとリリティアを持ち上げ、天幕の中へ運び込む。人間は寒さにも弱いし全く無意味ではないだろう。少女は眠ったままで、ウルジンはそんな彼女とアイズを見つめている。
「一緒に寝たいのか?」
「ブルッ」
 頷くように頭を上下させた。けれどアイズは天幕に入りながら却下する。
「駄目だ、お前は男だからな」
「ぶひぃん……」
 ブレイブに言われたのだ、男を寝床に入れてはならないと。人間の夫婦のように心に決めた相手以外には、それを許してはいけないのだそうだ。三柱教の教義でも女子は貞淑たれとあるし、男女間ではそういう線引きが必要なのだろう。
「中に入らなければ近くにいていい」
「ヒンッ」
 ウルジンは言われた通り近付いて来てすぐ近くに座った。この馬は非常に賢く、かつ選り好みが激しい。男はけっして背に乗せようとしないのでアイズ専用にあてがわれたのである。
(馬で移動するより、自分で走る方が早いのだがな……)
 とはいえ少女と荷物を抱えてとなると体格の問題で難しい。人に天士と同等の健脚を求めるのも酷だ。なので人間の兵士を従えていたアイリス追跡任務でもこの馬を使った。
 愛着は特に無いが、自分の馬だという認識はある。忠誠心が高いので勝手にどこかへ行ったりもしない。だから木には繋がず信用して瞼を閉じた。リリティアを抱いて横たわり身体を休める。
 天士に頻繁な休息は不要。でも一ヶ月こうして一緒に眠って来た。だから最近は眠ろうと思えば簡単に眠れる。相手の寝息を感じることで自分の呼吸も次第に合っていくのだ。そうすると不思議と眠くなってくる。
 こうしていれば虫に集られることもない。二人はしばしの休息 ウルジンはそんな彼女達の傍に寄り添い、周囲を警戒しつつ見守り続けた。



 正午を少し過ぎた頃、揺り起こされる。
「アイズ、アイズ」
「ん……」
 瞼を開くとリリティアの顔が目の前にあった。大きな桜色の瞳が黒い瞳を覗き込む。
「そろそろ行かなくていいの?」
「……ああ、そうだな」
 太陽の位置で時間を計る。思ったより長く眠ってしまった、もっと早く出発するつもりだったのだが。
 それに――
(まさかリリティアに起こされるとは)
 不覚だ、今まで一度も彼女より遅れて目を覚ましたことなど無かった。これが敵ならもう死んでいる。そう自分を叱責して起き上がる。
 二人で天幕を解体し、カバンに詰め込めんだ。そしてまたウルジンの背に上がろうとした段階で少女が提案する。
「ねえ、前に座りたい」
「何故だ?」
「前の方が景色がよく見えるし、さっきみたいに落ちそうになってもアイズがすぐ気付いてくれるでしょ」
 なるほど合理的な理由である。アイズとしてもこだわりはなく、前後どちらであろうと構わないので前の位置を譲ってやった。
 そしてようやく再出発。直後にリリティアの腹が大きく鳴った。
「あう」
「空腹ならこれを食え」
 後ろになったことでカバンに手が届きやすい。新たな利点を見つけ出したアイズは城から持って来た糧食を一つ手渡す。
「干し肉だ!」
 嬉しそうに噛り付くリリティア。この少女は食欲旺盛で好き嫌いはあまり無い。知る限り硬くて歯が立たなかったパン以外はいずれも不満を言わず食べていた。
 今もそうだ、塩辛い乾燥させた肉を大事に少しずつ噛み千切って食べる。
 すると今度は喋り出した。だいたいの場合そう、食べながら一方的に話す。
「クラリオに行く時もね、お父さんとお母さんが干し肉をくれたよ」
「そうか」
「でも味がちがうね、これって何の肉?」
「うさぎだ」
「うさぎかあ……ちょっと可哀想」
「……」
 両親の話をしても記憶が飛ぶ時と飛ばない時がある。少なくとも両親の死については受け入れており、それをきっかけに少しずつ症状が改善しているのかもしれない。
 全てを思い出したとて、アイリスを倒した今、もはやなんの意味も無いが。

 ――そのはずだ。

「アイズは食べないの?」
「いらん。それほど多く持って来たわけではないからな、節約する」
「別にがまんしなくてもいいのに」
「我慢はしていない」
「せっかく外に出たんだし、食べ物なんてそのへんで集めたらいいよ。わたし、お母さんとおばあちゃんに教わったから食べられるキノコとか見分けられるよ。お父さんとおじさんに魚の捕り方も習った」
「なら、足りなければ自分で調達しろ。私は三日に一枚の干し肉で足りる」
「いっしょに食べたほうがおいしいんだってば」
「ヒヒン」
 唇を尖らせるリリティア。同意するよう頷くウルジン。
「ほら、ウルジンもこう言ってる」
「馬の言葉がわかるのか?」
「わかんないよ、でもなんとなくわかるでしょ」
「わけがわからん」
 わからないのにわかる? 矛盾していて、そしてやかましい。
「サラジェまでずっと喋り続ける気か?」
「その方が退屈しないでしょ」
「退屈はしないが」
 気疲れはする。やはり一人で来たかったと思うアイズ。案内役と言っても子供では役に立たないだろう。
 つまり、ブレイブの真意は別のところにある。
(人間との接し方を学べ……か)
 本当にそれが必要なことなのか、今もまだ彼女は計りかねている。
 直後、一気に視界が広がった。ようやく森を抜けたのだ。
「わあっ……」
 西へ伸びる街道、その左右の平原。彼方に連なる山々、青空と流れ行く雲。それらの姿に感嘆の声を上げたリリティアは続けて呟く。
「来た時に見た景色だ……」
「馬車からか」
「うん、幌がかかってたんで後ろばっかり見てた」
 つまり、これから行く方向。
 やがて振り返る少女。つられてアイズも元来た方向を見やる。広大な針葉樹林には傾斜が付いており、彼女達はそこを下って来た。必然、今度は見上げる形になる。
「こんな広いところを通って来たんだね」
「ああ」
「でも、あっちはもっと広い」
「そうだな」
 再び行く先を見つめ、指差すリリティア。頷きながらウルジンを前に進ませるアイズ。視線の先には、これから歩む長い道が待ち構えている。
「先は長いぞ」
 サラジェまでは、およそ五日の道のりである。
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