悲しみの先へ

文字数 2,762文字

「う、ん……?」
「起きたか」
 リリティアが目を覚ます。その気配を感じ取って声をかけるアイズ。眠る少女の支えになりつつウルジンの背に跨って一夜を過ごした。ゆっくり森の中を進む二人と一頭の周囲には、他の人影は一つも無い。こんな辺境で誰かに出くわす可能性は元々低いし、誰かが近付いて来たとしても彼女の目が先にその姿を捉える。避けることは簡単だろう。
 リリティアは寝ぼけ眼を擦りながら困惑した。
「あれ……? どうしてアイズ……帰って来てたの……?」
「ああ、お前が寝ている間に戻った」
「そうなんだ。ううん、おかしいな……ちゃんとお迎えしようって思って、準備してたはずなんだけど……」
「張り切り過ぎて疲れたんだろう。眠かったら、まだ寝ていていいんだぞ」
「ううん、せっかくまた会えたんだもん! おかえりアイズ!」
「……ただいま」
 複雑な表情で頷く。リリティアはまだ気付いていないのだろうか、自分達が今どこにいるのかを。
 もちろんそんなことは無かった。彼女はとっくの昔に疑問を抱いていて、それを素直にぶつけて来る。
「ねえ、どうしてクラリオの外にいるの? 出ちゃいけないはずじゃ……?」
「いいんだ。もう、あの場所には戻れないから」
「えっ……?」
「よく聞いてくれリリティア。実は、お前はただ眠っていたわけじゃない。また記憶が飛んだんだ。大変なことがあったからな……」

 そしてアイズは語り出す。再び強大な力を持つ魔獣が現れ、一夜のうちにクラリオを壊滅させてしまったのだと。リリティアはその光景を目の当たりにして治りかけていた記憶障害が再発した。
 そういうことに彼女とアリスで相談して決めた。

「そんな……みんなどうなったの!? アクスたちは、ケンヒルやメーナおばさん! 街のみんなはどうなっちゃったの!?
「死んだ。生き残ったのはお前と私と、そしてブレイブだけだ」
「やだ……やだよそんなの、そんなのやだ! 戻ろう! 戻ってアイズ! 嘘だよそんなの、あるわけない! 天士のみんながいたのに、そんなことになるわけない!」
 戻って確かめたいと暴れるリリティア。驚いたウルジンが混乱して立ち上がりそうになったため慌てて下に降り、走り出そうとする少女の体をしっかり捕まえて抱きしめる。
「駄目だ、戻っても何も無い。皆、死んだんだ。アクスも、ハイランサーも、フューリーもハイドアウトもいない。全員死んだ。街の人々も、お前の友達も……!」
 言っている自分自身が辛い。もう乗り越えたと思った悲しみが再び押し寄せ、衝動的に真実が口をついて出そうになる。彼等を殺したのはお前だと。お前の中にいるアリスなのだと。
 でもリリティアは何も知らない。だから知らないままでいさせてあげたい。これ以上の悲しみをこの少女に背負わせるべきではないだろう。そんなことは誰も望まない。
 罪の意識も真実の醜さも自分達だけが知っていればいいことだ。
「戻りたい……戻りたいよ……」
 リリティアはすでに大人しくなっている。けれど、その大きな桜色の瞳からは涙が溢れて止まらない。彼女にとってあの街での生活はそれだけ大切なものだったのだ。
「私もだ……でも、できない」
 自分達は身を隠さねばならない。見つかったなら、そこからは追われる身となる。自分以外には誰も、この少女の存在を許してくれないのだ。
「私が一緒にいる。いつまでだって、お前が望む限り離れない。今度こそ絶対にだ。だから行こう、お前が幸せになれる場所へ」
「幸せに……?」
「あるはずなんだ。きっと、それはある。私の『眼』がそう言っている。まだ不確かな未来でしかないけれど、だとしても道はそこまで続いている」

 この子一人も幸せにしてやれなくて何が女神だ。
 必ずそこへ辿り着く。辿り着いてみせる。

「リリティア、私を信じてくれ。私は何があってもお前の味方だ」
「うっ……ううっ……ううっ……!」
 嗚咽を繰り返しつつ何度も頷くリリティア。今もまだ彼女は自分に依存しているのかもしれない。それでいい。いくらでも頼って欲しい。リリティアもアリスも絶対に見放しはしない。
「おかしいよアイズ……こんなに悲しいのに、記憶が飛ばない。忘れられない」
「忘れなくていい。覚えておくんだ、その悲しみを」
 ついさっき、リリティアが目覚める直前までアリスと議論を交わしていた。リリティアの記憶をどう扱うべきかと。

『私の顔は多くの人間に知られている。だから普段はリリティアを表に出すわ』

 そう言われ、たしかにその通りだと思ったので提案を受け入れた。しかしリリティアにクラリオ壊滅の事実を伝えるかどうかは意見が分かれ、ようやく結論が出たところである。
 アリスは不必要な情報は与えず、必要なら不都合な記憶も消せば良いと言った。けれどアイズは大切な人達の死を伝えた上で全て覚えていて欲しかった。心に刻まれた傷の深さは彼等をどれだけ想っていたかの証明だと思うのだ。
「悲しいことがあっても、足を止めるな。その悲しみを力に変えて前に進め。私も一緒にそうする。足を止めなければ、いつかは辿り着ける」
「幸せになれる場所……?」
「そう、その先にだってな」
「いっしょに来てね」
「当たり前だ」

 軽く背中を叩き、立ち上がる。もう大丈夫だろう。

「すまなかったウルジン」
「ブヒン」
 昨夜、森の中に繋いで来たというのに勝手に縄を解いて追いかけて来た愛馬は一声嘶き、乗れと言うように自らその場で屈んだ。賢いやつだ。苦笑しつつリリティアと共に再び跨る。
「どこに行くの?」
「わからん。だが、とりあえずは西へ向かおう」
 今、一番会いたくない相手はもう一人の副長ノウブル。あの男は得体が知れない上に考えも読めない。なるべく彼からは遠ざかっておきたい。
 しばらく進むと、また喋り出すリリティア。
「団長さんは?」
「ブレイブは来ない。でも、そのうちまた会える」
「エアーズも死んじゃった……?」
「ああ……」
「エアーズ、アイズのことが好きなんだよ……大好きだったの」
「そうだな」
 頷き、元来た道を振り返った。リリティアもだ。木々より高い位置まで登った太陽が枝葉の隙間から差し込み、そんな二人を照らす。
 アイズも認めた。もう一度、彼にこの声が届くようにと祈りつつ。

「私も、好きだった。共に生きたかったよ」

 日は昇っても、二人は逆方向へ進む。本当の意味での夜明けはまだ訪れていない。暗い夜は続く。まだ希望は何も見えず、長い長い闇の中を手探りで歩かねばならない。
 それでも信じて進もう。この眼が光を捉える、その時が来るまで。
(いや……)
 光は見えているのだった。この胸の中に、そして目の前にもう一つ。
 この二つの輝きがいつかは未来を照らし出してくれる。彼女はそう信じて、最愛の少女と愛馬と共に旅立ち、数々の思い出が残る地から立ち去った。

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