大きな代償(2)

文字数 3,699文字

(夢だと言っていた。舞台で演じること、あるいは劇を作ること、そのどちらかだったとして、たった一度で満足できるものか?)
 倒されたと見せかけて、まだ生きているのかもしれない。いや、あの時たしかに完全に拡散していた。隠れる場所も無い空中では自分達はともかくアイズの眼まで欺けはしないはず。

 なら、どうして? 考察は結局そこで行き詰まる。

「……わからんな」
 やはりアイズに捜索の続行を命じるべきだろうか? しかし確かな証拠も無いのにアイリスが生存しているかもしれないと説いたところで理解を得られるかわからない。アイズ自身はともかく他を納得させるのが難しい。その中には彼自身も含まれる。
 そんな曖昧な直感だけで、これ以上彼女から自由を奪っていいのか?
「クソッ……」
 机に両肘をつき、手を組んで額をぶつける。一人で考え込む時の彼の癖。
 その瞬間に気が付いた。
「……」

 机の上の資料。アイリスとの戦い以降、考えることが多くて全く手を付けていなかったそれに見覚えの無い紙が一枚挟まっている。

「……明らかに他と質感が違う」
 どこかに長年放置されていたような日に焼けて染みもついた汚い紙。イリアムが研究に使っていたのとは別物。誰かがいつの間にかここに挟み込んだ。そんなことができたのは同じ天士か、あるいは──
 嫌な予感がする。これを見てはいけない。そんな気がしてならない。
 けれど抗いがたい力に引き寄せられブレイブはそれを掴んだ。積み重なった紙の間から引っ張り出し、目を通す。

 文字が書かれていた。あの暗号文。アイリスの製法を記したもの。
 でも部分的に書き換えられている。しかも、

「アイズ達が見つけて来た、現場に残されていた暗号と同じ筆跡……」
 犯人はわかった。そして書き換えられている部分には本来“素体には十代前半の子供を用いるのが理想的”とあった。
 改めて訳したブレイブは歯を食い縛り、涙を零す。握り潰した紙を持ったまま言葉無く俯く。怒っているのか悲しんでいるのか自分でもわからない。
 ようやく搾り出せたのは弱々しい罵倒。

「馬鹿野郎……」

 そこには、こう書かれていた。
 素体には十代前半の“子供達が用いられた”と──



「団長、アイズだ」
『入れ』
 ブレイブに呼び出された彼女は数日ぶりに執務室を訪れた。中に入ると彼は座っていて、背中を向けたままで訊ねて来る。
「体調は?」
「問題無い。職務への復帰を望む」
「ああ、そうだな、そろそろ働いてもらおう」
(よし)
 ブレイブが乗り気だと知って安堵する。あの戦いでかなり出血したし、毒の影響もまだ残っていた。それで回復に専念するよう命じられていたのである。
 しかし休んでいる間は途方に暮れてしまった。やることが無いからだ。部屋でひたすらじっとしていたら次第に苦痛を感じるようになってきて、暇を持て余すという言葉の意味を実感できた。おかげで初めて目的も無く城内を歩き回る羽目に。
 そう、そしたら──
「城の掃除を手伝ったそうだな?」
「暇だったからな」
 これもやはり初めての経験。市民の一部が火事で煤けた城内を清掃していて暇な彼女が手を貸した。やり方は彼女達を観察して覚えたので、それを真似しただけ。なのに手際が良いと褒められた。何度も感謝の言葉を述べられもした。
 だからといって、どうということもない。少女と手を繋いだ時のような胸の疼きは感じられなかった。やはりあれは一時だけの現象だったのだろう。戦闘後の高揚感を彼女との接触によって発生したものと誤認したのかもしれない。
 そんな短い回想を終えたタイミングで本題に入る。
「お前の次の任務だが、懲罰を兼ねることにした」
「何?」
 予想外の言葉が出て来た。何に対する罰だと言うのか。
「お前、勝手に病院へ行ってあの子の病室に踏み入ったそうだな。鍵まで壊して」
「……」
 それか、たしかにそんなこともしたと思い出す。
 反論しない彼女を彼は続けて問い質す。
「あの子に“虫型魔獣”を見せて尋問しただろう。その結果、彼女の精神に致命的な傷を負わせる可能性は考えなかったのか?」
「考えた」
 即答。そうなる可能性には気付いていた。
「だが、任務遂行を優先すべきと判断した」
「それが問題なんだ」
 ようやく立ち上がって振り返るブレイブ。目の周りが少し腫れているような気がしたが、今は指摘すべき時でないだろう。
 正面から強く睨まれる。
「たしかにアイリスの捜索を命じた。必ず見つけ出せとも言ったが、だからといってそのためなら何でもしていいわけじゃない。オレの命令は免罪符じゃないぞ。天が決めた理のように人界にも超えてはならない一線がある。いいかげん、それを学べ」
「……わかった」
 素直に頷くアイズ。己が無知だという自覚はある。アイリス打倒を成し遂げ時間に余裕が出来た今こそ、その欠点を補う好機かもしれない。
「では、どうしたらいい?」
 どうやったら人の世の常識を学べる? 問いかけるアイズに不機嫌な顔のまま待ったをかけるブレイブ。
「そろそろ来るはずだ」
「何?」
 いったい誰が、何のために?
 困惑するアイズの背後で扉が叩かれた。
『団長、連れて来ました』
「入れ」
 エアーズの声。まさか彼が指導官になると言うのか? 同じ天士だから知識には大差が無いはずなのに。しかも部下だ。
 そうではなかった。入室して来るエアーズ。その隣にもう一人同行者がいる。彼女こそアイズのために招かれた教師であり懲罰。そして新たな任務の対象者。

「改めて紹介しよう、リリティア・ナストラージェ君だ」
「こ、こんにちはっ」

 数日ぶりに見る少女の顔には以前のような生気が戻っていた。緊張した面持ちでアイズに向かって頭を下げる。
「何故、この子供を?」
「子供、などという呼び方をするな。彼女はこれからしばらくの間、お前のパートナーになるんだぞ。ちゃんと名前で呼んでやれ」
「パートナーだと?」
「ああ、すでにリリティア君には話してあるが、彼女は当面オレ達の保護下に置く。この城でお前と一緒に生活するんだ」
「なっ!?

 何故と問う前に答えが返って来る。

「彼女はアイリスと長時間接触していた。だから、まだ監視対象なんだよ。本人に自覚が無かったとしても何かを仕込まれているかもしれない。あるいは、あのアイリスのようにオレ達を欺いている可能性もある。その姿は擬態じゃないのか?」
「ぎ、ぎたい?」
 ブレイブに睨まれ怯えた表情で一歩下がるリリティア。隣に立つエアーズの足にしがみついて半身を隠す。
「団長」
 半眼になり非難するエアーズ。するとブレイブは椅子を掴んで回転させ座り直す。
「可能性があるという話だ。オレもそんなに疑っているわけじゃない。しかし、どのみち両親を失った彼女には保護者が必要だ。他に身内はいないそうだしな」
 リリティアを知る近隣住民の中には引き取りたいと申し出る者達もいた。孤児院からも受け入れることは可能だと回答を得ている。だが全て断った。理由は今しがた語った通り、彼女が今なお監視対象だから。
 そして、もう一つ。
「アイズ、見極めろ。彼女を観察し、その正体を明らかにすること。それを正式にお前の新しい任務として言い渡す。リリティア、君にも期待している。人であろうとなかろうと、そこにいる無知な天士に人間とは何か教えてやってくれ」
 そう言って、ようやくリリティアに笑顔を向ける彼。リリティアはまだ警戒しながらも軽く頷き返した。すでに話を通してあると言っていたし、この少女も一緒に暮らすことに同意済みなのだろう。
 アイズはこめかみに手を当て顔をしかめる。何故かわからないが頭が痛む。説明は理解できた。なのに自分の中の何かが拒否感を示している。
「納得できないか?」
 ブレイブに問われ、ようやく気付く。そうか、これはそういうことなのだ。
「理解と納得は違うんだな」
「ああ、早速効果が出たな。その調子でどんどん新しいことを学んでいけ。通達は以上だ、三人とも退室しなさい」
「待て、彼女と共に暮らすことはわかった。だが、それ以外は? 他には何をしたらいいんだ?」
 まさか、ずっと城にいてこの少女と話していろというわけじゃあるまい。焦燥感を面に出して問いかけたアイズにブレイブは想像を絶する無情な返答を放つ。
「それもリリティアと二人で考えろ。当面、お前が何をすべきかは彼女と二人で協議して決めるんだ。城の中で過ごしてもいいし二人で外へ出かけてもいい。お前達が話し合って答えを出せ」
「なっ……」
「さあ、さっさと出て行け。オレは事後処理で忙しい。エアーズ、連れて行け」
「あ、はい。副長、行きましょう」
「ま、待て。団長、納得できない! 私は──」
 食い下がろうとしたアイズの肩をエアーズが押して強引に外へ。リリティアも部屋から出て行き、扉に手をかけつつもう一度頭を下げる。
「あの、これから、よろしくお願いします」
「ああ」
「んっ……」
 扉を閉めようとする彼女。しかし重い扉なので少女の力ではビクともしない。気付いたエアーズが代わりに閉めてやる。
 アイズはなおもブレイブに呼びかけた。
「団長! 考え直してくれ!」
 しかし返事は無かった。
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