旅立ちの夜

文字数 3,622文字

「……アリス」
「アイズ!?
 瞼を開けた彼女を見て、自らも驚きに目を見開くアリス。完全に呼吸が止まっていたのに本当に蘇った。
「良かった……」
 感極まって抱き着く。上体だけ起こしたアイズもやはり弱々しい力で抱き返す。温かい。まさか、もう一度触れ合えるとは思っていなかった。
 それにこの反応、こうして見るとアリスもまた普通の少女としか思えない。リリティアとさほど変わらない歳だから当然か。これが本当の彼女なのだ。彼女の父ジニヤ、そしてイリアムが当然の生き方を彼女から奪った。
 罪が無いとは言えない。憎悪で猛り、死を求めて足掻いていたのだとしても、あまりに多くの命を奪ってしまった。残酷に弄び、悲しませもした。永久に許されることはないだろう。
 だとしても死なせはしない。少なくとも、こんな寂しい場所で悲しい形では。エアーズの言った可能性を、アリスと六人の少女達が笑顔で旅立てる、そんな未来を手繰り寄せてみせる。この眼は本来そういうことのためにあるのだ。
 なにより自分が彼女といたい。失われた幸福を取り戻し、笑顔にしてやりたい。
 リリティア同様、今はアリスも大切。自分達は同じ男を愛し、同じ罪を犯した。この世で唯一の理解し合える仲間。だから共に歩もう。
「死なないでアイズ……私を置いて行かないで……」
「すまなかった……もう、同じ間違いはしない」
 背負う覚悟が無かった。そして最も楽な道に逃げ込んだ。
 本当に残酷だ。だから二度としない、約束する。
「傍にいる。お前が望んでくれるなら、いつまでだって一緒にいる」
「うん……」
 アリスはアイズの胸に顔を埋め、静かに泣き続ける。
 アイズは周囲を見渡した。やはりもう、彼以外には誰も残っていない。
「皆も、エアーズと同じで……」
「ああ、お前に命を返して、逝っちまった」
 ブレイブだけは取り残された。彼はまだ女神との契約を果たしていない。自分達と同じで簡単に死なせてはもらえないらしい。
 彼を除く十九人の天士は全員が地面に横たえられている。ブレイブが運んできて並べたのだろう。精神世界でのエアーズとの会話から薄々何が起きたかは察していた。そして、再び現実世界で目を覚ました瞬間に完全に理解出来た。

 胸の傷が塞がっている。光を放ってはいないが、それでもわかる。ここにまだ彼等がいる。彼等の託してくれた命が脈打ち、呼吸している。想いが伝わる。エアーズもアクスもここから自分達を見守り続けてくれる。

「ありがとう……」
 感謝し、笑顔で見送らなければ。そう思うのにやっぱり涙が流れた。天士だけでなく、この街で暮らしていた数万の人々の姿も脳裏に浮かぶ。彼等の生きた時間を思い返す。
 自分達のせいで死なせてしまった。あまりにもたくさんの未来を奪った。
 だからアリスの手を握る。彼女の中にリリティアの存在も感じる。実験台にされて命を落とした六人の少女達も。
 誰も彼もが傷付き、傷付けた。償い、癒していこう。この命が再び尽きる、その時まで。一緒に、優しい結末を探しながら。



 ――しばし後、シスは一人、廃墟と化したクラリオに佇んでいた。座ってしまいたいが、それをすると二度と立ち上がれなくなりそうで怖い。だから立ったまま星空を見上げる。
 アイズとアリスはいない。もうすぐ別動隊の天士達が来ると聞いて逃がした。アイズはともかくアリスがいてはややこしいことになる。普通の子供を装わせても、この状況ではどうしたって怪しまれる。天士はともかく三柱教を誤魔化し切れない。手元に置いて匿うことも考えたが、クラリオ壊滅の責を問われた場合、自分の立場だってどうなるかわからない。
 だから二人共ここで死んだことにする。いつかはバレるに違いないが、当面は追手をかけられずに済むだろう。
 今回だけだ。エアーズ達の願いを無為にしないために今回だけ見逃す。もしまた同じことが繰り返されるようなら、次こそは必ず殺すと釘を刺しておいた。アリスはまだ世界を呪っており、その怒りは再び無辜の人々を巻き込むかもしれない。繰り返される絶望の記憶に精神が疲弊し、正気を失ってしまう恐れもある。
 いや、すでにそうなっているからこそ今回の惨劇が生じた。
 だが、アイズが近くで見守っているなら大丈夫なはず。あの二人は極めて近しい境遇ゆえ互いに依存し合っている。健全な関係とは言い難いが、双方の心に深く根を張っているからこそ歯止めになれる。
「大人しくしていてくれよ……」
 しばらくの間、目立ってもらっては困る。少なくとも、こちらが真相を突き止めるまで。
 アイズが精神世界でアルトルから聞いた『侵略者』の話。あれが気にかかる。帝国の皇女だったアリスも知っていた。この世界の歴史は偽りであると。千年前の戦争の真の勝者に改竄され、皆がそれを信じ込まされている。カーネライズの皇帝は代々その真実を秘密裏に語り継いで来たそうだ。いつか虚構が砕かれ、真の歴史を知る者が必要になった時のために。
 そしてあの少女は、別の恐るべき事実も知っていた。

『オルトランドにはアルトルの眼球以外にも、もう一つ『神体』が保管されているはず。三柱教はそれも利用するかもしれないわ。せいぜい気を付けて見張りなさい』

 彼女はどうやら気付いているようだ。シスが天士となった理由に。アイズを近くで見守り、導くこと。イリアムの凶行の阻止。それ以外の第三の目的があるのだと。
 侵略者、おそらくそいつが彼の標的。
「報いは受けさせてやる……」
 ジニヤの乱心。異様な速度で技術を進化させていったイリアム。千年前の戦をなぞるかのような大戦。アルトルの復活とそのために捧げられたノーラ。神にすら届く刃を持つ魔獣アイリス。
 たった数年の間に、あまりにも多くのことが起こり過ぎている。偶然だとは思えない。何者かの意図を感じる。ジニヤやイリアム、あるいはアルトルでさえも、その存在の手の平で弄ばれているような感覚。
 それを見つけ出して討つ。彼はそのために力を欲し、シスからブレイブになった。人知を超えた存在と戦うには自分もまた人の枠を外れる必要がある。
 つまり、彼もまた復讐者なのだ。

『色々ありがとう、兄さん』

 別れ際、アイズにそう言われた。あの悲しい笑顔を、滲んでいた涙を忘れることは無い。
 ノーラの顔も思い出す。アルトルの器となった後も妹は時々自我を取り戻した。そして罪の意識に苛まれながら懇願するのだ。

『ごめん、ごめんなさい……ごめんなさい……助けて、兄さん……』

 他人の記憶を奪い、天士にしてしまったことを悔やんでいた。自分の選択は間違っていたのかもしれないと嘆き、苦しみ続けた。
 だから記憶を封じた。ノーラが全てを忘れて『アイズ』になれるよう術を施したのは彼だ。薬と暗示を併用して新しい人格を作り出し、それをもって記憶の扉に鍵をかけた。二度と妹が罪の意識に苛まれぬように。
 でも、それは結局新たな犠牲者を生み出しただけ。ノーラだけでなくアイズの心にまで深い傷を与えてしまった。
「こんな兄貴でごめんな……」
 妹にあんな顔をさせる兄は最低だ。イリアムと引き合わせ、ラウラガの邪悪な企みを阻止出来ず、ノーラの未来を奪ってしまった。リリティアの正体を見抜けず、この手で殺すことにさえ失敗してアイズにまで業を負わせた。彼女達の身に降りかかった悲劇は全て自分が原因。
 それでも守ってやりたかった。いつまでも、この手で導いてやりたかった。幼い頃のノーラの姿と記憶を封じアイズとなってからの無垢な彼女の姿がない混ぜになり、次々に脳裏に浮かぶ。大事な妹をまさか最大の敵だと思っていた少女に託すことになるとは。
 でも仕方がない。子供は大人になっていく。彼の目には今なお幼く見えていたが、実際にはそうではなかった。アイズは自分で決断して道を決めたのだ。初恋まで経験した。もう兄が口うるさく干渉していい存在ではない。それぞれの意志は尊重されるべきである。たとえ世界を敵に回す選択をしたとしても、一人くらいは認めて背中を押してやらねば。
 でなければ、何のための兄妹だと言うんだ。
「責任は俺が取る。たくさんの人を巻き込んだ償いは俺がやる。だから、お前らは羽ばたけ。自由に未来を選択して先へ進め」

 月が頂点に上る。まだ夜明けの時は遠い。
 けれど、だとしても必ず朝は来る。
 彼はそれを信じたい。

「おっと、来たか。さて、どう説明したもんかな……」
 部下達がクラリオに戻って来た。驚いた顔で周囲を見渡し、こちらの姿に気付いて近付いて来る。彼は再び『ブレイブ』の仮面を被り、そんな彼等を導く者として振る舞う。
 いつかはこの仮面を捨てる日も来るだろう。だが今はまだその時ではない。最強の魔獣アイリスは生き残ったのだ。そして三柱教の抱える闇の中でも何かが蠢いているのを感じる。
 戦争は終わっていない。半数に数を減らしてなお天遣騎士団の戦いは続く。
 彼は、その一団の長なのである。
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