旧都開戦(1)

文字数 3,288文字

 あれから一時間以上、アイズはつぶさに街の様子を観察していた。
 下草の間、石の下、その他様々な物陰や暗がり。人が気付きにくい場所を這いずり蠢く虫達。さらにネズミのような小動物にも気を配る。アイリスがこれまで自分の眼を逃れて暗躍できたのは、あれら意識の死角に入りやすい小さな生物を利用してきたから。それがわかった以上、不自然な動きを見つけ出すのは難しくない。そのはずである。

(意識の死角、か)

 戦争が始まる前、天界らしき場所で訓練を積んでいた日々のことを思い出す。当時から自分達の指導者はブレイブだった。そんな彼がある日、彼女に言った。

『見たいものだけを見るな』

 人は無意識に情報の取捨選択を行っている。天士もそうだ。五感を通じて取得する情報の全てを認識できるわけではない。たとえば目の前を二人の人間が歩いている。うち片方は知り合いで、もう一方は他人。そんな場合、人や天士は前者の顔しか認識しない。後者も記憶の片隅には残るかもしれないが、意識されぬままやがて忘れ去られる。不要な情報だと脳が切り捨ててしまう。

『アイズ、お前の眼は特別だ。他の誰より優れた力を秘めている。だが、その真価を発揮させるには使い手であるお前自身が成長しなければならない。
 見渡せ。見つめるんじゃなく全てを同時に見ろ。その瞳に映る何もかもを公平に記憶に焼き付け、お前だけが到達できる真実に辿り着け。同時にそれは意識の死角を潰し、お前の身を守る術にもなる』

 ──あの訓練を経て戦いに身を投じ、多くの魔獣を屠って来た。だが、未だにこの身に傷を付けられたことは無い。ブレイブの教えがあったればこそ。
 だからもう一度思い出せ。自身に呼びかける。己の中の力を感じ取り、視界内の全てに公平に意識を広げる。
 見たいものだけを見てはいけない。そうだ、過ちに気付いた。虫や小動物の動きだけに気を取られるな。
 世界とは一つの生き物だ。人が無数の細胞から形作られているように、そこに存在する全てが相互に干渉し合っている。
 見るべきはその反応。水面に石を投げ込めば波紋が生じる。それと同じ。どんな小さな変化でも必ず周囲に影響を及ぼす。打ち消し合うものがあれば重なって大きくなることもある。複数の波紋が重なって一気に大きくなろうとしている。そんな場所は無いか?

「!」
 監視を始めてからしばらく経ち、時刻が深夜となり市民の大半が寝静まった頃、彼女はついに見つけ出した。空気の流れの微小な変動、地面から巻き上げられた塵、怯えて逃げ出す付近の鳥達。そんな様々な情報を拾い上げ、脳内で統合したことにより寸前になって察知する。
 ブレイブの言った通り敵が動いた。あそこだ!
「エアーズ! 北の第二区、テントの集まっている場所へ仲間を急行させろ! 魔獣発生の兆候を捉えた!」
「はい!」
 指示を出した彼女はすぐに目線を動かす。今度は“兆候”──すなわち急速に一ヵ所に向かって移動を始めた虫達の経路を遡り、発生源に当たりをつける。
 そして目を見開いた。

「あれは……!」

 何かが視界の一部をぼやけさせている。神の祝福を受けた瞳でも透視出来ないこの世で唯一の物質。かつて一度だけ見たことがある銀色の霧。
 間違いない、奴だ。帝都でイリアム・ハーベストを殺害した謎の存在。
 おそらくはアイリス!

「ハイドアウト、開け!」
「はい」
 執務室には彼女とエアーズ以外にさらに二人の天士がいた。ブレイブが作戦を伝達してここへ来るよう指示した非番の仲間である。
 彫りの深い顔立ちで長身の天士ハイドアウト。彼が右手で触れた途端、目の前の壁に穴が生じた。もちろん壊したわけではない。空間を歪めたのだ。彼は“洞”の能力を与えられた天士。あらゆる物体に傷付けることなく穴を穿ち、抜け道や隠れ場所を作り出す。
「行くぞ!」
 最初にアイズが外へ飛び出す。当然そこは高い塔の最上階と同じ高度。だがすぐに彼女の足が光った。そして空中に直立する。もう一人の増援も“洞”を通り抜けて来る。
「北ですね」
「そうだ、急げ!」
「了解」
 彼、天士クラウドキッカーは“靴”の能力を持つ天士。力場で足を包むことにより空中歩行を可能とする。その力を借りたアイズは並んで空を駆け抜けて行く。
 空中戦を行える貴重な力。ただしキッカーが作り出す力場には合計四つまでという制限がある。なのでエアーズとハイドアウトは塔に残った。
 もちろん二人も後から追いかけて来るだろう。だが追いついて来る頃には全て終わっている。そうしなくてはならない。
(とうとう見つけたぞアイリス。今度こそ、ここで決着だ!)
 アイズの目は今も銀色のぼやけた人影を見据えている。
 そう、ブレイブの教えを忘れて──



【皆、急いでくれ!】
「わかってる!」
「ここだな」
 ウォールアクスとハイランサー、二人の天士が到着した現場はクラリオを囲む壁に近い場所だった。このあたりの復興はまだ進んでおらず、ほとんどの建物は朽ちた遺跡のまま。けれど天士に対して思うところのある者達や後ろ暗い過去を持つ者が人目を避けるように集まって来ていくつものテントを張り、小さな集落を形成している。おかげで治安も悪いのだが、一般人と犯罪者を住み分けさせるにはちょうどいいという理由でブレイブは放置している。
 だから、まさか天士がやって来るとは思っていなかったのだろう。焚火を囲んで騒いでいた男達が仰天して振り返った。
「て、天遣騎士団!?
「何の用だ!」
「別になんもしちゃいねえぞ!?
 とは言うものの、その手に持っているのは明らかに酒。名目上収容所でもあるこの街の中では流通していないはずの嗜好品。
 無論、密造を取り締まりに来たわけではない。団長からも一般人に迷惑をかけない限り彼等の所業には目をつぶれと言われている。やはり必要悪だからだそうだ。自身の欲望を満たすための行為だとしても、将来的には彼等のその努力と研鑽が他の人々の助けになるかもしれない。
 ウォールアクスとハイランサーは犬のようにきゃんきゃん喚く男達を無視して周囲に気を配る。彼等は今しがたエアーズ経由で作戦の詳細を聞いたばかり。だとしても疑ってはいない。あのアイズ副長が魔獣発生の兆候を捉えたと言うなら、必ずこのあたりに現れるはずだ。
 直後、草をかき分けて何かが走り来る音──
「後ろだアクス!」
「おうっ!」
「うわああああああああっ!?
 その名の通り馬鹿げたサイズの巨斧を横薙ぎに振るウォールアクス。風圧だけで男達は転倒した。もちろん狙いは彼等でなく背後から襲いかかって来た敵。狼型が数匹まとめて挽肉と化す。
 しかし終わっていない。虫の姿で草むらや物陰を移動し、ひっそりと集まり、同化して一つの魔獣となった怪物が次々に姿を現す。狼型どころか蛇型まで数体。あっという間に包囲されてしまった。
「なんだおい、今回は多いな?」
「どういうことだ……」
 片眉を上げるアクス。ハイランサーも眉をひそめる。盾と槍を構え、倒れた男達を背後に庇った。これまでの魔獣被害は全て一体から二体の少数によるもの。なのに何故今夜に限ってこんなに現れる?
(まさか、こちらの作戦が読まれていた?)
「ひ、ひい……ひっ……」
「ま、魔獣……本当に出やがった……」
 それを使って戦争を起こした国であるのに、帝国市民の大半は魔獣を目の当たりにしたことがない。初めて本物を見て腰を抜かした男達は転んだ場所から逃げようとして無様に手足をじたばたさせる。
 守る上では好都合だが庇護すべき対象は彼等のみならず。じりじり近付いて来る魔獣群と睨み合う二人の背中を冷たい汗が伝う。
(頼むから俺達にかかって来てくれよ)
(二人だけでは守り切れない……)
 周囲には無数のテント。この集落の住民も背後の男達以外就寝中のようだ。今のところ魔獣達はそちらには目もくれていない。まず自分達にとっての脅威から排除すべきと判断したのだろう。だが下手に刺激すれば、その先でどう転ぶかはわからない。どうか誰も顔を出さないでくれと天に祈る。
 しかし彼等の願い空しく、テントの一つから女が一人、顔を出した。
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