逃亡者の行方(2)

文字数 3,727文字

 その夜、襲撃のせいで砂漠を抜け損ねたアイズ達は、リリティアを気遣って野営することにした。件の少女はウルジンに寄りかかって就寝中。他の面々は三方向に散って警戒を続けている。
 天士は夜の砂漠の寒さも苦としない。だから火は熾さなかった。リリティアには毛布を二枚重ねで使わせているしウルジンの体温もある。そもそも彼女の肉体は実のところ天士より頑強だ。この程度なら平気だろう。
 火を使わないのは襲撃への対策。奴等は人間だった。光が無ければこの広大な砂漠でこちらを捕捉することは難しい。逆に天士は昼間のように鮮明に周囲が見えている。つまり優位に立ちやすい。
 もちろん会話も声量を絞って行う。二人一組になりそれぞれ別の方向を監視しているため、他の組の会話の内容までは聞こえて来ない。インパクトはフルイドと組んだ。マジシャンはマグネットと。
 そしてアイズはノウブルと肩を並べ、大きな岩の上に座っている。
 この二人は全く言葉を交わしていなかったのだが、やがてアイズの方から気になっていたことを訊ねる。
「アクターは、どうなった?」
 ――半年前、最後に彼と会った時のことを思い出す。ノウブル隊は六人目のアイリスと交戦し、一名の死者を出しながらも彼女を討ち取った。
 しかし、直後に合流したアイズが現場を検証したことにより事態は一変する。六人目のアイリスと死亡した天士、両名に生存の可能性が出て来たのだ。
 その天士の名がアクター。天遣騎士団初の脱走者と目される男。
 ノウブルは『七人目』の捜索と部下達をアイズに託し、真相を確かめるべく単独でアクターの追跡を始めた。それが再会する前に見た彼の最後の姿。
 彼は、いつもの調子で淡々と答える。
「生きていた。それだけは確認出来たが、逃げられた」
 発見された途端、アクターは加護を使って彼を撒いたそうだ。
「奴の能力とは相性が悪いからな、お前も、私も」
「ああ、それに協力者がいる。顔までは確認できなかったが、若い女のように見えた。奴等が逃げた方向に当たりを付けて追ってみたんだが、峡谷に長い糸が一本張られていてな……あれを伝って向こう側へ渡ったんだろう」
 その糸は彼が触れた途端、意志を持つかのように切れたそうだ。
「糸……髪か?」
「多分な。あの時には何かわからなかったが、今日お前の連れている娘が髪を操ったのを見てようやく理解できた。どうやら『六人目』も同じことができるらしい」
 アリス以外のアイリスが髪を操ったという話は聞かない。だが、あれが魔獣化によって生じた機能なのは確かである。なら他の娘達に同じことができたとしてもおかしくはない。
「そうか……アリスの言った通り、彼女も生きてるんだな」
「何?」
 知っていたのかと片眉を上げるノウブル。別に彼等に伝える義務は無かったはずだが、それでもバツの悪い気分になったアイズは振り向かぬまま頷く。
「アリスの中には、先に『アイリス』化の実験体にされた少女達も宿っていると言っただろう。私達が追いかけていたのは、そんな彼女達の複製だ。彼女達には『別の自分』を感知できるらしい。お前が追いかけていたのは、おそらくルインティという娘だ」
 それが『六人目』の名前。アリスより二歳上で目付きの鋭い少女。アイズも何度か言葉を交わしたことがあり、七人のアイリスの中で特に気が強く好戦的な性格をしていると思う。
 アルトルが奪った記憶には双子の天士ライジングサンとミストムーンのものも当然あった。その記憶が教えてくれる、双子には離れていても互いの状況を察せられる能力があると。
 アイリスと複製の関係もそれに近い。ルインティは今なお生存している自分の複製の存在を感じ取れると言っていた。正確な位置まで把握できるわけではないが、少なくとも生存はわかるのだと。
 そして、もう一つ――幸せそうだとも、少し嬉しそうに言っていた。感情も伝わる時があるらしい。ひょっとしたら複製の自分もアイズのような理解者と出会えたのではないか。だったら、そのまま静かに暮らして欲しいとも。
 アイズとて同じ気持ちだ。
「ノウブル……ルインティは逃げて以来、何もしていないはずだ。私達も行方を追っていたが、彼女が関係していそうな事件は何一つ聞かない」
「……そうだな、俺達にもそれらしき情報は入っていない。近頃は魔獣の目撃も珍しくなった。増やされていないからだろう」
「だったら、このまま大人しくしている限り、放っておいてやってくれないか。罪を犯したことはわかっているが、彼女達は被害者でもある。戦いたくない者を戦わせないでやってくれ」
 ブレイブが自分とアリスを対象にそう命じたのと同じく、今度は彼女が彼等に頼む。複製の生き残りはルインティただ一人。彼女に戦意が無いのであれば、そっとしておいてやって欲しい。
 これはアリスの願いでもある。囮として放った複製達は、すでにその役割を十二分に全うしてくれた。だから彼女もまたルインティの複製に自由に生きて欲しいのだと、そう語っていた。もう命令のことは忘れて欲しいと。
「お前達は、何故その娘を捜している?」
「保護のためだ。当人が必要無いと言っても、せめて以後の自由を認めてやりたい。アリスがそれを望んでいる。私も極力死なせたくない。あの子の生存を願った以上、同じ境遇の娘達も助けてやりたい」
「……変わったな」
 実感するノウブル。かつての彼女なら『アイリス』は必ず抹殺すると言ったはずだ。それが天士の使命だからと。
 だが、今の彼女はその『アイリス』を守って逃亡の旅を続けている。
 ノウブルには、実のところまだ理解しきれていない。他の皆も同じだと思う。アイズはどうしてそこまでしてあの少女達を庇うのか。
 リリティアへの愛情か、それとも似た境遇からの共感か。なんにせよ世界の全てを敵に回しても構わないという彼女の覚悟には共感できない。あの少女は今なお世界を呪っており、いつまた暴走して多くの命を奪うかわからない危険な存在である。それが揺るぎない事実。
 アクターと一緒にいる『六人目』とて同じ。ノウブルとしては両者を確実に始末すべきだと思っている。その方が世界はより安定した状態、つまり秩序を取り戻せるのだから。
 彼には、それこそが最重要。何故なのかなど考えもしない。彼にとって世界を守ることは至極当然の行為。そこに疑問を差し挟む余地は無い。
 ただ、だとしても仲間の意志は尊重したい。アイズに対しては特に強くそう感じる。
 彼女は変わったが、それでも仲間だ。彼はそう思っている。
「そっちは変わらないな」
 ようやく振り返って笑うアイズ。ノウブルは眉根を寄せた。
「どっちの俺と比べた話だ? 記憶を失う前か、それとも失った後か」
「両方だ。記憶などあろうと無かろうと、お前はいつだってそういう男らしい。アルトルの記憶を継いだことで理解したよ、お前は他者を守ることに特化している。だから加護も『盾』になった」
 アルトルが授けたのは方向性の定まっていない純粋なエネルギー。その力に方向性を与えて加護に変えるのは個々人の願い。
 エアーズは多くの人々に自分の声を届けたいと願った。だから『声』の能力に目覚めた。
 マジシャンはもう一度奇術師に復帰したかった。だからいつも奇術で使っていた『箱』を操る力に覚醒した。
 天士達の力は彼等の願いであり本質そのもの。そうあれかしと祈ったことで形作られた加護。
 アイズは自分の靴を見つめ、昼の戦いを思い返す。亡き戦友達の力がこの身に宿ったのも、きっと彼等に与えた力を回収したからではあるまい。
 彼等がそう願ってくれたからだ。死してなお共に戦いたいと。
 だからエアーズ達はここにいる。今も、そしてこれからも一緒に歩み続けてくれる。半年かけてようやくそう思えるようになった。
 静かに爪先を見つめる彼女。そのまましばらく待った後、そろそろいいかと切り出すノウブル。彼にも確認したいことがある。
「大丈夫か?」
「……ああ、まだ、しばらくはな」
 安堵の吐息を漏らすアイズ。見透かされて虚勢を張ることを止めた。本当は心身共に限界が近い。今こうしている間にも心と体が張り裂けそうだ。
「痛むのか?」
「かなり……」
「昼の戦いではないな」
「ああ……」
 気付かれると思っていた。この男の勘は鋭い。眼神でもないくせに一から十を察してしまう。
 きっと、この痛みの理由もわかっている。その証拠に言われた。
「アクターのことは任せろ。お前の力を頼ろうかとも思っていたが、たしかに奴等による被害の報告は無い。当面は様子を見る」
「そうか……」
「ブレイブを救出したら休め。無理をしても、あの娘は喜ばん」
「そうだな……そうしたい。でも、そういうわけにもいかないんだ。あいつを、ユニを倒すまでは」
 奴を倒さない限り悲劇は何度でも繰り返される。だから今はまだ足を止めるわけにいかない。
「約束したんだ。アリスともリリティアとも、ずっと一緒にいるって。なのに守れない。だからせめて、静かに暮らせるようにしてやりたい」
「そうか」
 ノウブルの大きな手が背中を叩く。温かくて力強い。
「後は任せろ」
「ああ……」
 彼にそう言ってもらえて、少しだけ肩の荷が下りた。
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