追跡者

文字数 3,527文字

 少女があまりにうるさいので、アイズ達は彼女と看護師だけを病室に残し別の部屋へと移動した。すると医師から予想外の説明を受ける。
「防衛反応……?」
「はい、おそらくはそれが原因かと」
「詳しくお願いします」
 エアーズに促された老人は重々しく頷き、続きを語り出した。
「私も専門分野ではないので確かなことは言えませんが、それでも良ければ……」
「是非」
「では……まず、人の心は脆く、致命的な傷を受けてしまった際に原因となった出来事を忘れて自身を守る。そういうことが時々起こります。私がこれまで診て来た患者にも同様の事例がいくつかありました。そこで心の病を専門とする医師に相談を持ちかけたのです。防衛反応については、その時に聞きました。あまりに辛い体験をすると人間は自ら記憶を封じ、精神の崩壊を防ぐのだと」
 少女の反応はそれではないか。実際あの事件に関する話をしようとすると必ず同じ反応を示す。沈黙し、触れたりしても一切反応しない。そして再び動き出すと直前の出来事を忘れている。
 その繰り返しだったため、流石のアイズも今は尋問を諦めた。
「どうしたら治る? あれでは何も聞けない」
 彼女にしては珍しく明確な苛立ちを含む声。旧帝国民でクラリオの囚人でもある医師は怯えながら回答する。
「時を置いて下さい。心の傷は一朝一夕に癒せるものではありません」
「わかった」
 この医師は嘘をついていない。それは目の動きや汗のかき方でわかる。判断を信じよう。アイズはそう判断を下した。失われた記憶を取り戻す術など彼女は知らない。
 とはいえ市街での魔獣被害は続いており、今この時にも新たな犠牲を出している可能性がある。あの少女の快復を黙って待ち続けるわけにもいかない。
「やむをえん」
 方針を切り替える。目撃者が頼れないなら別の手がかりで真相へ迫るしかない。例えばあの暗号文。

 一連の魔獣被害、それを彼女は“アイリス”の仕業だと考えている。ナルガルの地下で見つけた研究資料。そこから判明したのは帝国の最終兵器の力。イリアム・ハーベストの最後の作品は他の生物を改造して魔獣に変える魔獣だという。
 八ヶ月前、地下施設の脱出口で何者かが通過した痕跡を発見した彼女は、以来その行方を追い続けて来た。
 逃亡者。どうやらそれは人型らしい。少なくとも人間と同様の手足を有している。イリアムの研究資料にも人を素体に用いると書いてあった。そして実際、行く先々で人の足跡や指紋を見つけた。
 ただの人間ではありえない。地下施設を脱出したその存在は連合の主力がいた南を避け、一旦北へ向かったこともわかっている。そして、そこで包囲を続けていた部隊を一つ壊滅させた。天士がいないタイミングを狙われたとはいえ二十四人からの武装した兵が一方的に蹂躙されたのだ。しかも大半は個々の判別すら難しい肉片と化していた。人間にできる殺し方とは思えない。
 生存者は無し。目撃情報も皆無。兵士の服が一着奪われ、そこからさらに東へ移動した痕跡があった。
 標的は広大な針葉樹林を走り続け、そして唐突に足跡を消す。追手がいることを気取り、徒歩とは別の手段で移動を始めたらしい。推測だが投げ縄のようなものを用いて木から木へ樹上を伝って移動したのだろう。枝や幹にロープで擦ったような擦過傷があった。
 だが、やがてそれも途絶えた。森を抜けたからだ。当然、何かしらの痕跡は残っていたはず。けれど降り積もった雪が覆い隠してしまった。透視や遠隔視を使っても見つからず流石のアイズも途方にくれた。
 それからは徐々に捜索範囲を広げ、最終的に大陸の半分を踏破。少しでも関わりがありそうな情報を聞けば急行し調査する。その繰り返し。大半は勘違いか帝国の壊滅後に野に放たれた魔獣の仕業。稀に当たりだと思える痕跡に行き当たることもあったが、敵は巧妙に以後の足取りを隠し、必ずこちらを振り切って行く。
 そして一ヶ月前、離れている間にクラリオで魔獣被害が多発していたことを知り、招集に応じて戻ってきたわけである。アイリスがここにいる可能性を察して。

「副長、どうするのです?」
 医師との話を切り上げ、廊下に出た彼女に追従するエアーズ。アイズは足を止めぬまま回答する。
「もう一度、家具職人の家を調べる」
 先日じっくり見て回ったが、それでも見落としがあった可能性は否めない。少なくとも城にいてできることは何も無い。暗号文の彫られた家具は全て押収してある。だがどれも同じ内容しか彫られていなかった。単なる捜査のかく乱が目的で内容に意味は無いのかもしれない。

 ──いや、もしかしたら。別の可能性に気付く。

「素体には人間を使う……だったな」
 一旦足を止めて考え込む。物騒な言葉を聞きギョッとするエアーズ。すぐそこの窓からは赤い光が差し込んでいて、今が夕暮れ時だとわかった。
「なんですかそれは?」
「あの暗号文を解読するとそうなる。単体では意味を為さない。なら他にもどこかに前後の文章が隠されているのかもと、そう思っていた」
「なるほど……って、違うんですか?」
「わからん」
 やはりその通りで、他の暗号を見つけ出すことにより初めて何を意味するのかわかるのかもしれない。
 けれど、こうも考えられる。
「内容にはやはり意味など無く、あれをイリアムが使っていた暗号だと知る者、その目に留まればなんでも良かった。そうは考えられないか?」
「っ! まさか、我々に対する挑発?」
「ああ、挑発かどうかは知らんが、我々に対してのメッセージだろう」
 例の暗号、あれはおそらく被害者の家具職人が彫ったものではない。根拠は彼が作った家具の出来栄え。どれも精巧に作られており場合によっては見事な彫刻まで施されていた。腕の良い職人だったことは間違い無い。なのに隠し彫りされていた一文だけ酷く雑な彫り方だった。完全に素人の仕事。
 それに削る際の力の加え方には個々人の特徴があり、アイズの目はそこまで判別できる。あえて雑に彫ったのだとしても同一人物であれば必ず共通の癖が見つかる。今回はそれが無かった。別人の仕業だ。
「巧妙に隠しても私なら見つけられる。むしろ私以外ではまず見つけられない。なら私達天遣騎士団に伝えたいことがあるのだろう」
「たしかに」
 隠し彫りがあった箇所は部品を組み合わせると完全に見えなくなってしまう部分。透視能力を持たない場合、まず組み立てられた家具を解体する必要がある。単なる被害者だと思われている人間の家で、いちいちそこまで調べることは普通しない。
 その事実がさらに強く“アイリス”の存在を感じさせる。外界での探索中にも、わざと痕跡を残してこちらを翻弄しようとする節があった。向こうは逃げているのでなく遊んでいるつもりかもと思ったことも一度や二度ではない。

 ──標的に関し判明している事実は複数ある。まずは人型であること。それもおそらく子供の姿。最初に発見した足跡のサイズとその深さから身長と体重を割り出した。外見は十代前半だと思われる。ただし少年か少女かの判別は困難。つまり、それだけ幼い容姿の可能性が高い。
 被害者の少女を疑った理由はそこにもある。彼女の姿はアイズが脳裏に思い描いていたアイリスに近いのだ。今まで集めた情報を統合した結果、おそらくああいう外見だろうと予想している。
 容姿は子供だが頭脳は明晰。連合軍の部隊を壊滅させた事実からわかるように戦闘力も高いと見ていい。少なくとも人間が正面から戦って勝てる相手ではない。
 そんな人の姿をした知能の高い怪物がこの街のどこかに紛れ、潜んでいる。そいつには他者を魔獣化させられる能力があり、ナルガルでの例を見るに都市一つを短時間で魔獣の巣窟に変えることも可能。
 だからこそ一刻も早く見つけ出したい。もし本当にここにいるなら気まぐれ一つで市民は全滅する。

「メッセージ……我々との交渉を望んでいる可能性も? だとすると待っていれば向こうから接触して来るかもしれませんね」
 たしかにあり得る。そしてその場合、城にいた方が迎撃しやすい。城にいる市民の数は百名足らず。天士は常にクラリオに駐留中の二十二名中三分の一が待機。ここならば周囲への被害を最小限に抑え、なおかつ十分な戦力を揃えて戦える。
 とはいえ、本当に向こうから接触して来るとは限らない。メッセージはメッセージでも単に“近くにいるから見つけてみせろ”という挑発的な意図の可能性もある。
「調査は続ける。まずは家具職人の家。それから、これまでに発生した魔獣被害の現場も調べ直す。行くぞ」
「はい!」
 結論を出し、二人は改めて城外へ向かった。もうすぐ夜が更ける時間だが、彼等に人間のような長い休息は必要無い。
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