北の少女

文字数 4,211文字

 さらに一ヶ月後、クラリオの民は天遣騎士団に感謝しつつ厚く雪に閉ざされたこの地でどうにかこうにか生き永らえていた。冬眠中の獣のように息をひそめてひっそりとだが。
 ある老夫婦は家の中に篭もり、橙色の光を浴びながらぬるい茶を飲んでいる。
「陽光石が無かったら死んでたなあ……」
「ええ、まさか今の時代に私らみたいな庶民が手にできるなんてね」
 アイズの活躍によって大量に譲り受けることができた陽光石は各家庭に平等に配布された。指先ほどの大きさしかない小石だが、それでもこうして湯を温め、暖を取ることができる程度の効力は発揮してくれる。
 外は吹雪で、こんな日に出て行っては自分達のような体力の無い者は死んでしまう。だから今朝からずっとここでじっとしているのだ。少々退屈ではあるが話し相手さえいればどうということはない。
 それに――
「あら、もしかして」
 窓を守る鎧戸。その隙間から陽光石のそれより強い光が差し込んだのを見て、妻は察する。立ち上がって玄関へ向かうと、やはり戸を軽く叩かれた。
『無事か?』
「はい、すぐにお開けします」
『いい、外は酷い天気だ。無事が確認できれば十分。そのまま中にいろ』
「はい、ありがとうございます。ご苦労様です」
 頭を下げていると、少し遅れて夫も隣に並ぶ。
「天士様も、どうかご無理はなさらず」
『問題無い』
 離れて行く光源。老夫婦はホッとする。とても尊い御方で、今も優しさからこうして様子を見に来てくれたのだとはわかっている。けれど、あのぶっきらぼうな口調のせいで、やはり少しばかり怖い。
「アイズ副長のような方だ」
「そうねえ」
 三ヶ月前に住民総出で盛大に見送った美しい天士の姿を夫婦揃って思い出す。あの方もご無事でいるだろうか? そうあって欲しいと強く願った。



「……」
 街を雪で埋め尽くさんとする凄まじい吹雪。大寒波に見舞われたこの状況でも天士フューリーは市街の巡回を継続する。彼以外にも何人か見回っているはずだが、あまりにも視界が悪く、たとえ高い場所に移動してもこの地点からでは誰一人見えないだろう。
 だからこうして一軒一軒、状況を確認して回る必要がある。
 老夫婦の無事を確かめた彼は次の家、そのまた次の家と順番に回って行く。そして全身から強く白い光を放つ彼の周囲ではうず高く積もっていた雪がどんどん溶けて蒸発していった。
 立ち上った蒸気はすぐに凍り付き、風に流され、またどこかに付着する。けれども、それでいい。続けていれば風に流された雪は、やがて街の端に集まる。そうなれば、この後で除雪作業に費やす手間を減らせるだろう。市民の体力も温存され、生存の確率を高められる。
 彼は熱を操る天士。熱することも冷やすこともできる。戦闘においては相手の血液を沸騰させて死に至らしめたり、不定形型の魔獣を凍結させて砕いたりと様々な使い方をしてきた。
 そう、それしか無いと思っていた。このクラリオに来るまで、自分の力を戦闘以外のことに使用するなど考えたことも無かった。けれど今は違う。これら立ち並ぶ家々のほとんどは仲間が粘土を操って造形したもので、彼の力により仕上げの『焼き』を行った。そうして短期間で建てた家々が今、自然の猛威から多くの生命を保護している。
 彼はアイズ同様、まだ情緒がそれほど発達していない。あるいは寡黙で孤独を好む傾向こそ彼が獲得した個性なのかもしれない。
 それでも――

「……ふっ」

 一軒一軒、家々の扉を叩き、中で生きる者達の声を聞くたびに胸の奥が熱くなる。能力によって生み出した熱とは別種のそれが彼を温める。
 悪くない気分だ。そう思いつつ、彼はさらに歩を進めて人々の無事を確かめた。



 二日後、ようやく寒波が過ぎ去り、人々は外へ出て除雪作業を始める。周囲を高い壁に囲まれたこの街では雪が中に溜まりやすい。このままにしておいては次の寒波が来た時に今度こそ何もかも雪の下に埋まってしまう。
 ただ除雪と言ってもクラリオにはクラリオのやり方がある。市民はそれぞれに分配された陽光石を持って出て来た。そして紐にくくりつけたそれを地面に落とす。
「溶けた溶けた」
「どんどん流れていけ!」
 陽光石は冷やすほど強く輝き、その輝きは水分に反応して熱を持たせる。つまり雪に放り込むとそれを溶かしてくれるのだ。そうして溶けた水は今日の気温がさほど低くないおかげで道路の端の排水溝へ流れ込んでいく。おかげで除雪作業、いや融雪作業はどんどん進んだ。
「これも天士様達のおかげだなあ」
「ああ」
 笑顔で天遣騎士団を称え合う人々。大昔ここがカーネライズ帝国の帝都だった頃にも、こうして陽光石を使った融雪作業を行うのが一般的だったらしい。そのためにこの街では当時から下水道が整備されていた。千年間の放置によって使えなくなっていたそれも冬が来る前に天士達の手で復旧を果たしている。
「まあ、千年前はここまで寒くなかったらしいがな」
「ここが帝都だったくらいだもんな」
 千年前、異界から来た神々とこの世界を創った神々とが争い、その時に起きた天変地異の余波で帝国は極寒の地になり果てた。それまではもっと温暖な気候で、排水設備も元々は台風等で道路が冠水するのを防ぐための設備だったと聞く。
 しかし、どんどん寒くなるにつれてそれは雪を溶かして流すためのものに変わり、やがてこの地で暮らし続けることは厳しいと判断されると遷都が決定して、クラリオは無人になった。
「千年も経って、まさか戻って来るなんてね」
「誰も思ってなかったわよね……」
 二年前に自分達の国が犯した大罪。生き延びた旧帝国民全員が、そのせいでこの棄てられた都市に収監されている。ここは廃墟を利用して造った監獄であり、そして彼等を他国の怒りと憎悪から守ってくれる砦。ここにいれば安全に暮らせるが、その代わり自由に外へ出ることは出来ない。南にある唯一の出入口には人間の兵士も立っている。
 だから彼等は、複雑な心境で街並みを見つめる。自分達はここで老いさらばえ二度と外の世界を見られぬまま死んで行くのだろうかと。
 けれど、そんな大人達の感傷を無邪気な声が吹き飛ばした。
「待てリリティア!」
「あはは、つかまらないよ!」
 桜色の髪と瞳の少女を追いかける少年。やがて、意外と足の速い彼女に触れることを諦めた彼は別の子供の姿を見つけて標的を変更。
「ニッキ!」
「うわわ、見つかった」
「リリティアリリティア! 助けてっ!」
「よーし!」
 少年が別の少年に気を取られた隙に、桜色の髪の少女ことリリティアは引き返してロープで地面に作られた輪へ近付いて行く。中には別の少女達が二人囚われていた。そして中心に険しい表情の顔が描かれた小石。
「あっ!?
 彼女の転進に気付いた少年も慌てて輪の方に引き返す。しかし時すでに遅し。リリティアの足が小石を蹴り飛ばした。
「番兵けった!」
「くそっ!」
 リリティアではなく、蹴り飛ばされた石を追いかける少年。これは『番兵蹴り』と言って子供がよくやる遊びだ。鬼ごっこの一種で鬼は捕まえた者を輪の中に閉じ込める。全員を捕まえられたら鬼の勝ち。けれど途中で誰かが輪の中に置かれている石、つまり『番兵』を蹴り飛ばせば捕まっていた者達は逃げられる。しかも鬼は一旦番兵を取りに行かなければならないので、その隙に距離を稼ぐことが出来る。
「くっそう、半分捕まえたのに!」
「一人で四人捕まえられるって言ったのはケンヒルだからね!」
「ほーら、追いかけて来なさいよ!」
「やーいやーい!」
「こっちだよー!」
 それぞれ別方向に散ってケンヒル少年を挑発するリリティア達。少年は顔を真っ赤にしながらも、誰から追いかけたらいいかと迷って足を止めた。
 そこへ意外な人物が声をかける。
「手伝おう」
「えっ!?
 びっくりした少年の視線の先に現れたのは、なんと天士。大柄で骨格もがっしりしており、少し不機嫌な表情で共闘を申し出る。
「一人では大変だろう」
「じゃ、じゃあ、お願いします!」
「了解」
「ちょちょちょっ」
「聞いてないよ!?
 慌てて逃げ出す子供達。だが当然、天士の素早さに敵うはずもない。あっという間に三人捕らえられ、残るはどこかに隠れたリリティア一人となった。
 その彼女は建物と建物の隙間に身を潜め、乱れた呼吸を整える。いや、整えようとしたところでびっくりして悲鳴を上げた。
「見つけたぞ」
「ひゃあっ!?
 壁からぬっと大柄な天士の腕が突き出されたのだ。それに捕まり、壁の中へと引っ張り込まれるリリティア。一瞬だけ水中にもぐるような感覚があり、それを抜けた先は地面にロープで作った輪の中だった。
「これで四人だな」
「やった!」
 何もしてないのに喜ぶケンヒル。大男に片手で抱えられたままリリティアは唇を尖らす。
「ずるいよハイドアウト」
「ずるいのはお前達だ、彼一人を相手に四人は不公平すぎる。命を賭けた戦いでもない限り公平に戦え」
 リリティアが呼んだ通り、彼は天士ハイドアウト。空間に通り道を開いて離れた別々の地点同士を接続できる『洞』の能力者。彼の意識が認識できる範囲内のみという距離の制限はあるが、その力の及ぶ場所であれば壁の向こうだろうと地中だろうと関係無く移動できる。
「人数とルールを考えるなら、鬼は二人にすべきだ。でなければ遺恨が残る」
「はーい」
「それもそうかも」
「じゃあ、またじゃんけんしようぜ! 今度は鬼が二人な!」
「天士さまもいっしょに――って、あれ?」
 子供達が役を決め直そうとすると、その時にはもう彼の姿はどこにも無かった。名付け親のブレイブに曰くハイドアウトとは『隠れ場所』という意味の古い言葉らしい。その名の通り彼は隠れるのもとても上手い。子供達に説教したことで役目は終わったと思ったらしく、すぐまた姿を消してしまった。
「ま、いいか」
 気を取り直して拳を構えるケンヒル。他の四人もふりかぶる。リリティアはチョキを出すと決意して不敵に笑った。

 ――そんな彼女達を見て大人達も微笑む。まさか、天士が子供の遊びに口を出すなんて。これも、あの少女が彼等の傍にいて影響を与えてくれたおかげかと。

「リリティアちゃん、明るくなったなあ」
「本当に。ご両親の分まで幸せになって欲しいわね」
 もちろん他の子供達も。将来がどうなるかはわからないが、だとしても次の世代には明るい未来が待っていて欲しい。多くの者達が心からそう願った。
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