神との契約(1)

文字数 4,356文字

 それは、ほんの少し昔の物語。千年前の戦いで天遣騎士団が降臨した地は、後に三柱の神を信仰する人々が集う聖地となって多くの信徒を集めた。そうして誕生したのが聖都オルトランド。他のどの国にも属さない中立地帯であり天界に最も近い場所。
 そこに一組の兄妹と母親が住んでいた。以前は父もいたのだが、三柱教お抱えの聖騎士団に所属していた彼は大勢の仲間と共に南部で発生した異教徒との戦いに身を投じ、戦場で命を落とした。
 母は嘆いた。愛する夫の死以上に、これからどうやって子供達を育てていけばいいのかわからず。殉死した聖騎士の遺族には十分な年金が支払われるが、下の子は重い病気にかかっていて高額な薬を飲ませ続けないと死んでしまう。とても年金だけでは足りない。教会にも相談したが他にも多数の遺族に年金を支払うことになってしまい財政が厳しい。とてもそれほど高額な医療費までは援助できないと言われてしまった。
 こうなったら身を売って稼ぐしかない――彼女がとうとう決意した時、まだ十四歳の息子シスが一足先に同様の計画を実行に移す。

『ちょっと腕を見せたら雇ってもらえた。一稼ぎしてくるよ』

 父から剣と兵法を学んでいた彼は、勝手に傭兵団に自分の腕を売り込み、その一員となったのだ。そして契約時の手付金を全部置いて、代わりに父の遺品の剣を掴んで聖都を出た。
 彼は天才だった。大人でも全く太刀打ちできない剣の腕と鋭い直感、そして歳に見合わぬ戦術眼。あっという間に成り上がり、五年後には自ら傭兵達を率いる団長になっていた。

『でも、ノーラの病気は一向に良くならない。本当に効くのかね、あの薬』

 ある夜、彼はたまたま知り合った青年に愚痴をこぼした。高名な錬金術師に学ぶため聖都へ留学したい。だから道中の護衛をして欲しいと頼まれ、里帰りついでに自ら同行することに決めたのだ。すると意外なほど馬が合い、酒場で酌み交わしながら互いの身上を語り合う流れに。
 その青年もシスの話を聞いて疑念を抱いた。そして妹の症状や彼女に飲ませている薬の特徴など矢継ぎ早に質問を重ねる。
 全ての答えを聞いた直後、彼はあっさり答えを見出し、微笑みながら告げた。

『悪い薬師に当たったね。直接診ないと断言はできないけど、その薬は延命のためのもので治療薬じゃないと思う。多分、出来る限り治療期間を延ばして稼ぐつもりだ。治す気すら無いかも。でも、その病気の治療法なら僕が知ってる。シス、今夜はゆっくり休んで明日から急ごう。君の妹さんを助けなきゃ』

 シスと同じ十九歳。優しい顔立ちで声も柔らかい彼の名はイリアム・ハーベスト。北の帝国から来た若き天才錬金術師。
 彼は言葉通り、いとも簡単にノーラの命を救った。そしてシスの親友となったのだ。



 出会いは今から十二年前――当時まだ八歳だったノーラには、イリアム・ハーベストという人は純粋で心優しい人としか映らなかった。
 彼は過酷な北方の生まれで、それゆえ人の力ではどうにもならないことが数多あることを知っていた。だから作りたかったらしい、兵器としてではなく人々の支えとなる存在を。人間には難しい仕事を容易にこなしてくれる、それぞれが一つの分野に特化した機能を持つ人工生物。人類の最良の友を。だからといって搾取するばかりではなく、互いに助け合って共生していけるような関係を。
 彼が目指したものは、そんな温かな夢だった。

『イリアムさん、ごはんできたよ』
『ああ、もうそんな時間か』

 彼は優しい人だったが勉強以外のことには無頓着で、几帳面な母に育てられたノーラはズボラな生活態度に我慢ならず自然と世話を焼くようになった。
 兄は、そんな二人を見てよくからかった。

『お前ら、そのまま夫婦になっちまいそうだな』
『冗談はよせよ』

 からかわれるたび苦笑する彼。歳が十一も離れていると。彼にとってノーラは妹同然。気立てが良くて器量も良いから、いつかは良縁に恵まれ相応しい誰かと夫婦になり幸せに暮らす。そうなることを願ってさえいた。
 こちらの気持ちなど知らずに。



 兄と彼は高名な錬金術師の弟子。ラウラガというその老人は、ノーラにとって苦手な人物。気位が高く気難しい。自分の考えは絶対的に正しいと思っており、迂闊に意見などしようものなら即座に大声で罵倒される。相手が子供でも容赦しない。樫の杖で叩かれたことさえあった。
 だからノーラは、なるべく彼には近寄らないようにしていた。
 でも弟子である兄とイリアムは当然、毎日ラウラガから学ぶため彼の自宅兼研究室へ行く。彼女は内心それも嫌っていた。自分を救ってくれた錬金術は素晴らしい学問だと思う。けれどあの老人だけはどうしても好きになれない。他のもっと優しい人に弟子入りしてくれたら良いのにと。
 子供だったから、今より直感が働いていたのだ。

『――ふう、ただいま』
『おかえり、兄さん』

 聖都オルトランドでは毎朝六時と昼の十二時、そして夕方六時に鐘を鳴らす。三柱の神の教えに則って規律正しく暮らすためだ。兄もいつも六時の鐘が鳴るとすぐ帰って来た。
 歳の離れた兄シスは錬金術師という職業に見合わない精悍な若者。それもそのはずで、ノーラが八つになるまでは傭兵として戦場で金を稼いでいた異色の経歴の持ち主。
 ちなみにこの頃、兄が元傭兵という事実は知らなかった。敬虔な三柱教徒である母がその職業を嫌っていたからである。兄も彼女には言わなかったので、彼がしばらく戦場にいたことは大分後になってから知った。
 そんな兄が錬金術師になろうと決めたのは、やはり妹がきっかけ。イリアムが薬師の詐欺を暴き、
自ら調合した薬でノーラを救ってくれた時、兄は激しく感動して打ち震えた。傭兵稼業に身をやつしたせいで険悪な関係だった母とも抱き合って喜び、そしてその感動が醒めやらぬうちに決意したのである。

『俺も錬金術師になるぞ! 傭兵はやめだ!』

 別に戦場を好んでいたわけではなかったらしい。人を殺さずに稼げるならその方がいい。むしろこれからはイリアムのように人を助けて生きたい。そう思ったからこその決断。イリアムはノーラだけでなく兄の人生にまで救いをもたらした。
 その後、二人は同じ錬金術師に弟子入りし、共に学ぶうち無二の親友になった。イリアムは是非にと母子に引き留められ、一家の暮らす家で居候することに。それからはノーラのもう一人の兄のような立ち位置。
 けれどノーラにとっての彼は少し違った。彼女にとっての彼は命の恩人であり初めて淡い恋心を抱いた相手。
 そう、愛していたのだ。幼いながらも異性として。



 周囲の予想に反し、兄はあっさりラウラガの弟子として迎えられた。気難しい性格だと有名な彼だったが、元傭兵という錬金の学徒としては珍しい経歴に興味を抱いたらしい。自分達とは異なる世界を見て来た若者の常識外れな発想に期待する。そう言われたそうだ。
 イリアムも難無く弟子入りできた。彼の場合、カーネライズ帝国の皇帝陛下直筆の紹介状を持参していたから兄以上に簡単に。国の未来を担う若者を育ててくれと一国の君主に頼まれ機嫌を良くしたラウラガは二つ返事で引き受けた。かつての栄華を失い衰退した小国とはいえ陽光石のような希少な資源も保有している。取り入っておいて損は無いと思ったのかもしれない。
 二人は共に十九歳で弟子入りし、それから七年ラウラガの下で学び続けた。心配されていた兄もいっぱしの錬金術師と認められる程度には成長。故郷に帰るイリアムの代わりに後継者を目指せとラウラガに言われ、引き続き彼の下で研究に励むことに。何の研究を行っているのか具体的な話は聞けなかったが、その研究には三柱教まで多額の資金を提供しており、イリアムの夢と同じく多くの人の助けになるものだとだけは教えられ母も安心した様子だった。
 そして出会いから七年後の春、ついに別れの時が訪れる。

『さよなら、ノーラ』

 最初の頃は屈んで目線を合わせてくれていた彼が、その時には立ったまま、少し俯き加減になる程度で彼女と向かい合っていた。
 十五になったノーラは背が伸び、体つきも女性らしくなり始めていたため、少しは彼に意識してもらえていたはずだ。彼は一度も言葉にしなかったけれど、態度が明らかに子供に対するものから異性に対してのそれに変化していたのだ。
 でも結局、彼がノーラの想いに応えることは無かった。年齢差を気にしていたし、家族から引き離して過酷な北の地へ連れ帰るのは悪いと思ったのかもしれない。

『またね、イリアムさん』

 彼はさよならと言ったが、彼女は再会を願った。せめてもの抵抗のつもりで。
 この時の彼の、少し困った笑顔を見て少しだけ気が晴れた。せいぜい悩め、悔しがれと思いつつ去り行く背中を見送った。
 もう教えることは無い――師匠の口からそう言い渡されたイリアムは早々に帰国を決めた。七年学んだ成果を遺憾無く発揮し、貧しさや厳しい寒さに苦しむ人々を救いたい。それが彼の思い描く理想。追いかけ続けている夢。だから誰も引き留めたりはしない。
 ただ、母はこっそり言ってくれた。

『一緒に行ってもいいのよ』
『ううん……』

 少し意地悪はしてしまったが、幼い頃の彼が自分に対し願ってくれたように、ノーラもまたイリアムの幸せを願う。優秀な錬金術師なのだから、帝国の皇帝陛下も重用してくださるだろう。そうしたら彼に相応しい相手が紹介されるはずだ。もしかしたら貴族に婿入りなどという可能性もある。
 そんな彼の邪魔になりたくはない。

『私は普通の人と結婚する。イリアムさんや兄さんみたいな人が相手だと苦労するだろうし』
『それもそうね。今になって思えば、お父さんも私には立派すぎたわ』
『おいおい、俺はお袋にもノーラにも苦労かけちゃいないだろ?』
『お前の場合は気苦労が多いの、まったく』
『そもそも兄さんが先でしょ。もう二十六なんだから早く結婚してよ』
『へいへい。まあたしかに、やっと一人前だと認められたことだしな。そろそろ相手を探すか』
『心配だわ……ノーラは器量が良いけど、あんたは父親似で美形とは言えないもの』
『そうなんだよ! なんでお袋に似せてくれなかったんだ、そしたら少しはモテてたのによ!』
『あはは、たしかに。でもお母さん、男の人は中身よ』
『そうだ、よく言ったノーラ。男は顔じゃない。お前もちゃんと中身を見て選べよ。まあイリアムに惚れるような審美眼なら心配いらんだろうが。あいつも見てくれは大したことないしな』
『そんなことはない』
『人のことをとやかく言える顔かい、まったく』
『だからそりゃお袋の責任だって!』
『あははは』

 本当に幸せな日々だった。こんな日が、ずっと続くと思っていた。
 三年と少し前のあの日、凶報が届くまでは――
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