三柱の真実(2)

文字数 4,469文字

「私も貴方達のことを調べるため聖都へ侵入した時、いくつかおかしなことに気付いた。まず、あの都には私の血液中に流れているのと同じ『魔素』が拡散している。それほど濃度は高くないけれど間違いなく汚染されていた」
 人間だった頃のフルイドが気付いてしまったのも同じ事実。聖都の中心へと近付いて行くほど酷くなっていった。中央区画のどこかから流れ出した排水に魔素が混入しているらしい。短い潜伏期間だったが、それが原因と思しき事故にも数件遭遇している。
「事故?」
「魔素は生物の記憶を保存する。そしてやはり生物の思念に反応して保存した記憶を再現する。私達『アイリス』が魔獣を生み出したり自分の体を変化させられるのも、これを利用しているから。聖都で見た資料によると脳から発せられて全身を駆け巡る『雷力』が鍵になっているらしい」
「雷力……?」
「ほら、スタンロープが雷光を操ってただろ。あれは雷力の塊だ」
 眉をひそめたインパクトに対し説明するフルイド。空から落ちる雷。あれが雷力というエネルギーの塊であることはすでに解明されている。
「そう。そして微弱な雷力なら人体にも流れている。その小さな雷と人の脳が作り出す想像、両者の組み合わせにさらに魔素を加えることで、こんなことが可能になる」
 アリスが人差し指を立てると、その指先から炎が生じて揺らめいた。
「これは本物の火じゃなく魔素が再現した偽物。でも本物の炎と同じ光と熱を放つ。あの頃、聖都では原因のわからない火事や人体発火が起きていた。全て不幸な偶然が重なった結果として処理されていたけれど、実際には違う」
 聖都全体に拡散した魔素が原因だ。そして聖都がああなってしまった原因について、アリスには思い当たることがあった。何故なら彼女は体内に魔素結晶を抱える生体兵器であり、同時に千年前の大戦以前から存続していた数少ない国の皇女でもある。
「カーネライズの皇室には代々、忘れられた歴史の真実が密かに語り継がれてきた。私の祖先達は、いつか必ずその情報が必要になる時が来ると信じて雌伏の時に耐え続けたのよ」
 彼女も父から教えられた。盾神テムガムは魔素結晶を移植され正気を失ったのだと。彼の亡骸は今も膨大な量の魔素を放出し続けている。その魔素がいかなる性質を持つ物質かは戦時中すでに解明されていた。
「でも魔素に関する知識は三柱教によって禁忌に指定され封じられた」
「それは……」
「ユニの仕業でしょうね。三柱教という組織そのものが最初から彼の駒として創設されたんだと思う」
 三柱教は徹底的に真実を隠蔽し、偽りの歴史を広め始めた。人類も参加した戦争とはいえ、神々の領域で起きた出来事までは知りようが無い。その無知をいいことに本物の三柱の名を貶め、アルトル、テムガム、オクノクを真の創世の三柱として祭り上げた。わずかに残っていた真実を知る者達は弾圧し、時には実力行使で口を塞いだ。
「考えてもみて、禁忌に指定して封じたということは、裏を返せば彼等自身は今なお魔素に関する知識を有している。忘れてしまったら何を禁じればいいのかもわからなくなるものね。そして彼等は、その知識を錬金術師達に対し公開したのよ」
 この事実に関してはアルトル復活計画を主導していたラウラガの記憶を読み取ることで確認が取れている。彼等に魔素に関する知識を与えたのは三柱教の人間だと。その名前まではわからなかったが。
「アイズからアルトルの死の真相を聞かされた私はこう思った。彼等に魔素のことを教えたのはユニだろうと。だとすると聖都が魔素で汚染されたことにも説明がつくもの。千年前の戦争を裏から操っていた張本人ならテムガムの亡骸の一部や彼に埋め込んだのと同じ結晶を有していてもおかしくない。そこから漏れ出した魔素が拡散した」
 どころか彼等は今も結晶を増やし続けているだろう。排水が汚染されていたのはその作業が原因かもしれない。
「増やす……だと?」
「ええ、魔素結晶はいくらでも生み出せる。私のような適合体は滅多にいないけれど、結晶だけなら人工的に製造可能。私とアイズはすでに実例をいくつか目撃したわ」
 ぞっとするような情報を語るアイリス。しかし実際、魔素が東方の霧の海を生み出したものであると仮定した場合、すでに膨大な量が存在していることは間違いない。ならばそれらを結晶化させることも可能なはず。
「どういうわけか世界全体に拡散することは免れているけれど、もしも魔素が地上を覆い尽くせば、ユニが何かをしなかったとしても世界は滅びる。だから貴方達が天士として人々を守ろうとする場合、どのみち彼との接触は避けられない。我が家には秘密を守ることしか出来なかったけれど、貴方達は戦う力を持っている。だからよく考えて、どうすべきかを」
 アイズが語った通り歴史は書き換えられている。三柱の名も戦争以前の歴史も何もかも時間をかけて嘘で塗り固められた。その行為にどんな意味があるのかはわからない。でも真実を消し去ろうとする者達の攻撃は苛烈で執拗だった。だから帝国も他の国々も口を閉ざした。
「かつて温暖な気候だった私の国が極寒の土地になったのだって、ユニのせいなのかもしれない」
 大規模な気候変動により栄華を誇っていた帝国は凋落し、版図だけが無意味に広い小国と揶揄されるようになった。
 そして、そんな他国からの嘲笑は父の精神を歪めた。千年前の戦争の真実の一端、それを知っていることが心の拠り所となり、やがてその情報を利用することを考え始めた。
「信じられないかもしれないけれど……お父様は本来は気弱で温厚な人だったのよ。なのに突然別人のように気性が荒くなって、イリアムの研究成果を兵器として利用すると言い始めた」
 彼女には今もあれが自分の父だったのかどうか確信が持てない。皮を被った別の生き物に思えた。イリアムだって本当は夢を踏み躙られた憎しみより恐怖の方が勝っていたのではないだろうか?
 誰かがそそのかした――そんな疑念をずっと抱いていた。だからクラリオを去った後、アイズが思い出したノーラとしての記憶とアルトルとしての記憶について話を聞くうちに確信した。父はそのユニ・オーリなる人物に変えられてしまったのだと。
狂帝(ジニヤ)が教皇と接触していたと?」
 眉をひそめるフルイド。彼は戦後、戦争の原因がどこにあったのかに興味を持って独自に研究を始めた。しかし、そんなことがあったという話は知らない。むしろ帝国の代々の皇帝は三柱教との接触を避ける傾向にあったと聞く。
 頷くアリス。フルイドが知らずとも無理は無い。公的な記録は残っていないのだから。
「私が覚えている限り一度だけ父と彼は対面している。彼がまだ教皇になったばかりの頃の話。隣国を訪問した際についでとばかりに向こうから訪ねて来たのよ。父からは『苦境にある帝国への支援を申し出て来た』と聞いた」
 父はその話を断ったが、その時には何も起こらなかった。時期は正気を失うよりも三年以上前だったはず。
 だとしても――アリスはアイズを見つめる。すると今度は彼女が頷いて説明を引き継いだ。
「そもそもユニは、アルトルの眼すら欺いた男だ。いついかなる時に誰と接触していたとしてもおかしくない」
 自分のものではない記憶を掘り返すアイズ。
 アルトルが死した千年前の戦も同じ。次々に味方が敵に、敵が味方に変わり、被害者は加害者、加害者は犠牲者になった。互いの立場や思想が目まぐるしく入れ替わり、当事者にさえ何が起きているのか把握できない混沌とした状況が続いた。おそらくはユニ・オーリの暗躍によって。
 三柱教が語って来た嘘の歴史。イリアムによって復活した魔獣。小国が大陸の半分を蹂躙した先の大戦。
 全てに彼が関わっているのかもしれない。関わってはいないが、そう考えるよう誘導されている可能性もある。疑わしきことはいくらでもあり、それぞれに関与した者達の数も膨大に過ぎる。考えれば考えるほど疑心暗鬼に陥って霧の中へ迷い込むような感覚。
 そう、すでに千年前と同じ状況になりつつある。アイリスとクラリオの件で天士に対する信頼は大きく損なわれた。天士もまた三柱教から封印措置の話を聞かされ、人に対する敵意と警戒感を抱いている。
 だからこそ確信する。全てに関わっているわけではなかったとしても、この手口は奴の仕業だと。他者の心を巧みに操って互いを争わせ、世界全体に深い爪痕を残したユニ・オーリのやり口。
 この状況が長引けば長引くほど、形勢は彼に有利に傾く。
 だからアイズは取引を持ちかけた。
「ノウブル。ブレイブが不在の今、天遣騎士団の指揮はお前の役割だな?」
「ああ」
「なら、こちらからも共闘を持ちかけよう。ブレイブの救出を手伝う代わりに、お前達もユニとの戦いに協力してくれ。私とアリスだけではおそらく勝てない。世界を守るためにも、どうか助力を頼みたい」
 少なくとも捕縛や討伐は当面諦めて欲しい。そんなアイズの願いに目の前の男は、ふっとおかしそうに笑った。
「多少は成長したと思ったが、やはりまだ幼い」
「何故だ?」
「お前のそれは交渉になっていない。ユニ・オーリという男が実在して実際に我々を弄んでいるなら、そもそも奴は最初から共通の敵だ。頭を下げて自分の立場を弱くしても得は無いぞ。単にその男を倒さねばならないという事実のみ強調すればいい」
「そうよアイズ。そもそも貴女はアルトルの継承者で、つまり彼等の主。命令するだけで十分」
 アリスも同意した。けれどアイズは頭を振る。
「私は彼女の力を継いだだけの別人だ。それに、もう天遣騎士団の副長ですらない。命令は出来ないし敬意を払いたい」
 天士達は人間で、自分もやはり人間だった。なら対等であるべきだと彼女は思う。
 彼女の想いを聞かされてフルイド達も頷き合う。
「ノウブル副長、応えましょう」
「副長の仰る通り、そのユニという男は共通の敵です」
「放っておいては危険に過ぎる」
「私はアイズ副長……いえ、アイズ様を信じたいです」
「様もやめろ」
 嘆息するアイズ。アリスは「諦めなさい」と笑った。彼女も元は皇族なので理解出来る。天士達はどうしてもアルトルの後継アイズに対し敬意を払わずにいられないのだろう。そういう生き物なのだ。
 例外は人間だった頃の兄ブレイブと、アルトルにすら特別視されていたノウブルのみ。
 その大男は笑みを消して立ち上がる。彼は迅速に行動するを良しとする男だ。
「応えるも何も言っただろう、交渉になっていないとな。この状況で手を組む以外の選択肢は無い。そもそもこちらから頼みに来た話だ」
「あ、そうでしたね」
「さて、すぐにでも出発したいが、どうする?」
 問いかけられ、アイズとアリスも立ち上がる。
 久しぶりにゆっくりできたこの隠れ家から離れるのは名残り惜しいが、逃亡中の身ゆえ、いつでもすぐに動き出せるよう支度はしておいた。
「行こう」
「同盟成立ね」
 ――そうして彼女達は天士と共に、束の間の安らぎを与えてくれた『妖精の住処』から離れたのである。
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