絶望の少女(1)

文字数 3,998文字

 アイズと別れた後、ブレイブは城内にいる部下達へ作戦を伝えて回り、その後で一人を伴って病院へ向かった。魔獣(トーイ)発生の兆候探しはアイズに任せておけばいい。彼女なら必ず見つけられる。エアーズとハイドアウト、クラウドキッカーを付けたから事が起こり次第、仲間達と連携して対処を行う。そうできるよう今まで鍛え上げて来た。
 彼が抱くのは別の懸念。あの少女、リリティア・ナストラージェ。今もまだ疑っている。誰かが傍で監視していなければならない。
(これまでの魔獣被害、襲われた被害者はことごとく即死。なのに彼女だけが生き延びた。アイズもその点を不自然に思ったらしい)
 アイリスには人間を魔獣化する力がある。なら魔獣である自分を人間と変わらない姿に変えることもできるのではないか? もちろん、それでアイズの眼まで欺けるとは思っていない。だとしても万が一は想定すべきだろう。単なる考えすぎなら終わった後で笑い話にすればいい。
「面会、ですか……」
「部屋の外に監視を立たせるだけで構いません。お願いします」
 彼等の訪問に対し、夜勤の医師は良い顔をしなかった。深夜だから当然ではあるのだが、剣呑な態度が気になって訊ねてみると、どうもそれだけが理由ではないらしい。病室の前までは案内してくれたものの、その場で詳細な説明を受けてきっぱり言われる。

「アイズ副長は二度と来させないでください」
「申し訳ない……」

 さっき顔を合わせた時には聞きそびれていた。まさかアイズが自分のところへ来る前にそんなことをしでかしていたとは。
 アイズが“虫”を見せたことで一時恐慌状態に陥ったという少女は、前回訪問した時と同じく眠りの中。鎮静剤を飲まされているのも同じ。
 だが今回は目覚めたとしても会話すらままならないかもしれない。アイズのせいで事件の記憶が蘇って以来、誰が何度呼びかけても一切反応しなくなってしまったそうだ。
「彼女には厳しく言っておきます。仰る通り、ここへの立ち入りも禁止に」
「そうしてください」
 いつになく語気が荒い。直接その場を見ていたわけでもない医師でこれだ。尋問の場に居合わせた者達の怒りは察して余りある。後で改めて謝罪を行うべきだろう。
 アイズが扉を壊したことで病室も移されていた。今度は施錠していない。何かあった時すぐに駆け付けたいからだと説明され納得する。クラリオ全体の統括者として咎めるべき行為ではあるのだが、心情的にそうしにくい。
 頭が重い。胃も突っ張る。あまり面に出さないようにしているが、ここ最近調子が悪い。実はアイズを呼び戻して以来、同様の苦情が連日舞い込んで来る。他の部下は市民と概ね上手く付き合えている。ところが彼女は誰に対しても遠慮が無く、必要だと思ったことは止められても実行する。そのせいで軋轢が生じてしまう。
 連れて来た部下も渋面になり提言した。医師の話を聞いて腹が立ったらしい。
「団長、副長はもっと人間と交流すべきです」
「そうだな、グレイトボウ」
 リリティアを傷付けたのはアイズで、彼女の行為の責任は自分にある。もっと人の心を理解させておく必要があった。まだそれができないことを知っていながら被害者に自由に接触できるようにしておいたのも悪手。完全な監督不行き届き。
 ただ物事には優先順位がある。今はまだ己を罰することもアイズに謹慎処分を言い渡すこともできない。アイリスの問題に決着を付けるまで彼女には追跡に専念してもらう必要がある。
 医師にも、そう説明して頭を下げた。
「解決次第、必ず当人にも謝罪に伺わせます」
「顔をお上げください。ブレイブ様のお言葉なら、もちろん信じます」
 天遣騎士団団長から直々に謝罪され、流石に相手の態度も軟化する。そこでブレイブは改めて少女に監視役を付ける必要性を説くことにした。

 ところが目の前の医師の肩にラニカ虫が留まる。

「!」
「っと、またこいつか」
 珍しい虫ではない。気が付いて鬱陶しげに手で払おうとする医師。慌てて制止するブレイブ。
「触るな!」
「え? つっ!?
 驚いて動きを止めた医師のその手をラニカ虫は刺した。本物には無いはずの針が口から飛び出し、皮膚を貫いて“因子”を注入する。
 途端に変貌が始まった。皮膚が沸騰したようにボコボコ膨れ上がり、肉と骨が変形して別の生物の形態に変わっていく。激痛を伴うらしく口からは絶叫が迸った。

「んぎッィ……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!

「団長、これは!?
「魔獣化だ!」
 こうなったらもう助けられない。一瞬の躊躇の後、それでも相手が完全に変わりきってしまう前に剣を抜いて首を落とすブレイブ。
 ところが相手は反撃してきた。太い足で蹴り上げられ咄嗟に手甲で受ける。頑強な甲冑が一撃でひしゃげた。
「ぐうっ!?
 腹部からワニの頭が生えている。そっちが体を動かしたらしい。宙に浮いたブレイブを狙い、その頭が口を開けて襲いかかる。
 すると太い光の束が口に食い込み、ブレイブに届く寸前までたわんでから強力な張力を発揮して逆方向へ押し返した。光の束の両端は床に固定されており、叩きつけられたワニ頭は半分床にめり込みながら圧壊する。
「団長、お怪我は!?
「大丈夫だ、ありがとう」
 天士(ギミック)グレイトボウ。彼は“弦”の能力を持ち、瞬間的に強靭なそれを生み出す。彼の弦の両端は空間に固定されるためどこにでも設置可能。張力も自在に調整でき、今のように敵を跳ね返した上で圧殺したり、その逆に無傷で捕縛したりと様々な利用法がある。
「キャアアアアアアアアッ!?
「くっ……!!
 罪無き医師が魔獣化させられ、そして死んだ。なのに悼む暇は無い。悲鳴が止まらないのだ。周囲の病室や廊下の奥から次々響き渡る絶叫。悪夢はまだ始まったばかり。
「あっ──」
「グレイトボウ!?
 声に気を取られた隙にラニカ虫に刺された。慌てて叩き潰す彼。空気が張り詰め一秒を何倍にも長く感じる。だが十秒以上経っても変化は起こらなかった。どうやら天士を魔獣化させることはできないらしい。
「た、助かった……」
「動くぞ! ここにいるのはまずい!」
 振り返ればリリティアはまだ眠ったまま。あるいは目覚めていても心が壊れてしまって動けないのか。とにかく無事には違いない。
 まだ疑いは残っている。むしろ深まった。自分達がここに来たタイミングでナルガルの再現。やはりアイリスなのかもしれない。
 けれど、もし違ったら?

 ──アイズならこう言うだろう。疑わしければ殺せ。間違っていたとしても、アイリスという脅威を排除するための必要な犠牲だったと。
 ブレイブにはそれができない。

「彼女を連れて外へ出る! ついて来い!」
 グレイトボウの力は籠城戦にも向いている。なので扉を閉めて守りに入ることも考えた。かといって院内にいては外の状況を掴めない。仲間と合流するためにもここは危険を覚悟の上で脱出すべきだろう。罠かもしれないが留まったってそれは同じ。相手の狙いが読めない以上、情報をもっと集めたい。
「他の人達はどうするんですか!?
「もう助けられん!」
 病院で働いていた者達と入院患者。彼等のことは諦めるしかない。ナルガルでの経験を踏まえると、すでに大半が魔獣化してしまっている。
「全員はな、助けられないんだよ……!」

 ブレイブは病室の中に踏み込み、少女へ駆け寄った。
 ところが、ほぼ同時に反対側の壁が打ち砕かれる。

「なっ!?
 思わず足を止めた彼とグレイトボウの前で、外気と共に吹き込んで来た粉塵を割りつつ異形の少女が姿を現す。
「駄目ですよ、この子は大事なお姫様。助け出すのは主役の仕事」

 十代前半、おそらくは十五歳に届くか届かないかという年頃の少女。少しばかり目尻が下がった優し気な風貌。髪は亜麻色で瞳は銀。けれど背中には純白の翼を生やし、四肢は獣のそれになり果てている。身に着けている服はそこらの子が当たり前に着ているものと同じ。
 ただ、所作には気品がある。おそらく一般家庭の生まれではない。

「君は……」
「アイリス。貴方達はそう呼んでいるのでしょう? あの方もでした、イリアム様も私を本当の名でなく、その名で呼んだ」
「!」
 自分から現れた標的──グレイトボウは仕掛けようとした。ブレイブがそれを手で制す。相手の方がベッドに近い。下手に動けばリリティアまで危険に晒される。
 直後、アイリスの右腕が無数の触手と化してリリティアを掴んだ。これにはブレイブも剣を構える。
「おい!?
「この子はもらっていきます。心配しないで、傷一つ付けません。大事な大事な人質ですもの。物語の主役、勇者様が私に勝てたら、その時にはお返しします。もちろん皆さんも彼女に協力してあげてください。一人ではとても勝てませんよ」
 夢見る少女のようにうっとり虚空を見つめるアイリス。その様子と言動からブレイブは理解した。この娘の目的は──
「やめろ! 言葉が通じるなら話し合えばいい! 君にはまだ未来がある!」
「いりません。未来なんてどうでもいい。私はただ最後に夢を叶えたいだけ。その邪魔をするつもりなら覚悟してください。貴方の能力は知っています。今の状況でなら使いたくとも使えないでしょうが、念の為に。この城を嵐で覆い隠すような真似をしたら、その時には全ての人間を魔獣に変えますよ」
「行くな!」
「いいえ、さようなら」
 外へ飛び出す少女。リリティアを抱えたまま高く上昇していく。そんな彼女に追従するコウモリのような魔獣達。全身から光を放ち、飛び回って夜空を明るく照らす。

「さあ、来てください勇者様! 救いを求める姫は、ここにおります!」

 アイリスは彼方を見つめ、そう叫んだ。
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