19。

文字数 3,370文字

 
 どうしてこんなことに……。
 留置場で足を投げ出すように地面に座り込み、ぼうっと灰色の壁を見つめる。
 最初は…恋人に車を貸したことから始まった。
 大学で知り合った彼女。同じように地方から出てきたもの同士だった。コロナのこともあって、想像していたよりも閉鎖的な学生生活だった。最後の1年間は、何だか就職活動に追われて、あっという間に学生生活が終了した。バイトもしない、ゼミもパソコン画面越し、授業も再開したところで、話しかけることができず、高校の時と何が違う?っていう不満しか芽生えなかった。そんな中、オンライン授業で見た彼女は優しくて清楚で、笑顔のかわいい女性だった。ゼミも一緒で、オンラインが楽しくなった。俺の学生生活は少しそれっぽくなったんだ…。
 卒業してから、彼女からの連絡で付き合うことができて、とっても充実していたのに……。
「聴取の時間です。出なさい」
 看守が俺の独房に来て、声をかける。鍵がとかれ、可動部分の扉が開けられる。

「……おまえを理解しようとしている人たちに背を向けることになるぞ 」

 捕まった時に相手の刑事が俺に言った言葉…。どうしてだろう?ここに来てから頭の中でこだまする。何度も何度も。相手の顔は覚えていないのに声はなんだか鮮明だ。 
 俺はどうしてこうなってしまったんだろう……。




「お兄ちゃん、これすごいでしょ?」
「お兄ちゃん、おめでとう!警察官になるの?」
「もうやだよ……どうしたらいいのか分かんないよ……」
「ダメだよ、ちゃんと食べないと!」

 俺はこれで良かったのか?
 署に戻ってきて書類を作成していた。
 頭の中に巡る二美子の声。小さい二美子、大きくなった二美子……。色んな妹の声が渦巻く。
 今回、二美子を襲ったのは、俺が先だって逮捕した男だった。そいつの名は周道(しゅうとう)と言ったか?
 一般的なサラリーマン家庭の2人兄妹の長男。地方から大学入学を機に家を出て独り暮らしが始まった。アルバイトをしながら、大学生活を過ごしていく……そんな普通の学生になっただろう。
 しかし、コロナ禍が様相を変えた。外出を控えるように国からのアナウンスがかかると、すべての日常が変わっていった。彼も、今まで当たり前だったことが、どんどんなくなり、代わりのモノが誕生する。
 例えば、オンライン授業はその代表的なものだ。新しい土地で、誰もしらないところで、大学に通うという日常が取り上げられた彼にとって、オンラインでの会話は大きな出会いと癒しになったことだろう。取り調べの中から出てきた周道の言葉は、罪を犯した者というより、自分は悪くないんだという自らを擁護する抗議の内容だった。
 彼の話しはいたってシンプルだ。付き合っている彼女に車を貸した。だが、返してもらえるはずの期限になっても返してもらえず、連絡も取れなくなった。だから、勤務先を訪ねたのだ。するとおかしなことが起きた。彼女は彼と付き合ってなどいないというのだ。そんなはずはない、そんなわけはないと彼女に詰めよったところ、通報されたということらしい。
 後に彼女に話を聞き、スマホも確認させてもらったが、周道とのやり取りはなかった。だが、おかしなことに周道のスマホには彼女とのやり取りがあったのだ。調べてみると、彼女とは違う、別の者が彼女になり済ましてやり取りをしていたのだ。
 事の顛末を彼に伝えたが、そんな作り話は信じないと。彼女が自分を騙したのか、その彼女の会社の上司がグルなのか、と落ち着かなかった。ここで彼女の上司を疑ったきっかけは、彼女の勤務先で騒ぎが生じたときに通報したのが者がいたのだが、どうやらその人を疑った様子だった。
 彼は……どうして二美子に憎しみを転化したのだろう。俺の言動にムカついたなら、俺を狙えばいいのに…。
 デスクで書類を作成しながら、ぼうっと考えが浮かんでくるのを受け流す。
「裕太…」
 不意に名を呼ばれ、ハッとする。
 振り返り、呼んだ者の姿を確認して、なおのこと頭が真っ白になる。
「裕太…何してんだ、お前は……」
 そこには肩で息をする尊がいた。
(タケル)……」

 え…あいつは出張のはず……

 呆然としている裕太。
 尊、そんな彼につかつかと近寄ると、胸ぐらをグッと掴み、椅子から立ち上がらせた。ガシャンと大きな音を立てて椅子が倒れる。
「お前は何やってんだっ……!」
 周囲にいた数人の署員が驚きのあまりフリーズする。
 普段、あまり感情を表出させない尊が、怒りを露にしているのだ。周囲は動揺するわな……、それに引き換え、俺は…
「…だな…。二美子を危険にさらした……」
「違うだろっ…」
「え…」
 真っ直ぐに見つめる尊の眼は、何言ってんだと半ば呆れていた。
「なんで二美子の側にいないんだ!」
「……え」
「分かるだろっ?!どんな思いで、どんな気持ちで、二美子がいるのかっ!」
 尊の腕に力がこもる。

 どんな思いって……

「俺に会いたくないだろ……」
「……バカやろう!」
 尊はそう言うなり、思い切り裕太を放り投げる。裕太、勢いのままに飛ばされ、近くの机にぶち当たるとそのまま崩れる。
「本気で言ってんのか?! ほんとにバカだな!」
「……んだよ」
 俺は立ち上がると、尊の胸ぐらを掴んだ。
「お前に何が分かる!」
「分かってほしいのかよ!」
 尊に情けない心のうちを掴まれた気がした。
「言えよ…」
 尊、再び裕太の胸ぐらを掴む。
「いつだって聞いてやる。分かってやるよ。だが、今は嘘でも無敵でいろ!情けねえ態度とってんじゃねえわ!お前がしっかり仕事しとけばいい話だろうが!いちいち落ち込んでんじゃねえよ!」
 普段、どんなことがあっても冷静な尊の雄叫びに、周囲は全く手が出せなかった。裕太も尊の真っ直ぐ向かってくる言葉たちに、全く歯が立たなかった。つまりは、返す言葉がなかったのだ。
「いい加減なことすんな……」
「…尊…」
「いいか裕太。二美子の兄貴は俺たちだけだ。俺たちの妹だろ?簡単な話だ。俺たちが強くなりゃいいんだ。それだけだ」
 尊の言葉がしっかりと耳を通って胸に届く。音として入ってきただけなのに、重さを感じる。
 熱も感じる。気持ちがぶわっと駆け上がってくる。これは悲しみか?怒りか…?
「……殴れ、尊」
「は?」
「俺は…上手く捌けねえ。気持ちの整理とかくみ取るとか…自分の都合のいいようにやっちまって…。いっかいすっきりさせろ。だから、殴ってくれ尊」
 静寂…
 周囲が呼吸すら遠慮するような雰囲気。尊が大きく息をつく。
「……バカだなー、お前って…」
 次の瞬間、尊の拳が裕太の腹に食い込んだ。
「うおっ…!」
 裕太、体が前のめりに折れ曲がり、苦しそうに息をする。
「おま…っ…普通……手加減する……だろ……っ」
「甘いな裕太。俺はマジにキレてる…」
 着ている服の乱れを直し、裕太を見下ろした。
「壽生から連絡があった。二美子の携帯がないらしい。現場署員が探したが現場にない。俺は携帯の電波を追う。お前はミコに謝ってこい。それからだ」
 俺は何度か呼吸をして、痛む腹を両手で包み込む。
 あの時…、光麗と対峙していた周道を確保している間に、ひとり仲間が逃げた。追いかけている場で輝礼(アキラ)に会った。輝礼に二美子のことを頼んだ。あいつがいるってことは、尚惟も壽生も来る。壽生と話したっていってたか……

 携帯がない……か……

 少しずつ頭が正常になってくる。
「……はぁ……。お前は2課だろうがよ、尊……」
「え?何々?入り口に何でこんなに人がいるんだって……ん、ああもうっ!いま尊先輩とすれ違ったけど……って、何すか!何があったんすか?!
 ざわざわし始めた1課の部屋へ戻って来た光麗(ミツリ)。部屋の中の乱れようと、異様な雰囲気に困惑した表情で裕太を見る。
「見たら分かるだろ?」
 俺は膝をバチンと叩くと、スックと立ち上がる。
「兄弟ゲンカだ。悪ぃな」
「はあ?お子ちゃまですか?何してんすか…」

 ほんとだな……

「ミツ、周道はどうだ?」
「それですけど、警察に恨み持ってる者が集まる裏サイトがあるんですよ。そこで繋がったみたいですね」
「そうか……」
 何してても人って人を恨む瞬間があるが…俺の仕事はそんなに憎まれるんだな。
「光麗、そのサイト運営者んとこいくぞ」
「令状申請したんで、明日には行けます。あと…先輩、ちょい気になることあって……」
「ん?」

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