11。
文字数 3,047文字
病院の空気ってちょっと独特の匂いがする。
たぶん、清掃の消毒の匂いとか、薬品の匂いとかワタシは嫌いではない。小さい時からよく来ていたからかもしれないけれど、馴染み深いのだ。外の匂いよりはまだましな気がする。気がするだけなんだろうけど…。
親が主治医の先生と話している間に、病院の中庭に出てきた。ここは草の匂いしかしなくて、安心が出きる。ちょっと休憩をとらないと、帰るときに頭が痛くなりそうだったのだ。
翼希 は、少々匂いに敏感なところがあった。香水や柔軟剤が苦手で、バスや電車が苦手だった。人がたくさん集まるショッピングモールも好きではない。いろんな匂いが襲ってくる感じが、落ち着かないし、実際に頭が痛くなるのだ。
「なんでみんな分かんないのかな……」
ワタシには平気な顔して過ごしている周りが宇宙人みたく感じ始めた。
翼希は時々、こうして外の空気を吸う。これは外出時のみでなく、自宅でも、ベランダに出て深呼吸を一度する。頭が痛くならないおまじないなのだ。これは、誰もいないところでするのが翼希のこだわりなのだ。
周囲を少し見回す。入院患者らしい年配の人がぼちぼちと歩いたり、伸びをしたりして過ごしている。
まあ……病院だから、ある程度は仕方ないか。じいちゃんやばあちゃんの散歩タイムは大切だ。ワタシの方が侵入者だから。
中央辺りまで歩を進め、自分の立っているとこから半径10mは誰もいないことを確認する。
「よし…」
高校1年生の彼は大きく延びをする。まだ成長期になってないのか、身長は今、伸び悩んでいる。それでもすらりと伸びた手足は、しっかり伸ばしてみると、大きく見えた。
「……んー…、ふぅ……」
しっかり呼吸もして、頭の中のモヤモヤを吹っ切るように、息を吐く。
気持ち悪いのとか、匂いにしんどい思いしてるとか、諸々、吐き出すんだ。
「……よし」
少し、クリーンになった気がする。
「そうか…じゃあ、やめとくか」
突然、脳裏にこの前来た家庭教師が浮かんだ。
「うっわ……きも…」
ワタシは、このなんとも出来ない体質のお陰で、学校に通うことがあまり出来ない。父は、それほど興味がないようだが、母は少々困り感があるようで、何やらいろんな所から情報をかき集めてきて、ワタシに家庭教師をつけたのだ。
けれど…ワタシは意外と困ってはいなかった。教科書読んだら何となく勉強は分かる。高校受験をして合格したあたりで母の心配は解決していると、ワタシは思っていたのだけれど。どうやら違ったらしく…。どうしても家庭教師をつけるというから、甘んじて受けている。それで母の気が済むのだろうから……。けれど、どれもこれも来る者たちは、分かったことを言うから腹立たしいし、楽しくもない。「それじゃいけない」だの「素直になったら」だの、何かしら言いたいのだ。
ワタシは、学校には通ってはいるが、教室にはなかなか入れない。どうも教室に入ると頭が痛くなるのだ。勉強や運動は嫌ではないが、こうしなければいけないと固定化されることが多く、その通りできるならやる、ができないから
でも……
この間来たヤツは、ちょっと違った。
まるでどーでもよいような態度で、「好きにしろ」状態だった。
そんな職場放棄みたいなことっていいのかよって言ったら、返ってきたのはこの言葉だ。
「そうか…じゃあ、やめとくか」
だったのだ。
「なんだよ“じゃあ”って。どうでもいいみたいじゃないか……」
たぶん、どうでもよかったのだろう。ワタシが訳も分からないことで苦しんでいることも、そんなワタシの存在も。誰も彼もそんな態度なんだ……。
「うっ…」
頭がズクンと低くうずいた。
思わず右手が頭をつかんだ。
ズクン ズクン…
心臓が頭に移動してきたみたいな振動が、頭の痛いと思う場所からしてくる。
ああ…、こうなると、ちょっと座らないといけない。落ち着くまで静かに……
「大丈夫ですか?」
すぐ横から声をかけられた。
「……え?」
驚いて思わず素で声が出た。知らない人に声をかけられたことにもだけれど…、こんなに人が近づいて来てるのに全く気づかなかったことに、何が起きたのか分からなかった。
その人は女の人で、心配そうにこちらを見ていた。
「頭が痛いのですか?誰か呼んできましょうか?」
「あ、い…いえ…。頭は痛いですが大丈夫です」
「じゃあ…そこのベンチに座りますか?」
彼女はすぐ近くにあるベンチを指した。
「あ……はい」
たぶん、こんなに素直に返答をしている姿をワタシの近くにいる大人たちは見たことないだろう。ワタシもこんな自分は知らない……。
ゆっくりとそのベンチまで連れてきてくれた彼女は、ワタシを座らせると、再び口を開く。
「落ち着きましたか?」
「……あ、はい。ありがとうございます」
改めて彼女をみると、パジャマ姿であることに気づいた。
入院患者なのか……
「ほんとに呼ばなくていいですか?」
聞かれた内容を理解するのに少し間が開いてしまった。
「やっぱり呼んできましょうか?」
「い、いや大丈夫です。同行人に電話するので」
急いでポケットからスマホを出して見せる。
「あ、一緒に来ている人がいるのね。良かった」
にこっと笑ったその人は、何て言うんだろう……ベタな表現だが、綿菓子のようにフワッと甘いカンジの香りがした。“香った”っていっても本当に香水のような匂いがしたわけではなくて、ワタシの感覚というか…。
「じゃあ、大丈夫ですね」
その人は、静かに去っていこうとする。
「あっ…!」
「え?」
あ……呼び止めてしまった
「どうかしました?」
何も考えず…呼び止めてしまった。相手もとても素直に呼び止められてしまってる。
「い…や…っと……」
更に都合の悪いことに、何だかいつものワタシのペースが戻ってこない。人に対して反応するワタシのスキルが鳴りを潜めてしまっている。
いつも相手を黙らせるほど言葉が出てくるじゃないか……。どうして今日に限って出てこないんだ…?
その人は最初こそ不思議そうにしていたが、再びワタシの方へ体を向けた。
「隣に座ってもいいですか?」
隣……って、ああ、ワタシの隣…。
ワタシは少し左へ寄る。するとその人は空いたワタシの右側へ座った。
一瞬、しまったと思ったが、その思いも早々と消える。
……しない…?
そう……彼女からは人工的な匂いがしなかったのだ。その人の顔を見る。薄い色味のピンク色のカーディガンが、彼女の儚さに淡い色彩を加えて、消えそうな雰囲気に拍車をかけているように感じた。
「あの……あなたからは嫌な匂いがしないんですけど」
「えっ……」
「あ……いや、その…ワタシは苦手な匂いがたくさんあって……その…人が集まるとこがダメなんです」
「そうなんだ」
「だから、人が寄って来ると分かるんですけど、あなたは分からなかったので……」
「お化けだと思った?」
「え……違いますけど、そうなんですか?」
なるほど……人ではない可能性は考えなかった。
「私は
「なるほど……。ワタシは翼希 といいます」
キョトンとしていた彼女はにっこり笑って名を教えてくれた。
「私は二美子 といいます」
たぶん、清掃の消毒の匂いとか、薬品の匂いとかワタシは嫌いではない。小さい時からよく来ていたからかもしれないけれど、馴染み深いのだ。外の匂いよりはまだましな気がする。気がするだけなんだろうけど…。
親が主治医の先生と話している間に、病院の中庭に出てきた。ここは草の匂いしかしなくて、安心が出きる。ちょっと休憩をとらないと、帰るときに頭が痛くなりそうだったのだ。
「なんでみんな分かんないのかな……」
ワタシには平気な顔して過ごしている周りが宇宙人みたく感じ始めた。
翼希は時々、こうして外の空気を吸う。これは外出時のみでなく、自宅でも、ベランダに出て深呼吸を一度する。頭が痛くならないおまじないなのだ。これは、誰もいないところでするのが翼希のこだわりなのだ。
周囲を少し見回す。入院患者らしい年配の人がぼちぼちと歩いたり、伸びをしたりして過ごしている。
まあ……病院だから、ある程度は仕方ないか。じいちゃんやばあちゃんの散歩タイムは大切だ。ワタシの方が侵入者だから。
中央辺りまで歩を進め、自分の立っているとこから半径10mは誰もいないことを確認する。
「よし…」
高校1年生の彼は大きく延びをする。まだ成長期になってないのか、身長は今、伸び悩んでいる。それでもすらりと伸びた手足は、しっかり伸ばしてみると、大きく見えた。
「……んー…、ふぅ……」
しっかり呼吸もして、頭の中のモヤモヤを吹っ切るように、息を吐く。
気持ち悪いのとか、匂いにしんどい思いしてるとか、諸々、吐き出すんだ。
「……よし」
少し、クリーンになった気がする。
「そうか…じゃあ、やめとくか」
突然、脳裏にこの前来た家庭教師が浮かんだ。
「うっわ……きも…」
ワタシは、このなんとも出来ない体質のお陰で、学校に通うことがあまり出来ない。父は、それほど興味がないようだが、母は少々困り感があるようで、何やらいろんな所から情報をかき集めてきて、ワタシに家庭教師をつけたのだ。
けれど…ワタシは意外と困ってはいなかった。教科書読んだら何となく勉強は分かる。高校受験をして合格したあたりで母の心配は解決していると、ワタシは思っていたのだけれど。どうやら違ったらしく…。どうしても家庭教師をつけるというから、甘んじて受けている。それで母の気が済むのだろうから……。けれど、どれもこれも来る者たちは、分かったことを言うから腹立たしいし、楽しくもない。「それじゃいけない」だの「素直になったら」だの、何かしら言いたいのだ。
ワタシは、学校には通ってはいるが、教室にはなかなか入れない。どうも教室に入ると頭が痛くなるのだ。勉強や運動は嫌ではないが、こうしなければいけないと固定化されることが多く、その通りできるならやる、ができないから
やれない
、というロジックを分かってもらえない。親も理解してくれないから、これはワタシのエゴなのかもしれないが…。家庭教師で来るやつらにまであれこれ言われるなんて、逃げ場がないじゃないか…。でも……
この間来たヤツは、ちょっと違った。
まるでどーでもよいような態度で、「好きにしろ」状態だった。
そんな職場放棄みたいなことっていいのかよって言ったら、返ってきたのはこの言葉だ。
「そうか…じゃあ、やめとくか」
だったのだ。
「なんだよ“じゃあ”って。どうでもいいみたいじゃないか……」
たぶん、どうでもよかったのだろう。ワタシが訳も分からないことで苦しんでいることも、そんなワタシの存在も。誰も彼もそんな態度なんだ……。
「うっ…」
頭がズクンと低くうずいた。
思わず右手が頭をつかんだ。
ズクン ズクン…
心臓が頭に移動してきたみたいな振動が、頭の痛いと思う場所からしてくる。
ああ…、こうなると、ちょっと座らないといけない。落ち着くまで静かに……
「大丈夫ですか?」
すぐ横から声をかけられた。
「……え?」
驚いて思わず素で声が出た。知らない人に声をかけられたことにもだけれど…、こんなに人が近づいて来てるのに全く気づかなかったことに、何が起きたのか分からなかった。
その人は女の人で、心配そうにこちらを見ていた。
「頭が痛いのですか?誰か呼んできましょうか?」
「あ、い…いえ…。頭は痛いですが大丈夫です」
「じゃあ…そこのベンチに座りますか?」
彼女はすぐ近くにあるベンチを指した。
「あ……はい」
たぶん、こんなに素直に返答をしている姿をワタシの近くにいる大人たちは見たことないだろう。ワタシもこんな自分は知らない……。
ゆっくりとそのベンチまで連れてきてくれた彼女は、ワタシを座らせると、再び口を開く。
「落ち着きましたか?」
「……あ、はい。ありがとうございます」
改めて彼女をみると、パジャマ姿であることに気づいた。
入院患者なのか……
「ほんとに呼ばなくていいですか?」
聞かれた内容を理解するのに少し間が開いてしまった。
「やっぱり呼んできましょうか?」
「い、いや大丈夫です。同行人に電話するので」
急いでポケットからスマホを出して見せる。
「あ、一緒に来ている人がいるのね。良かった」
にこっと笑ったその人は、何て言うんだろう……ベタな表現だが、綿菓子のようにフワッと甘いカンジの香りがした。“香った”っていっても本当に香水のような匂いがしたわけではなくて、ワタシの感覚というか…。
「じゃあ、大丈夫ですね」
その人は、静かに去っていこうとする。
「あっ…!」
「え?」
あ……呼び止めてしまった
「どうかしました?」
何も考えず…呼び止めてしまった。相手もとても素直に呼び止められてしまってる。
「い…や…っと……」
更に都合の悪いことに、何だかいつものワタシのペースが戻ってこない。人に対して反応するワタシのスキルが鳴りを潜めてしまっている。
いつも相手を黙らせるほど言葉が出てくるじゃないか……。どうして今日に限って出てこないんだ…?
その人は最初こそ不思議そうにしていたが、再びワタシの方へ体を向けた。
「隣に座ってもいいですか?」
隣……って、ああ、ワタシの隣…。
ワタシは少し左へ寄る。するとその人は空いたワタシの右側へ座った。
一瞬、しまったと思ったが、その思いも早々と消える。
……しない…?
そう……彼女からは人工的な匂いがしなかったのだ。その人の顔を見る。薄い色味のピンク色のカーディガンが、彼女の儚さに淡い色彩を加えて、消えそうな雰囲気に拍車をかけているように感じた。
「あの……あなたからは嫌な匂いがしないんですけど」
「えっ……」
「あ……いや、その…ワタシは苦手な匂いがたくさんあって……その…人が集まるとこがダメなんです」
「そうなんだ」
「だから、人が寄って来ると分かるんですけど、あなたは分からなかったので……」
「お化けだと思った?」
「え……違いますけど、そうなんですか?」
なるほど……人ではない可能性は考えなかった。
「私は
一応
、生きているけれど、ひょっとしたら入院してるから、人の匂いっていうより…病院の匂いなのかもなあ……」「なるほど……。ワタシは
キョトンとしていた彼女はにっこり笑って名を教えてくれた。
「私は
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