25。

文字数 3,556文字

「じゃあ…二美子さんの知らない人?」
「顔が分からなかったので、はっきりは…でも、たぶん知ってる人じゃないと思います……」
「そうだよねー、目出し帽かぶってたからね、顔が分からないとなんとも言えんよね…」
「まあ…」
 今、捜査一課の女性の刑事さんが2人来ている。昨日のことを聞きたいそうだ。
 そう言われても…答えられることは少ない。
「ごめんね、嫌なこと思い出させちゃってるけど…」
「分かってます。大事なことだって」
 ベットの横で座って見守ってくれているのは尚惟(ショウイ)だ。わがままだって思ったけれど、刑事さんに話している間、そばにいてほしいとお願いしたのだ。たぶん、病院内だし、何かあっても…発作が起きちゃってもなんとかなると思いながらも、やっぱり不安は拭えなかった。本当は話したくない自分もいた。でも、これは裕太(ユウタ)兄と(タケル)兄の仕事で、兄たちが誇りに思っているお仕事だから、私が逃げてちゃ行けない気がした。
「うん、だけど、無理はしないでね」
「はい」
 尚惟をチラッと見ると、それに気がつきニコッと微笑んでくれた。
 私はその“ニコッ”だけで頑張れる!
「知らない人だ、と感じたのは相手が名前を確認した、という部分で?」
「うー…ん、そうですね。ごめんなさい、曖昧で……」
 なんだか、申し訳ない……。
 “頑張る”という思いとは裏腹に、ちゃんとこたえられてない気がする。
「だいたいでいいからね。相手はなんか言ってた?」
「いえ…これと言って…」
 深呼吸をすると、気持ちを落ち着かせる。

 ちゃんと思い出さないと……。

 あの時…
 扉が無造作に開けられた。
 いつもは開け放っている扉が、何故か閉まっていたのだと、ふわりと感じた違和感。でも、それを“疑問”として落とし込む前に、非日常的な何かが目の前に現れた。
 何が起きてるのか、実感する前に、相手が先に行動を起こした。
「……名前を…確認されて、黙っていたら、ベッドに書いてあるのを確認して…“来い”って…ひっぱられ…、ました」
 腕を捕まれたことがふわっと思い出され、右腕にその感覚が、一瞬、戻った?錯覚におちいる。その時捕まれた腕は、今は解放されているのに、急に生々しい肉感がベタッと戻ってくる。
 ゾワッとした感覚が背中を這う。
「…二美子さん?二美さん…?」
「ん?え…?」
 一瞬…体から何もかもが抜け落ちていった。尚惟の言葉で戻される。
「…ダイジョブだよ、もう、そいつはいないよ」
「うん…」
 すごっ……。我が君は、すぐに分かるんだ。ちょっと危なかった……。
「……と。……外へ出たら、いつもより静かで…、ちょっと変な感じがしました」

 そう……静かだった

「相手はずっと私を引っ張って、業者用のエレベーターへ乗り込みました」

 トッ…トッ…トッ…トットッ……

 少しずつ回りの音が遠くなる感覚…
「乗り込んで…二人っきりに…なって…」

 トットットット…トトト…………

 その時、エレベーターの扉は静かに閉まったはずなのに、「ズン…」と重低音で閉まったように、脳内で音が鳴った。今のことではないのに、私の感覚は混乱した。

 あ……、…苦しい…かも…

 右手が自然に尚惟の腕に触れる。
「うん…、もういいよ、二美さん」
 まるで、全てを分かっているかのように、そっと肩を引き寄せる尚惟。
 そうして、質問していた女性刑事に視線を持っていく。
「分かった。また今度にしよう」
「あ……」
 私は…「大事なことです」と理解を示しながら、終わらせてくれたことにほっとしていた。ほっとした瞬間、罪悪感に襲われた。
「すみません…ちゃんと出来なくて……」
 ああ……私ってポンコツ……




 ガシャンッ

 俺は、自販機の前で、お茶のボタンを押したまま立ち尽くしていた。
 警察からの聞き取りは終わり、今、二美子さんは眠りについている。

「すみません…ちゃんと出来なくて……」

 ボソッとこぼれた言葉は、俺だけじゃなくて、たぶん、刑事さんたちにも聞こえていただろう。静かな空間だった。自然に彼女の細い声でも相手の聴覚に届いた。
 俺には彼女が自らを責めているように聞こえて苦しかった。代われるものなら代わってあげたい……。珍しく俺に助けを求めて来た二美さんのそれに応えられなかった、そんな思いがふくれあがってきていた。
「おい、寝てんのか?」

 え

 気付くと隣に裕太(ユウタ)さんがいた。
「ボーッとしてるなんて、尚惟(ショウイ)らしくないな」
 裕太、取り出し口からお茶のペットボトルを取り出して、尚惟に手渡す。
「サンキュな…。二美子のそばにずっとついててくれたんだな」
「当たり前じゃないですか……」
 受け取ったお茶を持て余しながら、近くのソファに座った。
「二美子は寝てるのか?」
「はい。さっき、話聞きに女の刑事さんが来ました」
「そうか…」
「はい……」
 俺の横に座った裕太さんとの距離は、人ひとり半ぐらいある。つまりは、ソファの端と端。他人というには少々近しく、親しいというには若干物足りない空間……リアルな距離感。輝礼や壽生が一緒だとそんな風には感じないのにな……。
「二美子は……大丈夫だったか?」
 言いにくそうに言葉をこぼす裕太。
 俺は、それを拾う。
「大丈夫……なわけないです……」
「だよなぁ…」
 もっと、うまく伝えられたらいいのだが、俺も今、余裕はない。
「尚惟」
「はい…」
「二美子は…俺にはもったいない妹なんだ」

 ん……?

 俺は、あまりに唐突なことに顔を上げてしまった。

 何だ?分かっていることをわざわざ……

 俺の戸惑いなどお構いなしに裕太さんの独白が続く。
「あいつは…色々あっても、前向きで、ほら、がんばり屋だろ?まあ、ちょっとドジって言うか……天然って言うか…ま、まあ、そう言うとこもあるっちゃあ…あるけど」

 あるけど…?

「そこもかわいいだろ?」

 ……同感です。

「最近…、なんか元気がなかったが、確かに体調も悪かったと思うんだ。でも、ほら、あいつ気ぃ使いだからさ、調子悪いときに尚惟に言えないとかあったりするんだろうな…。ほら、あいつ、気ぃ使いだから」

 ……おんなじこと、2回も言った。

 ここまでくると、こっちが冷静になってくる。
「で、何ですか?」
「ん?だから…ほら…なっ?」

 …………なっ? って……何…。

 尚惟、自らソファ上の物理的距離を詰める。
「あの…」
「わっ…!な、なんだ、おまえ近いぞ」
 ああ、一気に詰めすぎたか…。
「なんか…もしかしたら、色々ごちゃごちゃ考えて、とッ散らかってるかもなので、はっきり言いますけど」
「あ?」
「俺、二美子さんのこと大切に思ってます」
「はっ…!おっ、おまっ…!」
「二美子さんのこと、大切すぎて愛しすぎて、俺、大好きなんです。今は、彼氏なんです。俺」
「……おまえ、よくも兄貴に向かって」
「何だか、引き留められてるように聞こえたので」
 裕太の動きも止まり、やけに静かな空間が訪れる。
「……」
「そんなことしなくても、俺は離れませんよ。



 = ドゴッ! =

 裕太の左側にあったソファの端っこから、

ドスの効いた音がする。チラリと視線を持ってくと、裕太の左腕がソファの背もたれに埋まってる。

 あー……これって備品損壊じゃね…?

「………ちょい勇み足でした」
 そろりと距離を適正なものに戻す。
「…言いたいことは、どんなになっても俺の気持ちは変わりません、てことです」
「……それは、辛い…未来でも?」
「…はい」
「つらい未来だぞ?」
 この時、俺は、たぶん、腹が立ったんだと思う。
 裕太さんが弱気になって、一番考えたくないことを、俺みたいに過ってしまってることに、イラついたのだと思う。俺だって情けないのに、それを棚に上げて……いや……、違うな。俺を見てるようで、腹立たしかったんだ…。
「……だからなんなんですか?こういったらなんですけど、じゃあ“幸せな未来”って分かってから人を好きになるんですか?つらくない人生なんてあるんですか?子どもじみてませんか?はっきり言えばいいじゃないですか。俺が頼りないからって。俺じゃまかせられるかって。別れさせたいんですか?だからって、俺は聞きませんけどね、そんなにやわじゃないんでっ!」
 タガが外れたみたいにしゃべりまくった。不安で押し潰されそうな思いをたくさん込めて、一気に話した。
 俺は、裕太さんの思いなど考えていなかった。ぶわっとふくれあがっていた真っ黒な陰りを、俺はただ裕太さんに向かってぶつけただけだった。
 実のところ…俺の方が混乱していて、子どもじみた言動だった。だから裕太さんの動向に鈍感になっていた。
 裕太が何かを言いたそうに口を開こうとしたとき、大勢の足音が聞こえた。あっという間にその足音は近くなり、すぐ目の前に現れた。
「裕太さん!二美子さんは?!
 こんなに焦った壽生(ジュキ)は見たことがなかった。
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