9。

文字数 2,116文字

 
 ……この沈黙はなんなんだ。

 僕は目の前で淡々と仕事を進めていく上司を見守っている。いつもは口数の減らない……もとい、多くを学ばせていただける小言が全くでない。
「……先輩?」
「おん?」
「牛丼、ありがとうございました」
「おお」
「……もう事務手続きも終わったんで、帰っていいんじゃないっすか?」
「おお」
「まだなんかあるんですか?」
「おお」
「…………先輩って血液型なんすか?」
「おお」
「人って驚いたとき何て言うんですかね」
「おお」
 
 これって今から録画したいんだけど。

 光麗(ミツリ)、ちょっと後悔しながら再び裕太を見る。
「帰っていいですか?」
「おお」
「僕、お疲れなのか、すっかり小じわが増えちゃって~」
「おお」

 こりゃダメだ。

「先輩っ!ちょっと聞いてます?」
「あ?」
「もう…、帰りましょう。ぽやっとした先輩は使い物にならないですよ」
「…………光麗」
 急に視線がガッツリ合う。

 え、え?何?急に覚醒?言いすぎた……?

「い、いや、もちろん他のやつらよりずっと出来ることぐらい分かってますよ?ほら、なんか今日、疲れてるかな~って……」
「おまえさ、この後、時間ある?」
 にこりともせずに迫られる光麗。

 ああ、終わったあああ!ここまで頑張ってきたのに、僕はなんてことを……!



「……って、なんで喫茶店?」
 人生、早くに幕を下ろしてしまったと、諦め気味についてきたのだが……。
 あの後、警察署を後にして、二美ちゃんが通院している病院へ行くのか?と思いきや、病院は通りすぎその近くにある喫茶店の前で止まった。
「悪いけど、付き合え……」
「え、はあ……」

 なんだ?改まっちゃって……。

 僕はよく分からないまま喫茶店に入る。
「いらっしゃいませ。空いている席にどうぞ」
 ドアを空けるとフワッとコーヒーの香りが漂ってきた。脳が勝手に「美味しい」と変換する。少し時間が遅いが、それでも人が数人いる。病院関係者かなぁ。確かにこの時間まで開いてたらありがたいかも。
 裕太の後についていき、4人座れるテーブル席へ。カウンターからは少し遠い。
「いらっしゃいませ、ご注文は後程にしますか?」
 レッドブラウンの柔らかいウェーブのかかった髪は、触れずとも綿毛のように軽く弾むのだろうと思わせた。しなやかに伸びた指は軽くグラスを持ち、優しくテーブルに置かれる。所作がきれいだ。
「いや…。俺は……焼肉定食ってできる?」
「大丈夫ですよ」
「じゃあ、それと食後にコーヒー。お前は?」
「え…?じゃ…あ、同じもので」
「はい。では、焼肉定食2つとコーヒー2つですね」
 オーダーをとったその人はおしぼりを置いて、カウンター内へ消えた。
「え、先輩、帰んないんですか?家で二美ちゃん待ってますよ?」
「……二美子、入院した」

 え   え?   え?

「帰ってもいないんだ。夕食、付き合え。ここは俺の奢りだ」
「…………まずいんですか?」
「はあ……わからん……。うまいんじゃないか?コーヒーのいい香りが……」
「こんなとこでボケないで下さいよ!二美ちゃんの病状ですよ!」
「あ、ああ…。検査入院だから……なんか気になるとこがあったってことだな……」

 はあ……だから妙だったのか…。

(タケル)先輩は?後から来るんですか?」
「いや…あいつは着替えもって先に病院行ってる」
「はあ?なんで行かないんですか」
「…………なんでかなあ…」
 佇まいは変わらないが、光麗には分かってしまう。今、裕太はダメダメになってる。
 これはホントに使い物にならないかも…。
「じゃあ、今回の説明聞いたのって尊先輩ですか?」
尚惟(ショウイ)が連れてってくれたんだ。だからあいつがきいてくれてる。」
 光麗、一気に不満が募る。
「なんで尚惟なんですか!僕に言ってくれたら動いたのに…?!
「まあ、そうだよな……」
 
 ……ダメだ。

 今、先輩に何を言ってもダメだ…。
 まあ、普通に考えて尚惟に任せといたら間違いないには違いないが……。分かってはいるが、いただけない…。
「……じゃあ、会いに行かないんですか?」
「まあ……うーん」
 えらく歯切れが悪い。
「なんですか、らしくないじゃないですか。先輩、自慢の妹、守るの俺様だっていってるじゃないですか!食ったら行きますよ!」
「どこに」
「病院ですよ。他にどこ行くんですか!しっかりしてくださいよ。きっと待ってますよ」
「待ってるか……?」
「当たり前でしょ!二美ちゃんは先輩のこと大好きじゃないですかっ!なに言ってるんすか!全く……!」
「光麗…。お前、いいやつだな」
「なに今更なこと言ってるんですか」
 
 いつもは的確な判断ができるのに、こうもまあ……やられますかね。

 ……とはいうものの、僕も不安で仕方ない。二美ちゃんの病は、やんわり見積もっても、きっと、思ってるより悪いんだと思うから。
 僕は、健康で、一般的な人生を歩んでるから、彼女の担ってる事柄は分からない。けれど、普通だと思っている日常がないという時点で、それはよくない状態なのだとは理解できる。それも、どうにもならないことで、振り回されてる感じがなんとも…歯がゆい。
「それにはちゃんと食いますよ!」
「光麗……」
「はい?!
「おまえいい嫁さんになるよ……」
「ちゃんともらってくださいよ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み