第10話  新しい5月 5 星空 

文字数 2,134文字

麗は黙って話を聞いていた。

『吸い込まれそうな星空だ』と、確か、そう言ったんだ。
本当に吸い込まれそうな星空だった。俺は両手を空に向かって広げた。

そうしたら、彼女が、突然立ち上がって、足が痛いはずなのに。
コケながら慌てて俺の体にしがみ付いた。
俺はびっくりして『どうしたの』って聞いたんだ。彼女は俺の顔を見て『あなたが歩き出すから、暗闇に紛れて、見えなくなって。本当に消えてしまうかと思って、怖かった』と言った。
俺は自分にしがみ付く彼女が愛しくてたまらなかった。

 由瑞は言葉を切った。

俺は彼女を抱いてキスをした。 
彼女は『怖さを忘れて、夢中になれるようなキスをして欲しい』
と言った。
俺は「ハードルが高いな」って言って、彼女に口付けをした。
忘れられない様なキスだったよ。

彼女と寄り添って座った。
星明りしかない。二人きりだった。とても静かだった。
俺も彼女も黙ってお互いの体温だけを感じていた。

その時、俺は彼女との全てを思い描いた。

彼女と一緒に暮らして・・・夜は彼女を抱いて眠って、朝起きたら隣に彼女がいる。
好きな時に彼女を愛して・・・休みの日は彼女と出かけて・・・いつか子供ができたら彼女と子供を愛して、ずっと守って生きて行けると思った。
彼女との生活は手に取るように容易に思い描くことができた。一緒に食事を作ったり、寛いで映画を観たり。時には喧嘩したり・・・そんな日常が映像になって浮かんだ。
全てを思い描くことができた。


俺は、もしも、彼女が、例えば何かで不安になっても、怖ろしくなっても、もしも俺を憎んだとしても、それを補って余りある位、一生懸命に彼女を愛して守るから、だから、どんな困難も乗り越えられると思った。
何があっても乗り越えられると。

その時、ようやくそう思えた。

それまでの俺には自信が無かった。
何があっても彼女を愛して守って行くというその自信が。
・・・心ばかりが揺れて、揺れるばかりで・・・。
今までの人生の中であんなに心が揺れた事は無かった。


彼女を手に入れたいと思いながら、他の男から奪っても手に入れたいと思いながら、
彼女に後悔させたらどうしようとか、俺を恨んだらどうしようとか・・・。
いろんな不安だけが先行して。
彼女は俺といるよりも彼と一緒にいる方が幸せなんじゃないかとか。だから、見守るしかないとか・・・そんな事ばかり自分に言い聞かせていたんだ。

彼女の幸せがその男の所にあるという事は分かり切っていた。それでも諦め切れなかった。


だから、俺は自分の運命をその男に託したんだよ。
情けない事に。言い訳を、逃げ道を作ったんだ。
そんな卑怯な俺に運命が微笑む訳はない。


相手の男は誠実で真っ直ぐに彼女を愛していた。
俺の作った勝手な話にも乗るような・・あいつは・・馬鹿みたいなお人好しで・・。

いや、もう、やめよう。
自分が惨めになる。

けれど、まだそれから1年も過ぎていない。俺はまだ当分、他の女性との生活を思い描くことは出来ない」
由瑞は麗を見た。


麗は笑った。
「珍しくおしゃべりだなと思ったら、そんな話。それを言うためにそんな長い話をしたの?あなたって残念な男ね。振られたくせにまだそんな事を考えているの?ちょっとがっかりしたわ」

由瑞も笑った。
「君は俺の情け無さを良く知っている。だからちょっと甘えてみたんだ。でもまあ、そんな訳だよ。・・・これは君への答えになっているだろうか?」

麗は言った。
「そうね。・・・良く分かったわ。私とした事が、らしくない話をしたわね。あなたとの子供が欲しいなんて・・・大丈夫。4月になれば綺麗さっぱりと忘れるわ。ちょっとした気紛れだったの。だから気にしないで」

「それに私はやっぱり女の子の方がいいもの。
男だったらあなたがいいと思ったけれど、あなたみたいな女々しい男はちょっと願い下げだわね。勿体ないわね。そんなに素敵なルックスをしているのに。それ、他の女に言わない方がいいわよ。みんながっかりするから。残念な男だって」 
そう言ってシートを起こした。
由瑞を見詰めると、その唇に顔を寄せてキスをした。
「精一杯のキスは他の誰かに取っておいた方がいいわよ」
唇を離すとそう言った。

由瑞は微笑んだ。
シートを起こすとエンジンを掛けた。ライトを付ける。

「こんな話、恥ずかしくて誰にも言えない。君だから話したんだ。内緒にしておいてくれ」
車をバックさせながらそう言った。
「そう言う事を言うから、女は本気になるのよ。学習しないわね。あなたって」
麗は呆れた様にそう言った。


横になっていたはずなのに、いつの間にかベッドの上で胡坐をかいて考え込んでいた。
そんな自分を嘲笑う。

そう思っても、もう遅い。
そう伝える事すらできなかった。
去って行く彼女の手を握る事しかできなかった。
自分は成り行きを見守る事しか出来なかった。

「彼女は赤津を選んだと言うのに・・・。蘇芳が言う様に確かに俺はヘタレだな」
由瑞は呟く。



いつか痛みも癒えるだろう。朱華を失った、あの痛みが薄れた様に。
傷は時が癒してくれる。無理して消さなくても。
それまで仕事に専念すればいい。それしか出来ないのだから。

由瑞は窓の外を眺める。
いい天気だ。
「さて、久し振りに新緑の山でも歩いて来るか」
そう決めると、立ち上がって部屋を出て行った。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み