第8話  新しい5月 3

文字数 1,323文字

由瑞は温くなったビールを捨てると、グラスに水を注いでそれを飲んだ。
部屋でベッドに転がる。


どうしてそんな危険な家に彼女を招く事ができる?

大満月の夜。
子供は返り血でドロドロになって山から帰って来る。
あちこち怪我をして。

傷なんて大したことはない。アヌビスの加護があるから。
序に言うなら病気だってしない。
加護があるから。
その加護と呪いは成長するに連れて薄れて行く。
それでも普通の人間に比べたら随分頑丈に出来ている。

馬鹿力と並外れた身体能力は緩いカーブを描いて減衰する。
まあ、それも加護と言えば加護かも知れない。でも、呪いと言えば呪いとも言える。
戦いが日常茶飯事にあった大昔なら、一族の女達を守るのに必要だったのかも知れないが、現代社会でこんな力は不要だ。寧ろ邪魔になる。

それに女だって力が有るのだから。
蘇芳の馬鹿力はもしかしたら俺以上じゃないのか?
由瑞はそう思っている。


由瑞は亡くなった伯父の事を思い出す。
伯父はネットワークでない普通の女性を好きになって結婚した。
幸せに暮らしていたが、朱華を産んで数年後、その女性は亡くなった。・・と聞いている。
それとも本当は離婚だったのか?

そして朱華も。
相手の女性に何か遺伝子上の問題があったのかも知れない。

妻を亡くして、伯父は娘を連れて室生に帰って来た。
朱華が嫁に行って暫くして伯父は亡くなった。

伯母は、それは伯父の精神的な問題だと言っていた。
伯父は内側から病んで行ったのだ。屈強な筈の肉体は内側から蝕まれて行った。

もしも同じ事が自分にも起きたなら?


ふとそう思った。
すぐに、「まさか」と打ち消した。
単なる考え過ぎだ。
でも、一度そう思ってしまったら、それは頭のどこかに巣食ってしまった。
流石に母さんは良く見ている。
俺は臆病者だ。

死ぬことが怖いんじゃない。
失う事が怖いのだ。朱華を失った様に。

彼女が欲しかったのに、彼女を得る事が怖かった。
だったら赤津に。
そう自分に言い聞かせた。


天井を見詰めながら、由瑞は考える。
もう樹は赤津を選んだのだから。
だからと言って好きでもないネットワークの女と結婚して連れ添う積りも無い。

ネットワークか・・。
ネットワークは呪いも加護も失くしたアヌビスの末裔達だ。
何代も世代を重ねる過程で影が薄れて消えて行く。
記憶だけが残っている。
記憶はこっそりと秘密裡に伝えられて行く。
アヌビスは知っている。その素性を。
亡者の素性を。
その心臓を秤に乗せて、オシリスの元へと導く。
そして自分の影を張り付けて、また現世(ここ)に送り返してくる。


一体自分たちはどこから来たのか。
どこから流れて来たのか。
まさか、本当に遠い昔にエジプトから流れて来たのではないだろうな・・。
あの乾燥した白い砂漠の向こうから。


来世があるのなら、それなら次は普通の人間に生まれたい。
加護も馬鹿力も要らない。
アヌビスが目こぼしをしてくれるといい。


赤津の家が羨ましい。
化け物が見えても、霊界と通じていても。モノ言う犬と鴉がいても。半妖怪のおじいとおばあがいても。
そもそもあの婆さんは一体幾つなんだ?
あの辺りの村人は誰も不思議に思わないのか?
という事は、もしかしたらあの村全体が・・?

いや。まさかそんな事は・・・。

由瑞の考えは取り留めも無く広がって行く。
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