第6話   新しい5月

文字数 2,101文字

爽やかな風が青葉を揺らして通り過ぎる。

由瑞はそれに誘われる様にテラス席から山を眺める。山は新しい緑に包まれていた。繰り返す季節。繰り返す生命。この山々は今までに数えきれないほどの同じ春を迎えた事だろう。青紅葉も山桜も椎も欅も。それなのにこの春は特別と言わんばかりに、鮮やかな若葉で山を飾る。

ビールを一口飲む。

由瑞が首を傾けて山々を眺めているのを向かいに座った蘇芳は見ている。
お茶を一口含むと蘇芳は言った。

「小夜子さんも11月には出産予定だし。でも、びっくりよね。あの史有がパパなんて。」
「信じられないな。」
「小夜子さんと史有の子供なんて、どんな子が産まれるのかしら?めちゃくちゃ美形でしょうね。でもちょっと怖いわね」
「ああ・・想像も付かない。」


暫く黙ってビールを飲む。

「ところで由瑞。東京で付き合っていた、そのスーパーモデル風の彼女とはどうなったの?」
蘇芳は何気ない風に由瑞に言った。
 由瑞は驚いて蘇芳の顔を見る。

蘇芳はしてやったり、というどや顔で由瑞を見る。
そしてにやりと笑う。
「あら、嫌だ。知られていないと思っていたの?」
「何で知っているの?」
「雄一郎さんが言っていたのよ」
「義兄さんが?どうして?」
「東京支社に友達がいるらしいわよ。素行の悪い義弟を随分心配していたわよ」
蘇芳はにやにや笑って由瑞を見た。

「まあ、社内恋愛はご法度では無いけれど・・と言っていたけれど。あなた、
退勤も一緒、時には出勤も一緒、そして昨日と同じ服。・・・いくら、会社で無表情でいたって、分かるっつーの。

垢抜けなくて地味だった彼女が見る見る綺麗になって行って・・・周りのみんなが驚いていたって。ここだけの話、あの男は凄いなって、その人は言っていたって教えてくれたの。あなた、女を磨くのだけは上手ね」
蘇芳は笑った。

「何?『だけは』って。失礼な。蘇芳。それは考え違いだ。俺の所為じゃない。ねえ。その、友達って誰?」
由瑞は聞いた。
「そんなの知らないわよ」
蘇芳はにこにこと由瑞を見る。
「で、彼女とはどうなったの?逢っている?今度、連れて来なさいよ」

「別れた」
由瑞はあっさりと言った。


蘇芳の笑顔が消えた。
じっと由瑞を見詰める。
ため息を付いた。

「本当にあなたは変わらないわね。
朱華が亡くなった後も、まあ女遊びがすごくて。
とっかえひっかえ女の子と付き合っていたでしょう?何人泣かせたの?それである日、ぱたりとそれが止んだ」

「今回はまあ一人だから、修羅場も無くて良かったけれど。そんな、女性を見違えるほど綺麗にして置いて、それで自分が大阪に来るのと同時に切って来たの?
可哀想に。本当にあなたって身勝手な男よね。自分の好きな女の事になると、すごくシャイで馬鹿みたいに大切にするくせに。女の敵だわね。そうやって樹さんとの傷を癒やすだけ癒して後は捨てるみたいな。サイテーな男ね。自己中も甚だしい。同じ女としてちょっと許せないわね」


由瑞は言った。
「随分な言い様だな。だから、それは俺の所為じゃ無いって言っているだろう。
彼女は職場では敢えて地味にしていただけなんだ。そんな面倒くせぇ事をするかよ。それに、元々そういう話だったから。捨てたんじゃなくて合意の上での別れだから。
『サイテー』とか、何も知らないくせに言うのは止めてくれる?人聞きの悪い。変な思い込みをしないでくれ。彼女も納得している」

蘇芳は言った。
「あなたって、本当に自分の事しか考えていないのね。だから真実が見えない。それに関して言えば、由瑞、その自己中。あなたは史有以上だわね」


「自己中そのものの君に、自己中と言われるとは思ってもみなかった。流石、もうすぐ母親になる人は言う事が違うな。俺の事なんかどうでもいいから自分の体の事を考えれば?」
由瑞は蘇芳の膨らんだ腹に視線を落とした。


「そうね。そうする。あなたと話していると腹が立って胎教に悪いわ」
蘇芳はそう言った。

暫く黙ってお茶を飲む。
蘇芳は雪乃の言葉を思い出していた。

「お母様は、樹さんとの事を『由瑞は臆病な子供だとずっと思っていたのに、そんな事をするなんて』って仰っていたわよ。お母様は、朱華亡き後のあなたのご乱心をご存じないから、呑気な事を仰っていたけれど。何なの?この親って思ったわよ。あいつのどこが臆病だよ!って」
蘇芳は言った。

由瑞は笑った。
「あの時は京都のマンションにいたから。父さんも母さんも知らないな。刃物で脅かされたっけ。女の子に。驚いたな。あんな事をするなんて。危うく刺される所だった。
けれど、まあ、母さんの言う通りかも知れない。俺は結構臆病者だよ。君や史有の様な大胆さと言うか、無謀さは無い」

「赤津の女を横取りしようとしたのが無謀だっつーの」
由瑞はクックと笑う。
「赤津をモノにしようとした君はどうなの?」
「あの二人は目が腐っていたのよ」
蘇芳は返す。


「あれから丁度一年ね。あの怒涛の連休から。色々あったわね」
「そうだな。・・・もう、暫く恋愛はいいな。これからは仕事に集中する積りだから」
由瑞は山々を眺めながら、そういった。

「あら?そう?ふうーん」
蘇芳は返す。
「あれ?信用していないね?」
由瑞はそう言うと蘇芳を見て笑った。

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