第13話  奥の院 8月  

文字数 1,371文字

8月の盆。
珠衣にはもう秋の風が吹いていた。
畑の畦道や川の土手には、いつの間にか彼岸花がその茎をすっくと伸ばし、深紅の花を揺らしていた。それがあちらこちらで赤い布の様に続いている。

融と樹は珠衣に来ていた。

長かった婚約期間に終わりを告げて二人は5月に結婚をした。
遠千根宮で親族のみの式を挙げた。披露宴は無かった。
新しい部屋を見付けて、そこに住んでいるが、二人とも職場は変わらない。
融の静岡出向は今年度一杯は続く予定である。


融は町に買い物に出かけていた。
樹と小夜子は料理を作っていた。
史有は家で古い車をいじっている。
庭の片隅に小さなガレージを建てた。
廃車寸前の車を5万で購入して、あれやこれやといじっている。
これは彼の趣味である。
やってみたら面白かった。PCよりも面白いと。
その内、チェーンアップして、ラリー車に改造してみようかとも思う。
ロールバーを入れて、バケットシートとステアリングもラリー仕様にしてみようと。
これで珠衣の悪路を爆走する。だか、車検に通らない気がする。史有は林道なら行けんじゃね?と思っている。


彼は近隣の町の電気工事会社に勤めている。家から機材を積んだトラックで出て行く。
数年働いたら、自分で開業しようと思っていた。
電気工事だけではない。村のお年寄りのために、家電の購入代行や修理も請け負っている。
家と神社のメンテナンス、それに仕事、家事と趣味の車いじり、史有の毎日はとても充実していた。11月に子供が生まれたら、育児もしなくてはならない。史有はすでに育児雑誌を買い込んで、勉強をしている。

 己の都合で樹を陥れ、挙句の果てに嚙み付いた阿保な男はどこに行ったのかと聞きたい。
くるくると動き回って日々を過ごす。やらなくちゃならない事は沢山あるし、やりたい事も沢山ある。史有の日々はあっという間に過ぎて行く。


「史有。私はちょっと樹さんと奥の院に行って来るから。料理も一段落したし」
小夜子はそう言った。
「えっ、行くの?」
史有はそう言った。じっと小夜子を見る。
「そう。だって樹さんも赤津だから」
小夜子は返す。

そんな二人を樹は不思議そうに眺める。
「奥の院に行くの?」
樹は聞いた。
「そう。樹さんを案内する」
「絶対に行っちゃいけないって融君に言われていたけれど・・。行ってもいいの?」
樹は聞いた。
「勿論。樹さんはもう赤津の人間だし。逆に行けないと困る。それに会わせたいモノがいる」
小夜子は言った。
「マムシとか熊とか平気なの?」
「平気だ」
小夜子は答えた。
「寄って来ない」
「会わせたいモノって?」
「ウタだ」

「ウタって・・あの白いオオサンショウウオ?」
「そう。樹さんが見付けてくれた。随分大きくなった」
「どうやって会うの?」
「呼べば来る」
・・・
「オオサンショウウオって犬みたいに呼べば来るものなの?」
「そう」
「へえ。そうなんだ」
「こっちから行こう。近道だから」
小夜子は家の裏手に回る。

裏手にはぐるりと柵が巡らせてあった。
柵の向こうに小さな鳥居が見えた。その奥に裏山に上がって行く、細い石段が見えた。
人がやっと一人通れるような。
「こんな所からも行けるの?知らなかった」
「家から直接行ける。でも私か、融がいる時だけにして。危険な道だから」
樹は『危険』と言う言葉にビビる。
「一人では絶対に行きません」

小夜子は柵の南京錠を開けると樹を招いた。
「さあ。どうぞ」
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