第5話  その年の事

文字数 1,367文字

小夜子が7月に史有と一緒に珠衣に帰ったその後、佐伯家には幾つかの慶事があった。

まず史有と小夜子の結婚である。

9月に史有と小夜子の神前結婚式が親族のみで珠衣で行われた。
小夜子は新婦の為、知り合いの神主に式を依頼した。

小夜子側の参加者は融と薄羽と里村。それとお爺とお婆。
佐伯の参加者は佐伯健三と雪乃、それに史有の伯母の春乃。蘇芳は体調不良で欠席。(融に会いたくない)そして由瑞は・・・
 

どうして由瑞は出席しないのか。
その理由をこっそりと蘇芳は雪乃に教えた。雪乃は驚いた。
「珠衣でお祝い事があっても、絶対に行かないと思う」
蘇芳は付け加えた。
「同様に、融さんも絶対にこっちに来ないと思う。・・・融さんは二度と樹さんと由瑞を逢わせない。・・・あの男どもはもう死ぬまで顔を合わせないと思いますわ。お母様」
そう言って蘇芳は笑った。

雪乃はまじまじと蘇芳を見た。
「あなたはどうなの?」
雪乃は蘇芳に尋ねた。
「あら。嫌ですわ。初恋なんて『はしか』みたいなものですわよ。お母様。それに私は今、雄一郎さんの貞淑な婚約者ですから。・・・それは愚問ですわね」
そう言うと蘇芳はほほほと高らかに笑った。

雪乃はそんな蘇芳を眺めていたが、ぽつりと言った。
「由瑞は、いつも冷静で常に道筋を立てて、自分の進む道を決める。物事に動じない。それは自分の行く道が見えているから。・・・小さい頃からきちんと自分をコントロールして生きて来たわ。・・・あの子は先見の明があるようで、実はとても臆病な子なんじゃないかってずっと思っていたの。・・・それなのに、そんな事を?・・・ああ・・それは蘇芳。ちょっと痛いわね。・・・でも、相手が赤津さんじゃ、流石の由瑞も・・」

蘇芳はきっぱりと言った。
「何をおっしゃるの?お母様。樹さんの目が腐っていたというだけの話です」

それ以来、佐伯家では樹と融の話題はタブーとなった。敢えてそこに触れるのは恐れ知らずの蘇芳だけだった。


10月には蘇芳と高階が豪勢な結婚式を挙げた。
秋晴れの空が美しい日だった。

高階雄一郎は佐伯家に婿養子として入る事となった。
何故なら佐伯は代々、女が当主だから。
由瑞は会社の跡継ぎの話を義兄にあっさりと譲った。
「俺には無理だ。会社の事なんかよく分からない。研究室で叔母さんと研究をしていた方がずっといい。義兄さんが受けてくれるなら、本当に有難い」
由瑞は蘇芳にそう言った。

由瑞は次の4月から、大阪にある研究施設に勤務する事に決まっていた。
叔母と母の助手として商品の研究開発に携わる事となったのである。

3月中に東京のマンションを引き払った。
由瑞は最後に自分が勤務していた学校への通勤路を辿り、校舎を眺めた。

ここで過ごした数年の思い出が蘇る。
あの頃は楽しかった。
ここでの日々があのまま続いていたら今頃はどうしていただろうか・・。
あの夏の日、面接の帰りに樹と赤津に逢わなかったら・・。


この学校を辞めてから、まだ一年しか過ぎていない。
なのに、ここで勤務していた頃が遠い昔に思えた。
由瑞は、休日で誰もいない学校の門に佇むと、ぐるりと校舎を回ってみた。
そして思い出の場所を後にした。

家に帰って引っ越しの準備をした。
机の中に入れ忘れていた樹の手紙を見付けた。
それをそのままシュレッダーに掛けた。
壁のフレームを取り外すと、それを眺め、段ボールの中に入れた。





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