氷川女體神社

文字数 8,355文字

2021/03/04 03:47
 大宮台地に生い茂る森林を、見沼では斜面林と呼んでいます。斜面林には、多くの動植物が暮らしているだけでなく、見沼の農民に燃料・肥料・材料を供給し、それらを需要する農家による適切な管理が、斜面林の生態系を支えて来た、典型的な里山の文化景観です。私達の先祖は、神社のもりに神霊が宿ると信じて来たので、現代においても社寺の境内は比較的、多くの森林が残っています。大森貝塚を調査した事もある南方熊楠は、我が国における神社・森林の大切さを再発見し、神社は民衆にとって信仰の中心であるだけでなく、その神林が災害対策にも有用であると指摘されました。現代の見沼でも、浦和緑区の国昌寺や氷川女體神社などに、豊かな斜面林が保存されています。見沼を取り巻く大宮台地の森林は、古今に一貫して落葉広葉樹林が卓越しているのですが、氷川女體神社は常緑広葉樹の多い照葉樹林であり、太平洋から奥東京湾に黒潮暖流が注いだ、縄紋海進時代の景観を今に伝える「生きた遺跡」です。これは池上本門寺など、大森の荏原台地とも共通する歴史地理です。
2021/03/04 03:50

「よう、みんな! 色々あったけど、元気にしてたか?」

2021/03/04 03:51
「あ、(ゆい)ちゃんだ! おはよう^^」
2021/03/04 03:53
2021/03/04 03:56
 初お母様の長女にして、私達にとっても大切な幼馴染みの親友である、浦和の(ゆい)ちゃんと合流できました。結ちゃん達と一緒に、氷川女體神社をお参りしようと思います。氷川女體神社は、中氷川神社と同じく、崇神帝の御代に勧請かんじょうされた、出雲大社の「分社」です。スサノオ神の妃にして、大国主の母君であられる奇稲田姫(クシナダヒメ)を主神に祀っています。御名の通り、稲作儀礼を象徴する女神と考えられますが、御沼と一体化した「水の女神」とも言えましょう。氷川女體神社の鳥居は、湖沼であった芝川低地の方面を向いて立っており、御沼の龍神に対する「御船(みふね)祭・磐船(いわふね)」という祭礼が行われて来ました。御沼との縁が最も深い神社であり、奇稲田姫を祀ると同時に、御沼の水神…具体的には龍神様への信仰も鮮明です。河川を司る水神は、出雲簸川では大蛇でしたが、御沼では「龍神」だったのです。そんな歴史を紡いだ聖地に今、私達は立っています。
2021/03/04 04:06
 現代の常用漢字では「氷川女神社」だが、社務所の方から旧字で「氷川女神社」表記のほうが望ましいと御助言を頂いた。
2021/03/04 04:07

「この鳥居から見下ろした田圃たんぼは、遥かな奥東京湾の海に由来する、広大な湖沼だった…想像するだけでも、とっても神秘的な景色だね^^」

2021/03/04 04:08
 かつて人々は、御沼の湖上を船で往来していましたが、水難という災厄に襲われる事も少なくなかったので、御沼の水神を畏れ、その平穏を願う「龍神祭」を、毎年6月15日に挙行していたようです。そして、氷川女體神社が建立されると、広大な御沼を舞台とした、壮大な祭祀儀礼が繰り広げられました。具体的には…。
2021/03/04 04:09
◇ 北西の一宮氷川神社、中点の中氷川神社、南東の氷川女體神社は、ほぼ等間隔に、一直線に並んでいる


◇ 氷川女體神社の南東にあった旧鳥居・四本竹遺跡も、この直線上に位置する。


◇ この直線の南東は、冬至における日出の方位と一致し、北西も、夏至(6月21日)の日没方位に一致する!


◇ 冬至の日に御沼から、南東の四本竹遺跡を眺めると、鳥居の中を通過するように昇る太陽が観られる


◇ 民俗学に、南東は「常世(とこよ)の国」(海彼(かいひ)の異界)の方位であると云う説がある。


◇ 四本竹遺跡には、龍神が居られるとの伝説がある。


◇ 氷川女體神社は、冬至の朝、常世から太陽=龍神を迎える聖地であり、龍神と太陽の信仰は一体化していた



氷川神社の方位と信仰(木本1992)要約

2021/03/04 04:24
 これは、恐ろしいほどに神々しい考察です。古代の神社が、一直線かつ等間隔に並んで建てられているだけでも凄いのですが、上記の説が本当ならば、あまりにも壮大です。御沼の南東には、龍神の異世界があり、その龍神が冬至の朝、太陽と一体化した光の姿で、四本竹遺跡からお出ましになり、鳥居を通って天に昇られる…水と焔、地上と天空、この世とあの世、地球と太陽が交差する神話の舞台、それが御沼なんですね。既に見て来たように、冬季12月に太陽の栄光を讃える祭礼は、一宮氷川神社や中氷川神社にも存在したと考えられ、クリスマスの起源にもなった信仰です。なお、夏至の日没は北西ですが、その方角には一宮氷川神社があり、この時期には神幸祭が行われているので、こちらも関係あるかも知れないと考えられます。但し、太陽を龍神と同一視する信仰が、果たして本当にあり得たのか?という点に関しては、批判的検討の余地があるかも知れません。
2021/03/04 04:29
「海上の彼方に他界が存在したり、そこから昇る太陽が御門を通過したりするのは、久高島を始めとする琉球・沖縄諸島にも見られる民俗信仰ですね」
2021/03/04 19:21
 政治と結び付いていた一宮氷川神社に対し、氷川女體神社の世俗的特徴として経済活動…具体的には、御沼での漁業が挙げられます。縄紋時代の奥東京湾には、色々な魚類が入り込んでいたようですが、外洋と切り離された後の御沼にも、豊富な魚が棲息していました。「宗教と政治」の一宮氷川神社に対し、氷川女體神社では「宗教と経済」が結び付いており、近世に神官を務めていた武笠(むかさ)は、祭祀を執り行う社家であると同時に、経済的基盤として御沼の漁業権を保有しており、捕獲した魚類の一部は、江戸幕府への税として上納されました。特に、御沼の(コイ)フナは市場価値が高く、神様にお供えする神饌しんせんであると同時に、商品として販売する事もできました。
2021/03/04 19:24

「ただ…少し怖い話があって、氷川女體神社に面した御沼の鯉は、何故か皆、独眼片目だったと云う伝承が…」

2021/03/07 01:44
 しかし1727(享保十二)年、御沼を水田化する干拓事業が進められたので、武笠家も漁業による御沼支配からは撤退しました。御沼の湖水が抜かれたので、四本竹遺跡の湖上における御船祭もできなくなってしまいましたが、1729(享保十四)年からは、儀礼の場所を門前の低地(見沼氷川公園)に移した「磐船祭」として再始動し、現在も毎年5月4日に祇園磐船龍神祭が行われ続けています。鳥居から御沼を見下ろす氷川女體神社は、宗教的にも経済的にも、御沼と結ばれた歴史を歩んで来たのです。一宮氷川神社ほど政治的ではないものの、氷川女體神社も権力者の崇敬を集め、鎌倉時代の北条氏、南北朝時代には河越氏、戦国時代の後北条氏、そして江戸時代には徳川氏から支援を受けています。なお、江戸時代からは氷川女體神社も「武蔵国一宮」を称しています。理由は未詳ですが、スサノオ神と奇稲田姫、夫婦は対等で男女平等だと主張したかった…のかも知れません?
2021/03/07 01:46

 浦和市緑区に鎮座する氷川女體神社、その南東に広がる下山口新田に、水害対策と湿地環境再生を目的とする芝川第一調節池が建設されたが、その際に四本竹遺跡が発見された。縄紋海進時代の貝層や丸木舟などが発掘され、大宮区の寿能泥炭層遺跡(大宮第二公園・芝川第七調節池)と共に、かつて奥東京湾だった芝川低地の重要な遺跡である。


 四本竹周辺の大宮台地には「大牧・大間木」という地名が見られるが、これは平安時代の武州に多く設置されていた、朝廷(皇室)の馬牧場である「御牧みまき・勅旨牧」かと考えられている。当時は、東京・埼玉の知事に当たる国司武蔵守むさしのかみ)の庁舎が武蔵国府中(東京都府中市)にあったが、そこから独立したがっていた藤原道行という長官が、山城平安京(京都)の日本政府である太政官(内閣)に政治工作した結果、909(延喜九)年に御沼の大牧(立野牧)が、勅旨牧として認定される事になったらしい。つまり平安時代の御沼では、皇室御用達のが牧畜されていたと考えられる。


 そして中近世の四本竹遺跡から、氷川女體神社の儀礼である御船祭の遺物が発掘され、竹790本が粘土に突き刺されていた。御船祭は隔年(二年に一度)で実施され、1回に4本の竹を使ったと仮定すると、鎌倉幕府が崩壊した1333(元弘三・正慶しょうけい二)年以前から、御沼の湖水が干拓で抜かれた1728(享保十三)年まで行われたと考えられる。

2021/03/07 02:01

 かつて龍神の御座(おわ)す湖沼だった四本竹に、多くの野生動物が暮らせる水辺湿地を復活させ、自然環境保全に配慮した調節池を整備するのは、有意義な景観復元と言えますね。江戸時代、紀伊から流入した熊野信仰の影響で、三つの聖地を結び付ける「三位一体」説が取り入れられ、一宮氷川神社・中氷川神社・氷川女體神社の連携が、より強固に意識される風潮となり、現代に至っています。ここで考えたいのは、御沼の神社神道における、出雲神話と龍神信仰の関係性です。もともと御沼では、水を司る蛇神が信仰されていました。これに対し、氷川神社の正統教義である出雲神話は「スサノオ神が大蛇を倒し、奇稲田姫を救出なさり、結ばれたお二方の御子孫に大国主が生まれた」と云う「大蛇退治(たん)」の信仰です。つまり、蛇や竜として謡われる在来の神とそうした大蛇を撃退する外来の神とが御沼では共存しているのです。この事実を、どう読み解けば良いのでしょうか?

2021/03/07 02:09

「蛇神・龍神は、太古から御沼の人々が伝承して来た民俗信仰であり、生命の水を司ると同時に、時として災厄を(もたら)す存在でもあった。それに対して、出雲神話に由来する氷川神社は、大和朝廷が武蔵を征服する過程で、大蛇を鎮める抑止力として、御沼に勧請された神々なのかも知れない…」


 林 和生「史学展開演習 歴史地理」(國學院大学文学部史学科2009)、天神地祇(天津神・国津神)を区別する説も。

2021/03/07 02:22
 例えば顯君(あっくん)は、大学での議論を踏まえて、このように仮説しています。飽くまで、推論の域を出ませんが…。
2021/03/07 02:24
2021/03/07 03:49
 今は昔…かつて御沼の人々は、海と繋がった事もある広大な湖沼を「生きた古墳」として尊び、その主人である芝川・四本竹の蛇神と共に暮らしていたが、蛇神は生命の水を恵むだけでなく、水難の災禍を齎す事も少なくなかった。そこで御沼人は、出雲簸川の大蛇を撃破した戦績で知られる、須佐之男命に救援を求めた。折しも、西国から天下統一を進めていた大和朝廷は、この事態に対処するため、スサノオ神を総大将とし、妃の奇稲田姫、子孫の大国主らも所属する出雲軍を、武蔵へと遠征させた。北西の台地から御沼に進撃した出雲軍は、大宮・見沼・浦和緑区を次々と制圧し、前哨基地として氷川神社を建立した。常世の一歩手前である、南東の四本竹に追い詰められた蛇神は、降伏・講和を受け入れ、御沼を始めとする武州は、和の国「日本」に編入された。しかし御沼人は、自分達に水を分け与えてくれた蛇神への御恩を忘れず、冬至など季節の折々に祭礼を奉公し、蛇神への感謝を伝え続けた。出雲の神々も、蛇神の本領安堵(郷土に住み続ける権利)を尊重し、太陽を司る天照大御神と共に、御沼の繁栄を見守る事にした。そのため、御沼の祭礼では「」や「」が使われる。そして…感謝の心に浄化された水神は、災禍を齎す大蛇神から、人々を守護する龍神に生まれ変わった。めでたし…と云うのは、飽くまで想像の域を出ないのですが、御沼の歴史と伝承を俯瞰すれば、こんな神話を物語る事もできますね。
2021/03/07 02:27

「例え(たた)りを齎す悪しき怨霊であっても、神社にお祀りし、人々の信仰を集める事で、善なる神霊に転生し得ると云う思想を『御霊(ごりょう)信仰』と呼びます。御沼の氷川水神は、蛇とも竜とも伝わりますが、どちらかと言えば龍神の伝説が多く、現代まで物語り続けられております。御沼の水神も、氷川神社に(つど)った功徳の光によって、大蛇から龍神へと生まれ変わったのかも知れませんね。とは言え、龍神も飽くまで自然神ですので、爾後も芝川の氾濫などは御座いました。それでも、色々な御利益を授けて下さっております。『信仰による永遠の生命』が、神話の主題ですね」

2021/03/07 02:32
 御沼の龍神様は、どのような伝説を謡われて来たのでしょうか? 御沼周辺には、次のような伝承があります。
2021/03/07 02:32
2021/03/07 03:53
 このように、基本的には御利益ある守護神なのですが、お怒りになられると怖く、たまに迷惑行為をなされる事もあるので、龍神様とお付き合いする場合は、くれぐれも細心の注意を払い、自己責任でお願い致します。折口教授による「水の女神」説や、あるいは「女体」神社が暗示するように、龍神様は人間を操ろうとなさる時、美女に変化(へんげ)する能力を駆使されます。でも、実は正体を見破る方法があって…例え外見は美しい女人(にょにん)でも、御身(おんみ)に光を当てると、映った影は蛇の形…!
2021/03/07 02:33
「氷川女體神社の『女体』とは、女神であられる奇稲田姫命だけでなく、美女の御体に変身し得る、龍神様をも示しているのかも知れませんね」
2021/03/07 02:40
「ん…そう言えば、バビロニア神話の女帝であり、リバイアサンとして『旧約聖書ヨブ記』にも登場しているティアマットも、母なる海の竜神である…と云う説があったわよね。そして…ギリシャ神話(クジラ)も、ティアマットのような海獣で、その物語は出雲と…!」
2021/03/07 02:43
 あっちゃんが、何かに気付いたようです。ではここで、秋季の星座に関するギリシャ神話を読んで見ましょう。
2021/03/07 02:43

 アラビア半島イエメンシバ女王と、イスラエル王国ソロモン王との間に生まれた子孫は、アフリカ大陸のエチオピアに、アビシニアという世界最古級の王国を建てた。ケフェウス国王がアビシニアを治めていたが、カシオペヤ王妃が慢心し、海神ポセイドン(海王星♆)を冒涜したので、海獣ティアマット(鯨座)による甚大な津波が引き起こされた。海神の怒りを鎮めるには人身供犠が必要で、両陛下の間に生まれたアンドロメダ王女を、海獣への生贄にせざるを得なかった。しかし、最高神ゼウス(木星♃)の子であるペルセウス王子が、天馬ペガサス(学名ラテン語ではペガスス座)に乗って駆け付け、見た者を石化させるメデューサ(変光星アルゴル)で海獣を撃破、アンドロメダ姫を救出した。ポセイドンは感銘し、二人が一緒に天界へと昇る(星座に成る)よう促した。ペルセウス・アンドロメダの子孫として、後に英雄ヘラクレス(夏季のヘルクレス座)が生まれた。

2021/03/07 02:53
2021/03/07 04:01
 このように秋季の星座神話は、ペルセウスを主人公とした絵巻物語になっている。後に女神アテナは、メデューサの首を用いた盾「アイギス」を完成させたが、これが日米海軍イージス艦の語源である。なお、我々の太陽系を含む「天の川銀河系」は、より広い乙女座銀河団に属している。
2021/03/07 02:56

 もう、お分かりだと思います。ペルセウスを須佐之男命、アンドロメダを奇稲田姫、ヘラクレスを大国主神、海獣を大蛇(御沼では龍神)に、そして「天の川」を簸川(あるいは芝川)に置き換える事ができ、秋季の星座に関するギリシャ神話と、御沼でも見られる出雲神話は、非常に類似しています。一方が他方を模倣したのでは?と疑ってしまうほど、似ています。当時は飛行機も、インターネットも存在しない古代です。こうした「ペルセウス・アンドロメダ型」の神話は、世界的に存在するそうですが、当時のヨーロッパ地中海と我が国に、文化交流の可能性があったとすれば、それこそがシルクロードであり、その証拠が「忍冬唐草文様」です。

2021/03/07 02:57
2021/03/07 02:57
 忍冬唐草文様とは、遥かなるエジプト王国を起源とし、ギリシャ・ローマ帝国で栄え、ササン朝ペルシャ帝国にも伝わった、当時流行の美術です。それが大和古墳~奈良時代の我が国にも伝播し、飛鳥・天平文化の工芸に影響を与えたのです。そして、その中には…!
2021/03/07 02:58

飛鳥文化の美術にはペガサスの意匠も見られるわ。 ペガサスのデザインが、当時の日本列島に伝わっていた…と云う事は、それに関する伝承が、極めて部分的にであれ…何らかの形で、国内に混入し得る可能性も、まあゼロではないかも知れないわね」

2021/03/07 03:00

「7世紀の唐帝国には『大秦寺景教』などと呼ばれたキリスト教ネストリウス派が伝来し、一時は相当に流行していたようです。飛鳥文化は、古墳から寺院へと、宗教建築が移行した時代ですが、東アジアだけでなく、遥かなる西洋文明とも接触し得る、東方の最前線に、我が国は存在していたのですね」

2021/03/07 03:02
 古代の御沼は、外国貿易とは無縁だった東国に位置しているので、明らかに異国と思われる文化は、ほとんど見られません。氷川神社の出雲信仰も、実際に確立したのは後世かも知れません。それでも結果的に、民俗信仰と神社神道が習合し、西洋とも照応し得る宗教文化を築き、神話を物語りました。それは人類の文化における、多様性と普遍性を示しています。端的な事例を示すならば、秋の夜に御沼を訪れ、天地を眺めて見て下さい。地上には芝川が流れ、龍神と出雲の神々が御座(おわ)し、天空には「天の川」が流れ、地中海世界の神々が(めぐ)って居られます。そして、天地は遠く離れ、全く別の国々であるはずなのに、まるで同じ存在から啓示を受けたかの如く、本質的に共通した神話を共有し、物語って来たのです。ここで私達は、壮大な地球・宇宙という世界を観測し、それを認識する自我の実在に出逢い…などと、話が難しくなりそうなので、そろそろ区切りますね!
2021/03/07 03:02
「ここでは深入りしませんけど、星座と言えば、バビロニア・ギリシャから天文学に採用された88星座を始め、大熊座の北斗七星、射手座の南斗六星など中華・インドの星座『二十八宿』が有名ですが、実は日本列島にも、独自の星座神話が存在した…と指摘されています。詳しくは『星座で読み解く日本神話』 を読んで見て下さいね」
2021/03/07 03:04
 一方で、ギリシャ・ローマ神話や「原作」の出雲神話とは、明らかに異なる展開も見られます。それは既に見て来たように、一般的には「悪役」として退治され、舞台から退場する水の自然神(海獣・大蛇)が、御沼の物語では滅亡せず、それどころか龍神として復活し、出雲の神々と、そして私達と共に、今この瞬間も生き続けている…と云う事です。内発的な民俗信仰と、外的な神社神道とが、御沼では共存共栄して来たのです。言わば「神々の共生」です。そして、出雲神話が人間を、龍王信仰が自然を象徴するならば、それはまさしく「人と自然の共生」を意味し、持続可能な発展を摸索する現代に求められる、古くて新しい地域研究、温故知新の歴史地理学であり、宗教民俗学・社会生物学など関連研究領域諸学と共に「共生科学」を構成します。
2021/03/07 03:14

「なあなあ(めぐみ)! さっき、神社の(コイ)がどうのこうの…って言い掛けてなかったか? なんか、怖い話でもあんのかw」

2021/03/07 03:19

「あ、そうだったね。御沼では『蓮華を作ってはならない』と云う禁忌が語り継がれて来たの。その理由はね…」

2021/03/07 03:19
 大宮の北方には「蓮田」という都市もありますが、かつて御沼では、(ハス)を作らないほうが良い…と云う禁忌がありました。その理由は、龍神様や奇稲田姫が、蓮を忌み嫌ったからです。御沼で蓮を栽培すると、水中にいらっしゃる龍神様が擦過(さっか)して、お怪我なされてしまう恐れがあります。また、奇稲田姫も(いくさ)において、蓮根で眼目を負傷なされた経験をお持ちです。それ以来、氷川女體神社に面した御沼では、片目しか持たない独眼の鯉が現れるようになり、それを獲った者は片目を失う…と云う「呪い」さえも語られました。しかし、江戸幕府が御沼を干拓した時に、呪われし「独眼鯉」も、光と共に消え去って逝った…と言い伝えられています。
2021/03/07 03:22

「もしかしたら…かつて奇稲田姫と龍神様が、ここ御沼の地で戦われた時に、お互いに蓮華で戦傷を被られ、戦いが終わって和睦する時に、もう蓮を武器に使うのはやめようって話になった…のかも知れないね。今風に言うと『兵器禁止軍縮条約』みたいな感じかな?」

2021/03/07 03:24
 こんな事を想像してしまうほど、御沼では蓮華を禁忌とする伝承が、数多く語られていました。その理由も、端的に言えば「神の意志」だからであり、それ以外の理由は存在しないか、あったとしても不明です。現代の合理主義では、迷信と言われても仕方ない禁忌なのですが、私的な心情としては、独眼鯉の往生と共に「蓮」と「目」の悪縁も浄化される事を願いたいです。それにしても…御自身が片目を怪我されたからと言って、鯉や人間にも同じ苦痛を味わせようとなされたならば、奇稲田姫も、龍神様に引けを取らず(性格が悪い)恐ろしい一面をお持ちですよね…。
2021/03/07 03:28
2021/03/07 03:30
 氷川女體神社の旧鳥居は、有名な安芸厳島神社のように、かつては御沼の湖面上に建っていたそうです。
2021/03/07 03:31
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登場人物紹介

【神霊矢口】とさみや じゅのうじょうだい アキラ

十三宮 寿能城代 顯

関東州 東京府 東京市 蒲田区


蠍座♏11月1日トパーズ

・一人称「私」

・二人称「あなた様

・地位 中級生?

・専攻 地理学(共生科学士)

・属性 

・武技 レーザー剣・自動小銃

・愛機 ステルス攻撃機ナイトホーク(誘導爆弾)


 十三宮聖の義弟、また星川初の養子。本名は「富田巌千代」で、宗教信仰者としての法号(生前戒名)が「アキラ」。東京の大森・蒲田で生まれ育ち、地理学などの探究に基づき文芸作品を創る「地球学(地理学文芸)作家」を称す。同人サークル「スライダーの会」を結成した会長であり、一心同体の校長(マネージャー)である春原あきらと共にサークルを運営。


「天主と神仏に感謝を、あなた様に幸福を…合掌」

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