八丁堤・見沼代用水・見沼通船堀
文字数 3,430文字
「このように御沼は、江戸時代には三沼新田として、自然環境と共生しながら開発され、近代を迎えた。そして今、現代日本の首都圏・大都市地域という空間に位置していながら、見沼が広大な緑地として存在し続け、景観保全されるようになった経緯と、その課題に関する論文を書いたので、宜しければ御覧になって頂きたい」
「十五年前…渋谷の学校から帰路に寄り道した新橋駅(港区芝)の地下街で、国際インド芸術の展示即売会を拝観させて頂いた時、店番の方から『あなたのような意欲ある学生は是非、立派な神学者に成って下さいね』と、激励の御言葉を賜った。そして今…あの御期待に、どこまで応えられたかは分からないが、こうして『文芸地理学』とでも言えそうな本を書き、求道の探究を結晶化する事ができた。全ては、私を支えて下さった、皆様のお蔭…本当に、本当に!ありがとう御座いました…!」
「あなたに、幸せがありますように!」
第三章 参考文献
「ミヌマ」の始まり、それは六千年と一夜の物語。
歴史に語られざる太古の戦、
爾来かの地において、蓮を作る事は禁忌とされ、御手洗に棲む鯉達も、独眼ばかりであったと云う…。
怒れる大蛇の禍霊に怨憎会苦せし衆生は、遥かなる出雲より氷川の神々を招いた。
戦国の世も末、大宮氷川神社に築かれた寿能城は、豊臣軍の武州侵攻により陥落、
誇らしき武士達は決戦の果てに玉砕し、遺された子女も皆、入水自決という最期を迎えた。
天下統一後、この地に顕れるようになった源氏蛍は、
龍神の慈悲によって転生した、彼らの魂魄だったと伝承されている…。
龍神の御怒りを蒙った
享保紀州の新たな実力者たる
この干拓で聖域を喪失した龍神は、下総台地の印旛沼へと遷られたが、
その印旛沼にも、江戸幕府の開発が迫りつつあった。
しかし…印旛沼干拓を推進した老中、
彼らもまた龍神の逆鱗に触れたのか、志半ばにて失脚し、遂に幕府は印旛干拓を果たせぬまま滅亡する。
腐敗した政治への天譴と畏れられ、田沼老中の失脚を決定付けた、天明の浅間山噴火。
その火山灰は、見沼代用水に堆積して水道に打撃を及ぼすだけでなく、
遥か遠くヨーロッパなどで世界的な食糧不足を引き起こし、
遂にはフランス革命の一因になったとも言われる…。
太陽系第三惑星の行く末、そして宇宙時代へと至る、現代の神話。
何度でも結い直そう…信じ、望み、愛する物語を。