下総台地・足尾山地
文字数 1,535文字
下総台地 武蔵野台地から東方に荒川を渡河すると、その先は千葉の下総台地に続いており、奥には関東平野最東端の銚子 半島があります。中生代白亜紀・約1億3000万年前までは、南方から北上していたリソスフェア…そう、あのイザナギプレート上に位置した熱帯であり、現在も黒潮暖流が流れているので、夏は涼しく冬は暖かい海洋性気候になっています。南岸には「東洋のドーバー海峡」と称される砂浜海岸の屏風ヶ浦が聳 えており、太平洋の海蝕作用で形成された、壮大な断崖絶壁を間近で観察し、実際に触れる事もできます。気温差が小さく、湿度が高い気候環境は、酵母・麹菌による醤油の生産に最適であり、しかも利根川河口という水上交通に恵まれた立地なので、江戸時代17世紀から四百年に及ぶ醤油醸造業が繁栄しています。日本で最も流域面積が広く、信濃川の次に水路距離が長い利根川も、17世紀の江戸幕府によって、ここから太平洋に注ぐよう改修され、河口の狭さから「銚子」と名付けられたのですが、その地形から凶暴な三角波が発生し、海難事故を引き起こす「人喰い波」と恐れられ、他方では豊かな漁港にもなっています。そこから南に歩くと、太平洋を東に黒生 ・海鹿島 ・君ヶ浜の海岸が、美しい風景色を彩って続いています。日出の景勝地として知られる犬吠埼 は、源義経の愛犬が惜別の情を吠え続けたとの伝承に由来し、義経公が矢で掘り当てたと云う美味しい湧水もあり、周囲で観察できる砂岩(銚子層群犬吠埼層)は約1億2000万年前・白亜紀の浅海堆積物です。約1億5000万年前・ジュラ紀の付加体が基盤を成す高神 愛宕山 は、下総台地の最高峰「地球の丸く見える丘」であり、その絶景は感動的です。ほかにも、義経公が砂岩に千人隊を召喚したと云う外川 千騎ヶ岩、地元の醤油を用いた「濡れ煎餅 」でも有名な銚子電気鉄道、そして東北大震災へと至る歴史地震の記憶など、様々な地学的智識を探究できる「地質遺産 」です。古代史においても、景行大王と倭建命 が房総半島に上陸された東征伝説、時として地震津波などの災禍を齎 す龍の海神 、聖なる海から顕 れた霊玉を御神体として尊ぶ信仰、それらを現代に伝える「式年銚子大神幸祭」など、神道民俗学的な世界が広がっています。
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足尾山地 関東平野の北には足尾山地が聳え、通洞坑を始めとする足尾銅山や、日本のグランドキャニオンとも呼ばれる松木渓谷などがあります。この地域は、言う迄も無く足尾銅山鉱毒事件として記憶される場所であり、鉱毒による水質汚濁、煙害による大気汚染、それらに伴う土壌汚染を発生させてしまった歴史を背負っています。但し、足尾町に開設された足尾歴史館は、公害という社会問題の陰影だけでなく、銅山を経営する財閥・古河鉱業が、厳しい予防工事命令を真剣に履行し、世界初の煙害防止技術に取り組んだ事や、我が国で初めて「安全ファースト」を提唱した事など、産業革命の光にも開眼する視点を教えて下さいました。また、古河鉱業の迎賓館「古河掛水倶楽部」は、日本を愛した英国の建築家コンドル から強い影響を受けた造形で、富国強兵の近代日本を築いた先人のロマンを伝えており、足尾銅山などで採掘された鉱石資料館もあります。渡良瀬川に沿って平野へと下山すると、南端の県境水域には、利根川に合流する渡良瀬遊水地・谷中湖が広がります。ここは、鉱毒事件で滅んだ谷中村遺跡ですが、縄紋時代前期には、この辺りまで奥東京湾の海が及んでいたと考えられます。
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第二章 参考文献
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