大宮氷川神社

文字数 3,421文字

2021/03/03 03:28

 弥生時代の中後期から、日本列島に「倭国」と呼ばれる小国(クニ)が見られ始めます。そして大和古墳時代には、皇室の御先祖にして、天照大御神(アマテラス)の御子孫とうたわれる大王おおきみを君主とする、本格的な日本建国が進められました(大和朝廷)。その特徴を考古学的に説明すれば、それはもちろん古墳文化です。ところが、ここ見沼には古墳が…?

2021/03/03 03:35

「…あら、この辺りでは古墳が発掘されていないのね。東京の大森池上にだって、あの堤方権現台古墳が造られていたのに…不思議ね。そもそも埼玉って、全体的には(むし)ろ古墳が多い地域よね。例えば北部の、(おし)城を中心とする行田(ぎょうだ)には、雄略鉄剣で有名な埼玉(さきたま)古墳群があるのに…」

2021/03/03 03:44
 古墳時代になっても、見沼には古墳が造られなかったようです。確実な理由は未詳ですが、かつて見沼は「御沼」と呼ばれており、この地名がヒントになるかも知れません。
2021/03/03 03:44

「見沼の語源は『御沼』であるとも考えられており、御沼は単なる湿地ではなく、大蛇・龍神が居られる、聖なる湖として信仰されていました。そのため、特定の首長を古墳に埋葬するのではなく、御沼を御神体として祀ったと推定できます。御沼という場所は、それ自体が既に『天然の古墳』であり、新たに人工の古墳を造る必要は無かったのでしょう」

2021/03/03 17:44

「8世紀の律令制により、御沼は『武蔵国足立郡』に編入され、その行政を担当したのは、丈部(はせつかべ)という人物の一族だった。彼は、埼玉古墳群を築造した氏族とは出自が異なり、その存在を朝廷に重んじられた、新興勢力であったと考えられる。そんな丈部氏は、武州における神社神道の代表者でもあり、彼らが祭祀を司ったのが、この地に建立された武蔵一宮(いちのみや)氷川神社だった」

2021/03/03 17:48
 つまり御沼には、敢えて古墳を造らなくても、神霊に祈りを捧げる宗教的空間としての湖沼が、既に存在していた。また、御沼を統治した地方官は、古墳を造るのに慣れていない一族だった。そして、古墳を造りたいと思っていたとしても、それより先に神社が建てられたので、古墳を造るスペース(資源・労力・時間・予算)が無くなってしまった…と云うのが、御沼に古墳が無い理由なのかも知れませんね。御沼においては、古墳よりも神社が、歴史的に重要な役目を担い続けています。その神社こそが、氷川神社です。
2021/03/03 17:50
2021/03/03 17:54

 武蔵一宮氷川神社は孝昭三年、葛城かつらぎ王朝の第五代天皇とされる孝昭王御代みよに創立した…と伝えられています。海神であられる須佐之男命スサノオなどの神々を祀っており、社名の「氷川」は、スサノオ神の本拠地である出雲平野斐伊川簸川ひのかわ)に由来し、人間を喰らう氾濫が繰り返され、巨大な蛇が暴れたように網状の流路を示す事から、出雲神話における大蛇伝説の舞台にもなった河川です。但し、かつては伊邪那岐命(イザナギ)伊邪那美命(イザナミ)などを祀っていたと云う説もあり、御沼の水神に対する自然崇拝が起源であるとも考えられています。現在も、御沼の水が「神池」として遺されています。古くは倭建命(ヤマトタケル)が、房総半島への東征に際して氷川神社を参拝され、出雲からの移民を経て、奈良時代聖武天皇によって、武蔵(埼玉・東京)を代表する「一宮神社」に指定されました。「大宮」という地名も、大いなる一宮の都を意味しています。

2021/03/03 17:59

「一宮氷川神社には、生命の源泉である『』への信仰や、太陽を象徴する『』の儀礼が見られます。現在も行われている祭礼に関して、その歴史を考察された研究が御座いますので、紹介しますね^^」

2021/03/03 18:00
 一宮氷川神社の祭祀儀礼に関しては、例えば下記のような研究が行われて来ました。
2021/03/03 18:01
2021/03/03 18:34

 現存の武蔵一宮氷川神社は、遥かなる山陰道地方の出雲から、スサノオ神らを招いて成立しました。でも、実は出雲の神々がいらっしゃる前から、御沼には氷川神という水神が「先住」なさっており、御沼を開拓した人々によって、氷川神を信仰する「原始氷川神社」が営まれていた…と云う可能性を考えられます。では、スサノオ以前の水神・氷川神は、一体どんな御姿の神様だったのでしょうか? 氷川の語源である出雲簸川では、洪水を引き起こし、生贄として人身供犠を要求する、(おぞ)ましい大蛇の邪神が、水神を務めていましたが、スサノオ神に討たれました。「大蛇退治に定評のある」スサノオ神を御沼に呼んだという事は…まさか、御沼にも蛇神が…!?

2021/03/03 18:39

「んふふっ…その答えを知りたかったら、浦和緑区の氷川女()神社にも参拝したほうが良いわよ。みんな、おはよう」

2021/03/03 18:41
「お…伯母上様、お…おはよう御座います!」
2021/03/03 18:41
 亜紀ちゃん(あっちゃん)の伯母で、私達もお世話になっている(うい)お母様がいらっしゃいました。実母の(みこと)を亡くした私達にとっては、義理の母親でもあるので、初お母様と呼んでいます。初お母様は、ここ大宮を中心に、埼玉の協同組合を経営しており、新型ウィルス災禍からの復興に向けて、東京の私達と協力した事業活動を展開しています。
2021/03/03 18:45

「一宮氷川神社は、宗教としての神社であるだけでなく、政治権力とも密接な関係を持っていたわ。特に、奈良・平安・鎌倉時代は祭政一致で、御沼を統治する者が、一宮氷川神社の祭祀を執り行っていたわ。 つまり、この神社に参拝すれば、この地域の支配者が誰なのか、分かったのよ。戦国時代には、一宮氷川神社の隣に寿能城が建築されたわ。江戸時代には、幕府から保護された東照宮や仏教の勢力に押されたけど、それでも権威は強く、徳川将軍(家康・家綱・綱吉)からも支援を受けていたわよ」

2021/03/03 18:47
 武蔵一宮氷川神社には、御沼を含む武州の権力を握った政治指導者に、宗教的な権威を授ける存在だったのでしょう。これは、我が国の歴代天皇が、征夷大将軍や大臣などを任命されたり、あるいは中世のローマ教皇が、西ヨーロッパの国王を任命された歴史などとも、似ているかも知れませんね。
2021/03/03 18:48

「そして19世紀には、維新大帝であられる明治天皇が大宮へと行幸なさり、一宮氷川神社に御親拝なさって下さったわ。しかも渋谷代々木の明治神宮からは、日本最大の木造鳥居を移設して下さったの。そうしたお蔭で、武州における一宮氷川神社の権威は決定的になり、現代の私達にとっても、故郷の大切な神社であり続けているわね」

2021/03/03 18:59
 一宮氷川神社のほかにも、埼玉・東京・神奈川には約280の氷川神社が存在します。近世の北武蔵(埼玉県域)における、氷川神社の分布を調査した宗教地理学の研究によると、秩父山地に1社だけ例外があるのを除き、大半の氷川神社は荒川流域に集中し、御沼を取り巻くように立地しています。この事実からも、氷川神社は水との縁が深く、水への信仰に基づいていると考えられます。
2021/03/03 19:01
2021/03/03 19:05

「一宮氷川神社の大湯祭は、冬至に太陽の復活を祈る儀礼だった…と云う説があったけど、以前…確か西洋史の講義でも、それと似た話を聴いたような…」

2021/03/03 20:20
「はい、(めぐみ)の言う通りです。古代4世紀のローマ帝国にて、同様の祭礼が御座いました。もともと多神教であったローマ帝国は、領土拡大と共にエジプト・アナトリア・シリアなどオリエントの宗教が流入し、特にインド・ペルシャのミトラス教弥勒(みろく)菩薩)が流行しました。こうした中で、ミトラ神やキリストを太陽崇拝に習合した『不敗の太陽神』が信仰を集め、その祝祭日は冬至…具体的には12月25日でした。救世主を太陽神と同一視し、キリスト教徒が太陽を礼拝する風潮も見られる中で、公認されたローマ教会は、12月25日をキリスト誕生記念日・聖降誕祭に定めました。これが、クリスマスです」
2021/03/03 20:32
大谷 哲「西洋史概説」(法政大学通信教育部2016秋期スクーリング)
2021/03/03 20:34

 一宮氷川神社や、これから参拝しに行く氷川女體神社では、冬至を祭日とする太陽神話の復活儀礼が行われ、実はそれこそが、クリスマスと同じ起源の信仰だった…と考えられるわけです。ミトラ神は、私達の大乗仏教にも弥勒菩薩(マイトレーヤ)という御名で登場され、56億7000万年後に下生げしょうなさる「仏教の救世主メシア」として信仰されて来ました。因みに、太陽の核融合反応が燃え尽きる寿命は、約54億年後と考えられています。つまり「科学で予測された太陽の最期」と「宗教で予言された太陽の復活」は、どちらも五十数億年後…何故か、一致していますね…。

2021/03/03 21:35
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

【神霊矢口】とさみや じゅのうじょうだい アキラ

十三宮 寿能城代 顯

関東州 東京府 東京市 蒲田区


蠍座♏11月1日トパーズ

・一人称「私」

・二人称「あなた様

・地位 中級生?

・専攻 地理学(共生科学士)

・属性 

・武技 レーザー剣・自動小銃

・愛機 ステルス攻撃機ナイトホーク(誘導爆弾)


 十三宮聖の義弟、また星川初の養子。本名は「富田巌千代」で、宗教信仰者としての法号(生前戒名)が「アキラ」。東京の大森・蒲田で生まれ育ち、地理学などの探究に基づき文芸作品を創る「地球学(地理学文芸)作家」を称す。同人サークル「スライダーの会」を結成した会長であり、一心同体の校長(マネージャー)である春原あきらと共にサークルを運営。


「天主と神仏に感謝を、あなた様に幸福を…合掌」

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色