埼玉見沼 ―芝川低地と大宮台地―

文字数 1,408文字

第三章【六千年と一夜物語】

埼玉見沼 ―芝川低地と大宮台地

2021/03/02 18:24
2021/03/02 17:25
 本章の舞台になる「埼玉見沼」という地域は、大宮・浦和・川口の間に広がる、芝川低地・大宮台地の緑地空間である。首都圏の都市でありながら広大な自然環境が保全されて来た、という事実が注目される。一体どのような過去を経て、現在に至る景観が創造されたのか?その歴史地理(歴史地誌)を探究しよう。そして最終的には、第一章・第二章で学んだ事項も踏まえ、私達の日本列島、いては地球世界の未来を、共に展望したい…。
2021/03/02 17:26
 東京から関東平野を縦断し、いよいよ埼玉に到着しました。私達が目指していた「見沼」は、この地域に広がっています。埼玉見沼の範囲、具体的な地名を図表に書くと、次のようになります。
2021/03/02 17:26
2021/03/02 17:42
 見沼の具体的な範囲としては、南端の八丁堤と、東西の見沼代用水に面する大宮台地が、その境界を成しています。それらに囲まれた沖積低地の芝川低地が、狭義の「見沼田圃」であり、周囲の洪積台地である大宮台地を含めた空間が、広義の見沼です。低地と台地の境目に、見沼代用水が流れています。ここで、都立首都大学の先生方が書かれた、地形学の教科書として著名な『東京の自然史』を一緒に読んで見ましょう。私のような文系の学生には、少し難解な本なのですが、見沼に関しても説明されている記述があるので、引用しますね。
2021/03/02 17:44

 大宮台地の芝川の谷の沖積地は、阪口(さかぐち)(ゆたか)らによって調査され、ひろい泥炭地であることがわかった。これを見沼(みぬま)泥炭地と呼んでいる。この泥炭地は、芝川の細長い谷にできたもので、地表から一~三メートルが泥炭または黒泥よりなり、その下には粘土層がある。泥炭は主としてマコモよりなり、下部にヒシの実を含む。見沼泥炭地の中央部では、地下二・六メートル以深には鹹水(かんすい)にすむ珪藻がみられるが、二・四メートル以浅では淡水(たんすい)種の珪藻に代る。このことは、もと、この芝川の谷は海水の入る入江であったものがのち淡水化したことを物語っている


 ここが排水の悪い湿地あるいは沼として長くつづき、泥炭の生長を許した理由としては、この地域が関東造盆地運動の一部として南上りの地殻変動をうけてきたことと、芝川の谷の出口が旧荒川の自然堤防でふさがれたことがあげられている。この旧荒川の跡が現在の毛長堀である。


台地を開析する谷底の沖積低地」抜粋・編集

2021/03/02 17:59
貝塚(2011)198頁
2021/03/02 17:59
 「泥炭」とは、植物遺体が分解し、石炭に変化しつつある低湿地です。「鹹水」は塩分を含む海水を意味し、そうでない真水を「淡水」と言います。つまり、かつて見沼は海であり、やがて海と切り離され、海水が流れて来なくなった後も、大宮台地と自然堤防に囲まれた芝川低地には水が残り、芝川から流下する淡水が溜まり、植物が生い茂る湖沼に成った…という事ですね。因みに、私達の故郷である大森でも、池上呑川や馬込の谷は、見沼と同じく、元々は海が入り込む入江でしたが、砂洲の堆積で海と切り離され、多くの泥炭が作られました。このほか、色々な博物館が立地する上野恩賜公園の不忍池も、同様の経緯があるそうです。それでは、そのような見沼地域が、どのような歴史を歩み、現代に至る地域の景観を創って来たのか?問題解決に向けて、私達は何を為すべきなのか?現地で出逢った仲間達と共に、皆で学び、考えたいと思います。さあ、あなたも一緒に行こう!
2021/03/02 18:02
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登場人物紹介

【神霊矢口】とさみや じゅのうじょうだい アキラ

十三宮 寿能城代 顯

関東州 東京府 東京市 蒲田区


蠍座♏11月1日トパーズ

・一人称「私」

・二人称「あなた様

・地位 中級生?

・専攻 地理学(共生科学士)

・属性 

・武技 レーザー剣・自動小銃

・愛機 ステルス攻撃機ナイトホーク(誘導爆弾)


 十三宮聖の義弟、また星川初の養子。本名は「富田巌千代」で、宗教信仰者としての法号(生前戒名)が「アキラ」。東京の大森・蒲田で生まれ育ち、地理学などの探究に基づき文芸作品を創る「地球学(地理学文芸)作家」を称す。同人サークル「スライダーの会」を結成した会長であり、一心同体の校長(マネージャー)である春原あきらと共にサークルを運営。


「天主と神仏に感謝を、あなた様に幸福を…合掌」

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