夜歩く悪魔(9)
文字数 1,318文字
塀に背にした男は、さっと右手を横に振る。すると、その右手首から先が切り取られた様に離れて飛び、純一少年の額を捉え、フェイスクローの様にきゅっと掴んだ。
「大悪魔を知っている所は驚いたが、こんなことが出来るなんてことまでは、分からなかっただろう?
大悪魔はな、特殊な能力を1つ持っているのさ、俺は右手を自由に分離させたり、戻したりすることが出来る……。
そして、分離した右手は、リモートコントロール出来、離れた俺の意思通り、空を飛んだり、自在に動くことが出来るのだ」
「……」
「それだけじゃないぞ……。
その手は人間に触れただけで、生命エネルギーを吸い取れるんだ。もう、お前は抵抗することも出来ず、生気を吸われて死んで行くんだ。フフフフ、これで最後だな……」
「……」
「安心しろ……。お前の相棒の方も、もう片が付いている頃だろう……」
「いや、まだですね……。彼女、結構遊んでいるみたいですよ……」
「何だと?」
その数分前のこと……。
謎の女性は、襲い掛かってきた緑色の怪物を、素手でボコボコに嬲っていた。
彼女は水棲人の鳩尾に、先の尖ったハイヒールで思いっきりトーキックを食らわせ、そして前屈みになった怪物の顔面に、右のフック、右ストレート、左のアッパーカット。怪物が倒れ込むと、そこにピンヒールのストンピングを浴びせまくる。
流石に下丸子隊員も、少し怪物が可哀想になってきた……。
しかし、彼女は容赦しない。今度は無理矢理立ち上がらせると、相手の顔面を左手で掴んだまま、左わき腹に右のモンケンパンチ。
それは、吊るした藁人形を思いっきり殴ったような揺れ方をして、相手に壮絶なダメージを与える。もう、緑の怪物には、抵抗する余力など少しも残っていない様だ。
そのパンチが数発続くと、緑色の怪物は色を失い、白い霧へと変わって、そして、少しずつ薄れて消えて行った……。
それが彼のタイムアップだったのか、彼が勝ち目がないと判断し逃げたのか、それとも『思い出』に於ける死を迎えてしまったのか、その判断は付けられない。
誰にも分かるのは、闘いは終ったと云うことだけだ。だが、謎の女性にとっては、それで充分だったらしく、下丸子隊員に顔を向けると、にっこりと微笑んだ……。
「下丸子健二さん……。あなた、これで助かったと思ったでしょう?
そんなに世の中、甘くはないわよ……。
彼から聞いていない?
夜な夜な街を徘徊し、男の生命エネルギーを奪っていく凶悪な女悪魔の話を……。
ご免ね。私、お腹空いちゃったの……」
謎の女性はそう言ってから、彼の傍に寄って行き、彼の手を取ると、下丸子隊員をくいと引き寄せる……。
再び、あの花の香りが、下丸子隊員の鼻を強く刺した。彼は足を動かそうとしたが、足を上げることももう出来なくなっている。
でも、それで良いのかも知れない。
下丸子隊員は死を覚悟した。
彼の身体に、彼女の両腕が巻き付き、その唇が彼の顔に近づいてくる。
そして、その美しい顔に存在する、恐ろしい唇は、彼の顔の正面から右に逸れ、下丸子隊員の左の首筋へと近付いて行き、遂にそこに付着した……。