新田家の惨劇(1)
文字数 1,851文字
美菜隊員はそう思った。
そう、これが現実の筈はない。住み慣れた家だが、見たことのない家であるし、使い慣れた食器が、初めて見る絵柄なのだ。
そして、こんな風に家族の朝食の片づけをしている自分の姿など、AIDSクルーの彼女には到底考えられないことだった。
だが、美菜隊員と純一少年の夫婦が、定数削減の要請を機に、AIDSを除隊してから、もう既に十年近い年月が経っている。
結婚後、暫くは彼らもAIDSクルーとしての仕事に従事していたのだが、依願退職の要請があったのを機に、2人はその職をあっさりと辞したのである……。
AIDSの定数削減は、原当麻基地の廃止と、その土地の地元自治体への返還を機に行われたものだった。
地球への侵略ブームが去ったのだろうか、宇宙人の襲来は徐々に減っていき、彼らAIDSの存在への風当りも段々と強くなっていった。そして、国民の総意を反映する形で、AIDS組織の縮小は行われ、原当麻基地は住民反対もあり、その役目を他基地に譲る形で消滅することとなった。
元々、AIDSの仕事を希望していた訳ではない純一少年……いや、もう純一と呼ぼう。純一は、早々にそこを除隊し、今は民間企業の営業マンとして、世界各地を飛び回っている。美菜もそれと同じくして除隊し、新田の家で暫く暮らした後、純一と新居を構えることにしたのであった。
因みに……、
矢口隊員も除隊し、民間企業の事務員として働いており、鵜の木隊員はモデルガン販売を始めたらしい。ただ、これはあまり儲かっていないと云う噂だ。新田作戦参謀はとっくに引退をし、今は孫娘に会うのが楽しみなだけの好々爺へと変わっている。
実質AIDSに残ったのは残り三人だが、蒲田隊長は遠く安中榛名で総務関係の仕事をし、下丸子隊員は、彼の希望で諏訪にある研究機関へと移動した。現場に残ったのは沼部隊員ただ一人。しかし、彼も実戦というよりは、新人教育の教官の様な仕事をするばかりの日々を送っている。
確かに、ここ十数年宇宙人の侵攻があったと云う話は聞かなくなり、AIDSは沼部隊員の望んだ、人命救助を司る組織へと主業務を変えていた……。
おっと、物思いに耽っている暇はない。
夫の純一はもう既に会社に出ていって、後は娘の
毎日同じことの繰り返し、しかし、そんなことに不満を持つほどの余裕もない。
夫の純一は相変わらずだが、一応、美菜のことを愛してはくれている。しかし、それも、単なる彼女の思い込みに過ぎないのかも知れない……。
出がけのキスは彼の習慣であり、栄養補給みたいなものだ。だから、それが美菜への愛の証とは限らない。
しかし、それを疑っても仕方ない。
もし、純一が外で浮気をしていたとしても、彼女がそれに気付くことは、恐らく出来はしないだろう……。仮に気付いても、その脅威の芽は、早々に彼が摘み取ってしまうに違いない。
万が一、浮気の証拠を見つけたとしても、その歴史は直ぐに変えられてしまい、そんなものは無いものにされてしまう……。
そんなことより、今は娘を遅刻させない様に、支度させることが重要だ。
「
美菜は、奥で本当に支度してるか疑わしい娘に、催促の声を上げた。
美菜は、純一との間に子供が出来るのか、少し心配だった。そして、その子が人間なのかは、とても心配だった……。
夫の純一は、美菜が妊娠した時に「耀子に人間の修一が出来たんだから、僕たちも大丈夫、普通の人間さ……」などと言って、全く意に介していない様子だった。
しかし、美菜に取っては重大事だ。仮に超能力を持った大悪魔だったりしたら、もう美菜の手には到底負えない……。
幸いなことに、それは単に美菜の杞憂に終わった。
美菜が初めて自分の子どもを抱いた時、女の子の赤ちゃんは普通の乳飲み子で、母親の美菜に抱かれ、安心しきった様に、ただ目を閉じていた。
純一はそれを見て、「へぇ~、言葉も話せないし、立つことも出来ないんだ……。確かに、これじゃ、親がいないと死んじゃうね。驚いた……」と言って、逆に美菜を驚かせたものだった。
この子は2人にとって驚きであり、希望でもあった。そんなことから、希が有ると書いて、
有希は「は~い」と言って返事をすると、家の中だと云うのに走って美菜の処にやって来た。もう支度は出来ていた様だ。