十月十三日、水曜日。③
文字数 3,151文字
悪いけど 仕事早く切りあげて帰ってきて
部室から出る前に、そんなメールを送ってから帰途についた。昨日あんな別れかたをしていたからか、その効果は絶大で。わたしが家に着いてすぐ、車庫のシャッター音が聞こえてきた。
(早っ)
やっぱり母も色々と気にしていたのだろう。
玄関のところで少し待っていると、
「舞……っ」
髪を振り乱した母が、勢いよく飛びこんでくる。
「ここにいるよ」
「あんた、昨日どこに――」
仕事の鞄を靴箱の上に置いて、一瞬わたしに掴みかかってこようとした母。しかし冷静であろうとしたのか、言葉も行動も途中で切れた。
「――とりあえず、居間で話しましょう」
鞄を持ちなおした母が、靴を脱ぎ先にそちらへ向かう。
「うん」
わたしも軽く返事をして、あとに続いた。
我が家の居間には、ソファがひとつしかない。そのため、わたしがそこに腰をかけると、母はテーブルを挟んで向かい側の座布団に座った。おかげで母を少し見おろす形になり、不思議な気分だ。
(今追いつめられてるのは、きっとわたしなのに)
その証拠に、こうして向かいあってから約五分。わたしから呼んだくせに、言葉はなにひとつ出てこなかった。
やがて、待ちきれなくなったのか、母のほうから話しかけてくる。
「――私はね、あんたがどうしてそんなにもあの事件に拘ってるのか、不思議だったの。だから、悪いとは思ったけど、嗣くんから無理矢理訊き出したわ」
「えっ!?」
それはまさに、青天の霹靂。母が嗣斗から訊き出すチャンスは、昨日のうちしかなかったと思うけど、今日の嗣斗にそんな様子はなかったからだ。
(嗣斗のやつ、きっといつばれてもいいって、開きなおってたんだ……!)
膝の上に置いた握り拳に、ぎりぎりと力がこもる。
そんなわたしの感情を正確に読み取ったのか、母はすかさずフォローの言葉を続けた。
「私が脅して訊き出したんだから、嗣くんを責めないであげてね」
「お母さん……一体嗣斗のどんな弱みを握ってるって言うのよ……?」
あの嗣斗が完全に言いなりになっているのだから、よっぽどのことなのだろう。
呆れたように告げたわたしに、母は口許を隠して笑う。
「今はいいじゃない、そんなこと。――それより、先日亡くなった先輩って、あんたがずっと片想いしてた人なんだってね」
ばれているとはわかっていても、肯定するのはまだ恥ずかしくて。わたしはただ、真っ赤になって俯くので精一杯。
(全然女らしいところないくせに、生意気だとか思われてるかな)
これまで母と恋愛について語ったことなどなかったから、反応が怖いのだ。
すると母は、テーブルの上に前乗りになり、わたしの表情を下から覗きこむようにして告げた。
「あんた、そんなところばかり私に似てるんだから」
「――え?」
「私も、長いことお父さんに片想いしてたのよ。七年くらいかな」
「それほんとっ!?」
初耳だった。
(なら、わたしがなかなか告白できなかったのは、遺伝だったのかも!?)
今さら便利な言いわけを見つけても遅いけど、少し気が楽になった。
母のことを、今までよりも近くに感じた。
恥ずかしがっていたことも忘れて、真っ直ぐに視線を重ねたわたしは、自分の左側にあるスペースを掌でぽんぽんと叩いてやる。
母は小さく頷くと、立ちあがってそこに移動してきた。わたしの、隣に。
そして今度は母が、わたしの頭に優しく触れてくる。
「私は自分の想いを叶えて、お父さんと無事に結婚することができたし、あんたも生まれた。でもあんたは、そうじゃないのよね。ずっと秘めてきた気持ちも伝えられないまま別れたんじゃ、どうして死んだのか知りたくなるのも当然だわ」
「お母さん……?」
その言葉は、昨日とは違いわたしを許 す ものだったから、驚いて顔を見やった。
母の表情は、いつになくとても穏やかだ。
「その過程でお父さんが死んだ理由もわかるなら、私にとってもありがたいことだもの」
しかし次の瞬間、眉間に皺を寄せた母は、わたしの両手を捕まえて、きつく握りしめてくる。
「その代わり、舞! おばあちゃんからもらったお守りは、絶対に肌身離さず持っていること!」
その迫力に、わたしの上半身は自然と後ろに反った。
「や、やっぱりなんかすごい効き目のあるお守りなの!?」
「あんたは知らないだろうけど、おばあちゃん、ちょうどあんたくらいのときに、人身御供にされたことがあるのよ。でも、あのお守りを持ってたおかげで助かったんだって」
「ひ、人身御供って……もしかして、人生山のっ?」
部室で見た研究ファイルのことを思い出しながら尋ねると、母は目を丸くする。
「あら、知ってるの? 若いくせに珍しいわね」
ちょっと引っかかる感心の仕方だったけど、それだけ若者には知られていない話だということなのだろう。
母は両肩をすくめると、先を続けた。
「前にもチラッと話したわよね。私も若い頃、一度あのお守りをもらったの。そのときに人身御供の話を聞いたんだけど、私、馬鹿だったから信じてあげられなくてね。高校に入ってから山のことを色々と調べて、それでやっとその話が本当だったと知ったわ。ただ、知ったら知ったで怖くなっちゃって……結局おばあちゃんにお守りを突っ返したってわけ」
次々と現れる新情報は、どんどんわたしを興奮させてゆく。
「じゃあ、研究ファイルに名前があった『奥山』って、お母さんのことだったんだ!?」
「ああ、なんだ、あんたあれを見たから知ってたのね。嫌だわ、恥ずかしい……」
赤い顔を背けた母が、少しかわいかった。
そう、わたしはあの研究ファイルを見たとき、「タヅばあと同じ名字だ」とは思ったけど、「お母さんの旧姓と同じだ」とは考えなかった。それは、父が亡くなったあとも母は『三池』で通していたからだ。『三池透子』というのがわたしにとっての母の名前で、旧姓のことまでは思い至らなかったのだった。
「でもまあ、あれを読んだのなら話は早いわ。あのお守りは、おばあちゃんを人身御供から救った由 緒 正 し き お 守 り だから、きっとあんたを守ってくれる。あんたは当時の私みたいに怖がってないみたいだし、おばあちゃんのこと、大好きだったでしょう? ちゃんと効き目があるはずよ」
半分茶化したような口調の母だったけど、目は真剣そのものだ。
「うん、わかった。絶対いつも持ってるから、大丈夫」
わたしにとっては母のその言葉も、新しいお守りになる。
新しい、勇気に。
(――よし、訊こう!)
心のなかで気合いを入れたわたしは、大きく息を吸った。
「ねぇお母さんっ。お父さんって、弟と か いる?」
思わず「とか」なんかつけてしまったのは、完全に悪あがき。それでもわたしはまだ、諦めたくはなかったのだ。
母は一度不思議そうにこちらを見たあと、「ああ……」と小さく呟いて、
「そういえば、そんな話もしたことなかったわねぇ。私とあんたにとって、お父さんの話はタブーみたいな感じになってたから」
「わたし、お母さんが淋しそうな顔をするのが嫌で、訊かないようにしてたもん」
「ハハ、小学生のうちから子どもにそんな気遣いをさせるなんて、私も駄目な親だね。――お父さんには、弟がひとりいたわよ」
「ほ、ほんと!?」
(じゃあやっぱり、セイちゃんは本物なんだ!)
諸手を挙げて喜びそうになったわたしは、次の瞬間――
「残念ながら、お父さんよりも先に病気で亡くなってしまったけどね」
奈落の底に突き落とされた。
部室から出る前に、そんなメールを送ってから帰途についた。昨日あんな別れかたをしていたからか、その効果は絶大で。わたしが家に着いてすぐ、車庫のシャッター音が聞こえてきた。
(早っ)
やっぱり母も色々と気にしていたのだろう。
玄関のところで少し待っていると、
「舞……っ」
髪を振り乱した母が、勢いよく飛びこんでくる。
「ここにいるよ」
「あんた、昨日どこに――」
仕事の鞄を靴箱の上に置いて、一瞬わたしに掴みかかってこようとした母。しかし冷静であろうとしたのか、言葉も行動も途中で切れた。
「――とりあえず、居間で話しましょう」
鞄を持ちなおした母が、靴を脱ぎ先にそちらへ向かう。
「うん」
わたしも軽く返事をして、あとに続いた。
我が家の居間には、ソファがひとつしかない。そのため、わたしがそこに腰をかけると、母はテーブルを挟んで向かい側の座布団に座った。おかげで母を少し見おろす形になり、不思議な気分だ。
(今追いつめられてるのは、きっとわたしなのに)
その証拠に、こうして向かいあってから約五分。わたしから呼んだくせに、言葉はなにひとつ出てこなかった。
やがて、待ちきれなくなったのか、母のほうから話しかけてくる。
「――私はね、あんたがどうしてそんなにもあの事件に拘ってるのか、不思議だったの。だから、悪いとは思ったけど、嗣くんから無理矢理訊き出したわ」
「えっ!?」
それはまさに、青天の霹靂。母が嗣斗から訊き出すチャンスは、昨日のうちしかなかったと思うけど、今日の嗣斗にそんな様子はなかったからだ。
(嗣斗のやつ、きっといつばれてもいいって、開きなおってたんだ……!)
膝の上に置いた握り拳に、ぎりぎりと力がこもる。
そんなわたしの感情を正確に読み取ったのか、母はすかさずフォローの言葉を続けた。
「私が脅して訊き出したんだから、嗣くんを責めないであげてね」
「お母さん……一体嗣斗のどんな弱みを握ってるって言うのよ……?」
あの嗣斗が完全に言いなりになっているのだから、よっぽどのことなのだろう。
呆れたように告げたわたしに、母は口許を隠して笑う。
「今はいいじゃない、そんなこと。――それより、先日亡くなった先輩って、あんたがずっと片想いしてた人なんだってね」
ばれているとはわかっていても、肯定するのはまだ恥ずかしくて。わたしはただ、真っ赤になって俯くので精一杯。
(全然女らしいところないくせに、生意気だとか思われてるかな)
これまで母と恋愛について語ったことなどなかったから、反応が怖いのだ。
すると母は、テーブルの上に前乗りになり、わたしの表情を下から覗きこむようにして告げた。
「あんた、そんなところばかり私に似てるんだから」
「――え?」
「私も、長いことお父さんに片想いしてたのよ。七年くらいかな」
「それほんとっ!?」
初耳だった。
(なら、わたしがなかなか告白できなかったのは、遺伝だったのかも!?)
今さら便利な言いわけを見つけても遅いけど、少し気が楽になった。
母のことを、今までよりも近くに感じた。
恥ずかしがっていたことも忘れて、真っ直ぐに視線を重ねたわたしは、自分の左側にあるスペースを掌でぽんぽんと叩いてやる。
母は小さく頷くと、立ちあがってそこに移動してきた。わたしの、隣に。
そして今度は母が、わたしの頭に優しく触れてくる。
「私は自分の想いを叶えて、お父さんと無事に結婚することができたし、あんたも生まれた。でもあんたは、そうじゃないのよね。ずっと秘めてきた気持ちも伝えられないまま別れたんじゃ、どうして死んだのか知りたくなるのも当然だわ」
「お母さん……?」
その言葉は、昨日とは違いわたしを
母の表情は、いつになくとても穏やかだ。
「その過程でお父さんが死んだ理由もわかるなら、私にとってもありがたいことだもの」
しかし次の瞬間、眉間に皺を寄せた母は、わたしの両手を捕まえて、きつく握りしめてくる。
「その代わり、舞! おばあちゃんからもらったお守りは、絶対に肌身離さず持っていること!」
その迫力に、わたしの上半身は自然と後ろに反った。
「や、やっぱりなんかすごい効き目のあるお守りなの!?」
「あんたは知らないだろうけど、おばあちゃん、ちょうどあんたくらいのときに、人身御供にされたことがあるのよ。でも、あのお守りを持ってたおかげで助かったんだって」
「ひ、人身御供って……もしかして、人生山のっ?」
部室で見た研究ファイルのことを思い出しながら尋ねると、母は目を丸くする。
「あら、知ってるの? 若いくせに珍しいわね」
ちょっと引っかかる感心の仕方だったけど、それだけ若者には知られていない話だということなのだろう。
母は両肩をすくめると、先を続けた。
「前にもチラッと話したわよね。私も若い頃、一度あのお守りをもらったの。そのときに人身御供の話を聞いたんだけど、私、馬鹿だったから信じてあげられなくてね。高校に入ってから山のことを色々と調べて、それでやっとその話が本当だったと知ったわ。ただ、知ったら知ったで怖くなっちゃって……結局おばあちゃんにお守りを突っ返したってわけ」
次々と現れる新情報は、どんどんわたしを興奮させてゆく。
「じゃあ、研究ファイルに名前があった『奥山』って、お母さんのことだったんだ!?」
「ああ、なんだ、あんたあれを見たから知ってたのね。嫌だわ、恥ずかしい……」
赤い顔を背けた母が、少しかわいかった。
そう、わたしはあの研究ファイルを見たとき、「タヅばあと同じ名字だ」とは思ったけど、「お母さんの旧姓と同じだ」とは考えなかった。それは、父が亡くなったあとも母は『三池』で通していたからだ。『三池透子』というのがわたしにとっての母の名前で、旧姓のことまでは思い至らなかったのだった。
「でもまあ、あれを読んだのなら話は早いわ。あのお守りは、おばあちゃんを人身御供から救った
半分茶化したような口調の母だったけど、目は真剣そのものだ。
「うん、わかった。絶対いつも持ってるから、大丈夫」
わたしにとっては母のその言葉も、新しいお守りになる。
新しい、勇気に。
(――よし、訊こう!)
心のなかで気合いを入れたわたしは、大きく息を吸った。
「ねぇお母さんっ。お父さんって、弟
思わず「とか」なんかつけてしまったのは、完全に悪あがき。それでもわたしはまだ、諦めたくはなかったのだ。
母は一度不思議そうにこちらを見たあと、「ああ……」と小さく呟いて、
「そういえば、そんな話もしたことなかったわねぇ。私とあんたにとって、お父さんの話はタブーみたいな感じになってたから」
「わたし、お母さんが淋しそうな顔をするのが嫌で、訊かないようにしてたもん」
「ハハ、小学生のうちから子どもにそんな気遣いをさせるなんて、私も駄目な親だね。――お父さんには、弟がひとりいたわよ」
「ほ、ほんと!?」
(じゃあやっぱり、セイちゃんは本物なんだ!)
諸手を挙げて喜びそうになったわたしは、次の瞬間――
「残念ながら、お父さんよりも先に病気で亡くなってしまったけどね」
奈落の底に突き落とされた。