十月十六日、日曜日。②
文字数 1,325文字
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午前一時。
彼は彼女を巨木からおろすと、こう告げた。
「僕と一緒に、山をおりましょう」
だが、もともと縛られるためにやってきていた彼女は、当然のように首を横に振る。
「それはできないわ。わたしが戻ったら、また山の天気が――」
「原因だった僕がここにいるのだから、大丈夫です。それでも心配なら、ちょっとそれを貸してくれませんか?」
彼女の言葉を遮って続けた彼は、彼女が首から提げている朱色のお守りを指差した。
彼女は戸惑いながらも、自分の首からそれを外して渡す。やはり彼女にも、帰れるものなら帰りたいと思う気持ちがあったのだ。
それを受け取った彼は、紐を外しお守りの口を開ける。そこに唇を近づけて、なにやらもごもごと唱えた。それからまたすぐに紐を戻すと、彼女の手のなかに返す。
「はい、これでいいです」
彼女は掌の上で確認してみるが、表も裏も、見た目上変わったところはなかった。ただ、心なしかほんの少し重くなったような気がして、小さく首を傾げると、彼は笑う。
「言 魂 の 重 み を感じますか? 今、持ち主を未来永劫守るよう言い聞かせたのですよ」
「え……?」
なにを言っているのだろう。
彼女はそう思った。
けれど口に出さなかったのは、月光に照らされて見える彼の瞳が、あまりにも真剣だったからだ。
「――あなたは、何者なの?」
「そう問うきみは、自分が何者か知っていますか?」
問い返されても、彼女は動揺しない。ぎゅっとお守りを握りしめ、堂々と口にする。
「わたしは『奥山タヅ』。ついさっきまで、ここで死ぬ運命だった者よ」
「なるほど、的確な答えです」
その答えに満足そうに頷いた彼は、なぜか首を傾げながら告げた。
「では、僕は何者ですか?」
「それを今、私 が 訊いているんだけど……」
彼女が呆れた口調を隠さずに告げると、彼は頭の後ろを掻く。
「ああ、すみません。人の姿をしている僕には、まだ、何 者 な の か という名がないのです。よければ、きみがつけてくれませんか?」
「私がっ? なんて無茶な……」
少なくとも、もし自分が同じ立場だったとしたら、「今からおまえは○○だ」と一方的に言われたら嫌だろう。
そう考えると、不用意には口を開けなくて、彼女は下唇を噛みしめる。
しかし彼は、
「せっかくですから、きみのように上の名前と下の名前があると嬉しいです!」
あくまでも気軽に望むのだ。
なんの躊躇もなく、むしろ無邪気に。
そこで彼女も肩の力を抜いて、ふぅと小さく息を吐き出した。それから脳裏でこの数分間のやりとりを洗い出し、彼にいちばん似合う名前を考える。
「――じゃあ、『ことだ・まこと』という名前をあげる」
「その意味は?」
「あなたがさっき口にした、『言魂 』を二回――言 い か け て 、や め た の」
彼女の答えを聞いて、彼は、心から嬉しそうに笑った。
その笑顔は、月よりも輝いて見えた。
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午前一時。
彼は彼女を巨木からおろすと、こう告げた。
「僕と一緒に、山をおりましょう」
だが、もともと縛られるためにやってきていた彼女は、当然のように首を横に振る。
「それはできないわ。わたしが戻ったら、また山の天気が――」
「原因だった僕がここにいるのだから、大丈夫です。それでも心配なら、ちょっとそれを貸してくれませんか?」
彼女の言葉を遮って続けた彼は、彼女が首から提げている朱色のお守りを指差した。
彼女は戸惑いながらも、自分の首からそれを外して渡す。やはり彼女にも、帰れるものなら帰りたいと思う気持ちがあったのだ。
それを受け取った彼は、紐を外しお守りの口を開ける。そこに唇を近づけて、なにやらもごもごと唱えた。それからまたすぐに紐を戻すと、彼女の手のなかに返す。
「はい、これでいいです」
彼女は掌の上で確認してみるが、表も裏も、見た目上変わったところはなかった。ただ、心なしかほんの少し重くなったような気がして、小さく首を傾げると、彼は笑う。
「
「え……?」
なにを言っているのだろう。
彼女はそう思った。
けれど口に出さなかったのは、月光に照らされて見える彼の瞳が、あまりにも真剣だったからだ。
「――あなたは、何者なの?」
「そう問うきみは、自分が何者か知っていますか?」
問い返されても、彼女は動揺しない。ぎゅっとお守りを握りしめ、堂々と口にする。
「わたしは『奥山タヅ』。ついさっきまで、ここで死ぬ運命だった者よ」
「なるほど、的確な答えです」
その答えに満足そうに頷いた彼は、なぜか首を傾げながら告げた。
「では、僕は何者ですか?」
「それを今、
彼女が呆れた口調を隠さずに告げると、彼は頭の後ろを掻く。
「ああ、すみません。人の姿をしている僕には、まだ、
「私がっ? なんて無茶な……」
少なくとも、もし自分が同じ立場だったとしたら、「今からおまえは○○だ」と一方的に言われたら嫌だろう。
そう考えると、不用意には口を開けなくて、彼女は下唇を噛みしめる。
しかし彼は、
「せっかくですから、きみのように上の名前と下の名前があると嬉しいです!」
あくまでも気軽に望むのだ。
なんの躊躇もなく、むしろ無邪気に。
そこで彼女も肩の力を抜いて、ふぅと小さく息を吐き出した。それから脳裏でこの数分間のやりとりを洗い出し、彼にいちばん似合う名前を考える。
「――じゃあ、『ことだ・まこと』という名前をあげる」
「その意味は?」
「あなたがさっき口にした、『
彼女の答えを聞いて、彼は、心から嬉しそうに笑った。
その笑顔は、月よりも輝いて見えた。
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